「おや?」
「あら?」

狭いゴンドラの中で顔を付き合わせた男女は、同時にそう呟くとどちらともなく小首を傾げた。
小さく揺れながら、周囲の景色がゆっくりと上がっていく。
横の窓を見ると、丁度遊園地の中心に立てられた城の屋根を越えようとしている所だった。

そう考えることもなく、二人は自分達が遊園地に作られた観覧車の中に居ることを理解した。
それは問題ない。
問題なのは何故自分達がここに居るのか分からないことだった。

「…ロノウェ?あなたはどうしてここに居るのですか?
ベアトの所に行くと言っていたと思っていたのですが…?」
「ええ、先ほどまでは城のお嬢様の部屋に居たはずなのですが…、
急に目の前の景色が揺らいだと思ったらここに立っていたみたいですね。
いやはや、不思議なこともあるものですね、ぷっくっく」
「…なるほど、あなたも私と同じのようですね…、わかりました。
ですが、もう一つわからないことがあります…」
「なんでしょう?マダム?」
「あなたがティーカップとポットを持っていることです」
「ぷっくっく、何分お嬢様のお茶のお世話の途中でしたので。
…そういうマダムこそ、その手にお持ちになった湯気が立つ鍋はなんですか?」
「頑張っている山羊の子達に差し入れを持って行ってあげたのですが、
遠慮して逃げたので追いかけていたのです」
「おやおや、それはそれは、ぷっくっく」

二人は状況を確認しあうと、互いに持っていたポットと鍋を魔法で消し去り、
向かい合うように椅子に腰掛けた。
腐っても魔女と、悪魔。これぐらいで慌てることはない。
自分達の居る場所も、危険もないこともわかっているのだ。
ならば彼等にとって「どうして」この場所に飛ばされてしまったは些細な問題なのだ。
…それを大物と考えるか、ただの無用心と考えるかはまた別の話だが。


そうしている間にも彼等を乗せたゴンドラはゆっくりと上昇し、やがて頂上へとたどり着いた。
座席の両側に設置された窓からは外の風景がよく見える。
普段自分達が暮らしている場所を、こうやって遥か高くから見下ろすという経験は、
彼等魔女や悪魔にとってもとても興味深いものだった。

ワルギリアはそっと視線を窓の外へとずらし、外の景色を見下ろした。
夜の遊園地は眩いイルミネーションに照らされ、きらきらと宝石箱のように光っていた。
きっと誰もが綺麗だと、そう一言表現するような目の前の幻想的な光景。
だが、それを見てワルギリアが感じた感想は、それとは大きく違ったものだった。

「…小さい、ですね」
「?何がでしょうか?マダム……」
「あの子の世界ですよ。本当に小さい、作り物の世界です…」

見下ろして見える遊園地の中心にはワルギリア達がいつも居る城が、
周囲には人工の森が、様々なアトラクションの建物が、そして人工的に作られた川や湖までもがある。
世界の縮図のように詰め込まれたその小さな、小さな遊園地の中が、
ワルギリアが娘のように可愛がっているベアトリーチェのほぼ全てだった。

彼女はこの遊園地に出たことがほとんどない。
…いや、出たいとすら思っていないのかもしれない。
それぐらい彼女はこの小さな世界に縛られ、この小さな世界しか知らずに生きてきたのだ。

それをワルギリアはこの上なく悲しく、…そして同時に悔しく思う。
もっと彼女に広い世界を見せてあげたい。
動物園でも、水族館でも、学校でも、彼女の望むもの全てを見せて、もっと広い空の下で笑っていて欲しい。

しかし、そういくら願ってみても、今のワルギリアの力ではどうにも出来ないのだ。
魔法を信じることをやめた外の世界は彼女達を蝕む毒素に満ちている。
今や訪れた人々が束の間「夢」を感じ信じるこの遊園地だけが、
僅かに彼等幻想の世界の住人が生きていくことを許された小さな世界なのだ。

「……それも、今回の計画が上手く行けば、変わるかもしれない…」
「マダム…」
「あの子の生きていける余地も、外の世界に広がるかもしれません…」
「………それで、多くの人が巻き込まれても、でしょうか?」

