『今回予告』

よっしゃ!イエローだぜ!

平和な遊園地に再び襲い来るファントム!
でも、山羊も怪人も何人来てももう私達の敵じゃねぇぜ!
どんどん来やがれってんだ!!

え?今回の敵は山羊でも怪人でもない?
お前は!?ヱリカ……?新しいファントムの親玉か?!
自分から顔を出すなんていい度胸じゃねぇか!掛って来やがれ!!

え?私達の今回の敵はお前でもないって?
何を訳分かんねーこと言ってんだよ!じゃあ誰が………?!


え………?お前は――!?





『六軒島戦隊 うみねこセブン』  第31話 「欠片の向こう」






「それでね!あっちに行ったらお城の裏に出れるの!うー!!」
「そうなんですか。真里亞さんはとっても遊園地に詳しいんですね」

日曜日の遊園地。
沢山の家族連れで賑わうその場所に、真里亞の楽しそうな声が響いていた。
得意げに先頭を歩き、何が建物が見える度に真里亞はこの日の為に練習した説明を手を引く人物に向かってしゃべり続ける。
真里亞に手を引かれ、彼女が何か話す度に相づちを打っていたベアトリーチェもまた楽しそうに微笑むのだった。



「うー!ここでレインボーステーションエリアはおしまいだよ!ごせーちょうありがとうございました!」

エリア内の案内を終えた真里亞は紗音に教えて貰った締めの挨拶を告げるとぺこりと頭を下げる。
その目の前で、彼女の案内を受けたベアトリーチェと戦人はぱちぱちと小さな案内人に向かって惜しみない拍手を送った。

ベアト達の拍手に真里亞が嬉しそうにはにかむ。
そして、顔を上げた真里亞は再び目を輝かせえると、自分のお客さんである2人に向かってこう切り出した。

「うー!次は隣のプリズムオブフューチャーエリアを案内するけど、2人はちょっとここで待っててね!」
「?おい!真里亞?1人でどこに行くつもりだよ?!」
「熊沢さんがこの近くにおいしいアイスの屋台があるって教えてくれたから買ってくるの!すぐ近くだから戦人達はそこで待ってて!うー!」

そう言うと、真里亞は戦人が止めるよりも先に走って行ってしまった。
少し心配だが、遊園地の中なら真里亞だけでも問題ないだろう。
なにより、今日1日自分の力で遊園地を案内しようと頑張っていたことを知っていたから、
戦人も今日は口を出さずに真里亞に任せようと追いかけはしなかった。


だが今の戦人にとって、残るという選択には別の問題があった。

「ふふ、真里亞さん今日はとても楽しそうですね」

真里亞の背を見送りながら、ベアトが柔らかい笑顔を浮かべる。
以前の彼女ならまず浮かべなかっただろう穏やかなその表情に、戦人は今更だと思いながらも僅かに戸惑う。

それぐらい記憶を失った後の彼女は別人のようだったのだ。
どこか尊大だった態度は嘘のように消え。優しい、そしてどこか儚い笑顔を浮かべるようになった。
話そうとする時もいつも遠慮がちで、何か少しでも茶々が入るとすぐに黙ってしまうような大人しい性格へと変わっていたのだ。

朱志香や譲治は割と上手くやっているようだったが、前の彼女を知っている分逆に戦人は大きな違和感を感じてしまっていた。

だからと言って、関わりを避けるわけにはいかないことは戦人にも分かっていた。
グレーテルの反対を押し切ってまで、ベアトをここに匿うことを望んだのは他でもない戦人自身なのだ。
だからこそ今日、「ベアトと一緒にもう一度遊園地を回りたい。やり直したい」と願った真里亞に付き合うことにしたのだ。

「真里亞も張り切ってたからな。『もう一度今度はちゃんとベアトに遊園地を案内するの!』ってな」
「そうですか。”もう一度”ですか……」
「?……」

小さく息を吐き出した戦人はそう、意を決してベアトに向き合った。
しかし、その言葉に望んでいたような回答は返っては来なかった。
一言そう呟いた彼女は、顔を上げようともしないまま曖昧な笑みを浮かべたのだ。

そこで一端会話は途切れた。
なぜベアトがそんな反応を見せたのかが解らず、戦人も沈黙するしかない。
お互いに何も話さない気まずい空気が辺りに漂う。
それは、戦人にとって一番苦手な空気で、結局ほんの数分も耐えきることが出来きずに再び戦人は口を開いた。

