「夜の『Ushiromiya Fantasyland』には魔物が棲む。命が惜しかったら、決して入りこむな」

少々耳障りな音を立ててプリントアウトされた、一枚のA4用紙。それをひったくるように手に取り、右代宮蔵臼はこめかみをぐりぐりと押し込んだ。ずきずきと悲鳴を上げる頭をなだめるように、深呼吸を繰り返す。そして、印刷されたばかりでまだ熱を残した用紙に視線を落とした。
一日の仕事も無事終わり、普段なら夏妃の晩酌で一杯ひっかけているような時間。しかしこの日の右代宮蔵臼は窮屈そうに締められたネクタイを解くこともかなわずに、今日初めて知った不本意な「噂」にまた渋面を浮かべていた。彼は忌々しげにその文面をもう一度確認すると、すぐにくしゃくしゃに丸めてデスク脇のゴミ箱に押し込んだ。
そして。

「ふう……とりあえず………相談してみるか」

がちゃ。
デスクに置かれた内線電話。蔵臼はそれに手を伸ばすと、淀みない手つきで4ケタの番号を打ち込んだ。

「ああ、父さん………済まない、こんな時間に。
早急に相談したいことがあってね……今からそちらに行っても?」
「………何だ蔵臼、こんな時間に。今いいところなのだから邪魔をするな。1か月振りに南條に勝てそうなところなのだから―――よし、チェックメイト!!」
「うん、解った。30分以内にそちらに行く。用件はそれから話すよ」
「全然解ってないではないか!! キサマ、こんな遅い時間に来るなど、年老いた父を何だと思っている!!」
「うん、ありがとう。じゃあ、また後で」
「うおおおおい!? …………ていうかいつの間にか負けているではないか! 蔵臼、キサマが電話などしてくるから気が散ったではないか! 許さんぞおおおおおおお!!」
ぷつん。つー、つー、つー。

「――さて、行ってくるか」
金蔵を適当にあしらってから、蔵臼は肩を揉み解しながら書斎を出て行った。
新たに生まれた頭痛の種に、自嘲の笑みを浮かべながら。
―――噂。都市伝説。何処にでもある迷信のようなもの。
それらはほとんどの場合、何時、何故生まれたのかも明らかでない、曖昧で適当なものだが……一度生まれてしまえば、消え去るのには短くない時間を要する。そして時としてその「場所」――学校だったり企業だったり――に、無視できない風評被害をもたらすことがある。
今回、不運にもそのターゲットになってしまったのは……ここ、「Ushiromiya Fantasyland」。




夜の遊園地にはご用心




それから、3日後の深夜0時30分。
ここは、「Ushiromiya Fantasyland」。
何時もの熱気や歓声はなく、ただ暗闇と静寂だけがこの場を支配している。あと数時間もすればアトラクションのメンテナンスの為に作業員が入ってくるが、当分の間はこの不気味なほどの静寂が続くことになる。
――そこに、足音が2人分。


「………で、夜のパトロールに俺たちがご指名されたってわけか。人々の平和を守る為に日々戦って疲れ切ってる俺たちに押しつけるたあ、蔵臼伯父さんもひどいぜ」
「なーに云ってんだよ戦人ァ、時給1200円ていう条件に尻尾振りながら飛び付いたくせに」
右代宮朱志香の的確なツッコミに、隣を歩いていた右代宮戦人は顔をしかめた。もちろんそれは事実なのだが、一応反論を試みてみる。
「ち……違うっつーの! 平和を愛する俺としては、もし、やっぱりファントムの連中だったら放っておけないと思ってだな……」
「はいはい、ていうか私も人のこと云えないからな。『バイト』って、何か楽しそうだしな! それに、誰もいない夜の遊園地っていうのも何か新鮮でいいな!」
「そうか? 俺としちゃあ、寒々しいというかちょっと不気味なんだが」
そう毒づきながら、戦人は投げやりな動作で手に持った懐中電灯を左右に向けた。怪しい物は見当たらない。というよりも……暗くて何も見えない。戦人は早くもこの「バイト」に飽き始めた様子で、隣を歩く朱志香にあれこれ話し掛けては彼女の肘鉄を食らっていた。
確かに、戦人がこのパトロールに身が入らない理由も解らなくはなかった。
現在ファントムとの戦いを繰り広げている、まさにその最中。ネットから瞬く間に広がった「夜の魔物騒動」。それを知らされた時点では、「ファントムの仕業か!?」と張り詰めた緊張感がうみねこセブンたちを支配していたが……今日、ファントムとは何の関連もない「ただの噂」であるとの結論が下された。今となっては、噂を面白がって夜中に侵入してくる連中への対処の方がより重要な問題となっていった。
そんなわけで、昨日、一昨日と続けたこの深夜パトロールという名のアルバイトも今日で終わり。譲治たちも昨日までは一緒にパトロールに当たっていたが、今日は戦人と朱志香だけが残されていた。グレーテルは……「めんどい」の一言で最初から放棄していたが。
戦人はあと数十分でこの退屈な時間が終わるという開放感から、欠伸ばかりをひっきりなしに繰り返していた。
そんな戦人とは対照的に、朱志香はせわしなく周囲を観察しながら忍び足で歩き続ける。何故そこまで熱心にできるのかと戦人がその疑問をぶつけようとした、その矢先。