ロノウェの言葉に驚き、ワルギリアが顔を上げる。
ロノウェはいつものようにつかみどころのない笑みを浮かべるわけでもなく、
茶化すでもなく、ただ淡々と彼女の返事を待っていた。
悪魔の自分やベアトリーチェとは違い、ワルギリアは義を重んじる常識人だ。
悪戯に人を傷つけたり、苦しめたりすることを何よりも嫌う。
そんな彼女が進んで大勢の人を巻き込む今回のベアトリーチェの計画に
率先して力を貸す事をロノウェはかねてから不思議に思っていた。

自分達に付き合って、この魔女が一人心を切り刻んで、無理をしているのではないか、と…。


「…可笑しなことを聞くのですね、ロノウェ…」

ふっと表情を曇らせたワルギリアが視線を落とす。
僅かな沈黙が彼等を包む。
耐えかねたロノウェが僅かにワルギリアの方へ手を伸ばしかけた、その時。
さっとワルギリアが伏せていた顔を上げた。

「あの子と世界。どちらが大切かなんて、比べるまでもない問題じゃないですかw」

迷いもなく、ワルギリアがそう言い放つ。
その顔は満面の笑みを浮かべていた。
その表情にほんの一瞬だけ、ロノウェは目を丸くする。
だがニコニコと笑う彼女を見てやがて彼もまた小さく噴出し、考えを改めた。

自分などが心配する必要などないのだ。
彼女も同じ。
当に自分の道を、自分の意思で選んでしまったのだから。

「……ぷっくっく。そうですね、マダムならそう仰ると思っておりましたw」
「うふふ、それが私達が魔女であり、悪魔である所以ですからね。
ロノウェ?あなただってそうなのでしょう?あの子のためにこの道を選んだのでしょう?」
「うっぷっぷ。まぁ、否定は出来ませんね、うっぷっぷ」

最も、私はそれだけではないのですが、ね…。

心の中に浮かんだ言葉をロノウェはいつもの微笑に紛れ込まして飲み込む。
だが、彼女を眺める彼の目がとても優しい色をしていたことまでは、隠すことは出来なかった。
…もっとも、それを彼女が気付いてくれていたかどうかは、また別の話だが。

「…あの子にもっと広い世界を、そのためにあなたの力を貸してください。ロノウェ」
「イエス、ユア、マジスティ、…微力ながらこの力をマダムとお嬢様にお貸ししましょう」

そのために、この世界がどうなろうともw

互いに物騒なことを言い合い、魔女と悪魔はゴンドラの中でくすくすと笑った。
頂上を越えた観覧車はゆっくりと地上に向けて動き出し、徐々に地上に近づいて行く。
だんだんと大きく、はっきりと見えていく観覧車の乗り込み口にたくさんの人の姿が見えて、
魔女と悪魔はどちらともなく立ち上がった。

「それでは、マダム。お先に失礼致します。なにぶんお嬢様にお茶をお持ちする途中でしたもので」
「ええ、また後で。あの子をよろしくお願いしますよ、ロノウェ」

ロノウェは小さく会釈をした後、その姿を黄金の蝶に変えて消えて行った。
ゴンドラの中に残されたワルギリアはもう一度だけ窓の外へと視線をずらした。

小さな、小さな自分達が暮らせる世界。
徐々に高度を落とし、地上へと近づいていくゴンドラの中からは、
まだかろうじて遊園地の塀の向こうに見える広い世界と、地平線を見ることが出来た。

いつか、行けるのだろうか?
あの向こうの世界で、彼女が笑って生きていけるような日が来るのだろうか?

そして、もしも願えるのならば…。



「あの子を、ここから連れ出してくれるような人が居ればよいのですがね…」


そっと小さく呟いて、ワルギリアもまた黄金の蝶となって消えて行った。

誰にも聞こえないぐらい小さな声で呟かれたその声は、誰にも届かない。



がらんとしたゴンドラの中は、まるで最初から誰も居なかったかのように冷たく冷えていた。

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