「――父さんも、寝ずに頑張ってるからな。私も、できることはなんでもやっておきたいんだ」
「………………そうか」

暗闇で、彼女がその時どんな表情を浮かべていたのかは解らなかった。
だが戦人は、懐中電灯を彼女に向けるような無粋な男ではなかった。一言だけ相槌を打つと、しゃんと背筋を伸ばし、せめて残りの数十分だけでも自分の「仕事」を全うしようと周囲を再び観察し始める。
――朱志香の言葉通り、右代宮蔵臼はこの数日不眠不休で駆け回っていた。
いや、蔵臼だけではない。この遊園地に関わっている大人たちは皆、この不本意な「噂」を何とか払拭しようと不眠不休で奮闘していた。
時として悪意ある噂は人を深く傷つけ、容易には癒すことのできないダメージを与えることがある。現に、この噂が流れ始めてから「Ushiromiya Fantasyland」の来客者は僅かではあるが減少し始めており、蔵臼たちとしては一刻も早く手を打たなければならない必要に追われていたのだ。
しかもこの遊園地の来客数の減少は収入低下となり、そのままうみねこセブンへの支援低下に直結してしまう。そのため、Ushiromiya Fantasyland、うみねこセブン関係者ともにこの問題には頭を痛め、信頼を取り戻すために戦っているのだった。
いや………それよりも、もっと大きな理由がそこには在って。


「みんな…………ここが大好きなんだよな」
「うん……そうだな」


戦人の言葉に、朱志香は首を縦に振った。
その表情はやはり窺えないが、戦人と同じように何ともいえない微笑をたたえているのだろう。
この場所が、人々に夢を与えるこの場所が、皆大好きだから。
だから、大好きなこの場所を汚すような根も葉もない「噂」を見過ごすことはできない。戦人がこのアルバイトを引き受けた本当の理由もきっとそうなのだろう。戦人は自身はきっと照れ隠しに「バイト代の為だよ!」と突っ張るだろうが。
しかし、連日の見回りに彼らの体が悲鳴を上げているのも確かだった。若いとはいえ、毎日の学校の後に訓練、ほんの数時間の休息の後にこの見回り。戦人はもちろんのこと、朱志香も欠伸を何度も噛み殺しながら歩き続けていた。



「―――そろそろ、時間だな。朱志香、戻ろうぜ。結局魔物なんてただの噂だったな。眠くて仕方ねえや。



朱志香……………?」
「なあ、戦人…………あれ、何だと思う?」



朱志香の声は、僅かに震えていた。
戦人は、「わ、悪いじょじょじょ冗談はよせやい………!」と噛みまくりながら朱志香が指差した方向に懐中電灯を向ける。
―――その先に、確かに「い」る。



ふわふわとその場で漂う、白い光。
物音ひとつしないその場に、確かな存在感を持って、そこに「い」る。



「「ぎゃあああああああああああああ!!」」



今なら、彼らはオリンピックの短距離走でメダルを狙えるだろう。
そう確信できるほどの凄まじいスピードで、戦人と朱志香はまさに脱兎のごとく駆け出した。
しかし。


「ぎゃああああああ! ついてくる! ついてくるぜあの人魂!!」
「おい朱志香、ここは潔く俺の代わりに祟られてくれ!」
「何云ってんだよ戦人! ここは男のオマエが『帰ってきたらまた一緒に遊ぼうぜ……!』とかどや顔で云いながら残るもんだろうが!!」
「何で死亡フラグ満載なんだよ!? オマエ彼氏いないんだから別に悔いとかないだろうが! オマエが代わりにアレされろよ!!」
「ふざけんな! これから私は嘉音くんといろいろあるんだよ! 多分本編で素敵な展開に書いてもらえるんだからここでアレされるわけにはいかないんだよ!! ていうかフラグ皆無の戦人に云われたくねえんだよォォォォォ!!」
「何だと!? ………ってぎゃあああああああああ! 
近付いてる! まだ追い掛けてきてるぜあの人魂!! 助けてえーりん!!」
「( ゚∀゚)o彡゚えーりん!えーりん!」
「乗るんじゃねえよ! ていうか東方ネタを普通にやるな朱志香ああああああ!!」
「助けてええええええええ!!」
「今なら家具とか鎖つながれとかおkなんで助けてえええええええ!!」



「はあ、はあ、はあ…………やっと、撒いたか……ん? ここは………」
「戦人、ここは……『セブンズバトルコースター』か。ずいぶん走ってきたな
………って、付いてきちゃったよこのオバケ(汗)」
「………………」

へなへなと、ほぼ同時に地べたに腰を下ろすふたり。その頭上を、相変わらずふわふわと飛び回る白い光。疲労困憊でもう逃げ出す気力もなく、「煮るなり焼くなり好きにしろ」といいたげな2人を面白がるようにしてその場に漂い続ける。
「なあ、戦人……こいつ、私たちに何かを伝えたいんじゃないか?」
「……もしかしたら、そうかもな。
おいオマエ、俺たちに何を伝えたいんだ?」

小さな鳥が乗るように、戦人の手のひらにちょこんと乗った人魂。すっかり恐怖心が麻痺してしまった2人を導くようにして、「セブンズバトルコースター」に近づいてゆく。普段は子供たちの歓声で常に大賑わいのこのスタート地点も、今は一機のコースターがぽつんと置かれているだけ。
そして。

「あ……このコースター………ちょっとねじが緩んでないか?」
「どれどれ……あ、これって結構ヤバいんじゃね? よし、蔵臼伯父さんに報告するぞ。
―――あ、蔵臼伯父さんですか? 戦人です。
今『セブンズバトルコースター』の前にいるんですけど…………」


コースターの不具合を発見したと蔵臼への報告を終え、携帯電話をポケットにしまう戦人。安堵の息をついてから、朱志香に振り返ると。

「……伯父さんに報告してきたぜ。すぐに作業員をこっちに向かわせるってさ。
あれ……オバケは?」
「ああ、たった今、すうっと消えて行っちまったよ。何か、『成仏した』って感じでさ。
もしかしたら、このことを私たちに教えたかったのかもしれないな………」
2人同時に、雲ひとつない夜空を見上げる。
美しい星空は彼らの疑問に答えてはくれなかったが……その代わりに、一瞬だけ。

「「あ……流れ星」」





朝日が、暖かく降り注ぐ。何時もと何も変わらない、一日の始まり。数時間前までこの場所を支配していた闇は、何時もと同じように、太陽にその場を明け渡す。
誰にとっても等しく訪れる、朝。ただ、今日が少しだけ違うのは。

「―――ほら戦人、朝メシ持ってきてやったぜ」
「お、サンキュー」

無造作に朱志香が放ったサンドイッチの包みを、器用にキャッチした戦人。しかし彼はその包みをすぐに開けることはせずに……後ろを振り返った。戦人の隣に腰掛けた朱志香も、戦人の視線の先を確かめるように振り返った。

「よーし! こっちは大丈夫だ! そっちの電源系統は!?」
「はい、問題ありません! 正常に作動します!!」
「OK! じゃあ次のコースターをチェックするぞ!」
「了解!!」

作業員たちの声が、「セブンズバトルコースター」に響き渡る。
戦人の報告を聞いた蔵臼が、すぐに向かわせた作業員たち。夜中にも関わらず、すぐにやってきた彼らによる修復作業とチェック作業が、数時間前から行われているのだった。戦人と朱志香の役目はこの時にもう終わっていたのだが、どちらからともなく「ここで作業を見ている」と告げ……結局この遊園地で徹夜をすることになった。
朱志香が、躊躇いがちに口を開く。

「―――さっき、父さんに教えてもらったんだ。
二週間前、この遊園地で働いてた作業員の人が病気で亡くなった、って。その人、このコースターが大好きで、退職してからもここのこと、すごく気にかけてた、って。
もしかしたら、あのオバケって、その人が私たちに伝えてくれたのかもしれないな。子供たちを危ない目に遭わせたくない、誰か気付いてくれ、って………」
「二週間前、魔物の噂が出始めた時期、か………。きっと、そういうことなんだろうな」

死してなお、愛する場所を守ろうとした元作業員。
その思いに敬礼するように、戦人と朱志香はそっと目を閉じた。
そして。

「さ、戦人、そろそろ帰ろうぜ! そろそろ支度しないと学校に遅刻しちまうぜ?」
「あ、ああ……すっかり忘れてたぜ(汗)確実に居眠りしちまう予感がするんだが……」

苦笑を浮かべながら立ち上がる戦人。その先を、上機嫌で歩む朱志香。
急ぎ足で彼女に追いつこうとして……もう一度だけ、後ろを振り返る。
そこには、もうあの人魂はいなかったけれど。
―――その遺志を受け継ぐ人間が、こんなにも。


「さて、新しい一日の始まり、しゃきっといきますか!!」

ぱんぱんと頬を叩きながら、朱志香の後ろ姿を追う戦人。
今日も、一日が始まる。
「Ushiromiya Fantasyland」を愛する人たちの、何時もと変わらない、そしてかけがえのない、一日が。







<終わり>

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