「なぁ、あそこに教会が見えるだろ?覚えてないと思うけど、お前とは最初にあそこで会ったんだぜ?」

近くの木の向こうに見えた教会を指差しながら話し出す。
同じ方向を見上げたベアトがきょとんとした表情を浮かべたのを見もせずに戦人は先を続けた。

「迷子になってたのにどこか偉そうでさ。いっひひ、正直変な奴だなって思ったぜ。
まあ、その後色々あって、特に真里亞が仲良くなってさ。
俺も何回か一緒に遊園地を回ったんだけど、その時はまさかお前がファントムのリーダーだなんて思いもしなかったぜ」

空気に耐えきれず思いつくまま話しているのだ。当然、よく考えて話しているわけでもない。
それどころか話しかけている彼女の様子すら確認せずに戦人は兎に角話し続けた。
だから、戦人は気づけなかった。話しているうちに隣に立つベアトの表情がどんどん曇っていくことに。


「お前がファントムのリーダーだって解った時は吃驚して、訳が分からなかったけど……。
だけど、今はそれ以上にお前達が何を考えてたのかとか、
どうしてそこまでしなきゃいけなかったのかとか、もっと話しておけば良かったって思ったんだ。
だからお前が生きててくれて俺も、……良かったって思ってるんだぜ」
「そう、……ですか」






「真里亞さんが一緒に回りたかった方も、……戦人さんが話したかった人も、”私”じゃないんですね」
「え……?」


ぽつりとベアトが呟く。
言われた意味がわからず戦人がぱちぱちと目を瞬かせた。
そして、戦人がその意味を尋ねようとしたその時、ソレは起こったのだ。

「?!何だ?!」
「!!」

大きな爆破音と共に揺れた大地に驚いて戦人とベアトが顔を上げる。
とっさに目を向けたミッドナイトウイングエリアから煙が上がっていることに気づいて、戦人とベアトは同時に息を飲んだ。

「戦人!ベアト!!」

彼等をはっと我に返したのは、後ろから響いた声だった。
アイスを買いに行っていたはずの真里亞が走ってくるのが見えて戦人は大きく叫んだ。

「真里亞!あれは?!またファントムか?!」
「うん!今、霧江さんから連絡が来たよ。ミッドナイトウイングエリアで大量の山羊が発見されたって!もう譲治お兄ちゃん達は向かってる!」

戦人の問いに真里亞が答える。
ここまで分かればもう取るべき行動は一つしかない。
すぐに真里亞に頷いた戦人は、隣で不安げな視線を向けていたベアトにこう告げた。

「わりぃ。俺と真里亞は直ぐに向かわないといけねぇから、ベアトは基地に戻ってくれ」
「で、でも……」
「うー!真里亞達は大丈夫!ファントムが現れたのは基地の方角とは違うから大丈夫だと思うけどベアトも十分気をつけてね!」

こうしている間にもファントムは遊園地内で誰かを襲おうとしているかもしれないのだ。迷っている時間はない。
それだけ告げると、戦人と真里亞は直ぐにミッドナイトウイングエリアに向かって走り出した。



そして、その場にはベアトリーチェだけが残される。
ファントムが現れたエリアから離れているため、彼女の周囲だけ見れば先ほどまでと変わらない平和な遊園地の光景が広がっていた。
しかし、それも今だけだ。いつここまでファントムの山羊達がやって来るかはわからない。
戦人達が告げたように直ぐに基地に戻るのが正しいのだろう。

「………」

それが分かっていながら、ベアトリーチェは動けなかった。
決して短くない時間離れた空に漂う煙を睨みつけていた彼女は、ごくりと唾を飲み込むと戦人達が走っていった方向へ走り出した。





「はぁー、どいつもこいつも無能で嫌になっちゃいますよねー」

その頃、ミッドナイトウイングエリアの上空では1人の少女が面倒臭そうに眼下に広がる光景を見つめていた。
まるで平和な遊園地を飲み込む波のようにすら見える山羊の大軍が、少女の命に従い破壊の限りを尽くす。
普段ならば家族連れやカップルが行き交い、微笑ましい光景が広がっているはずのその場所は、今はまるで地獄のような光景が広がっていた。

しかし、その命令を告げた他でもない本人はまったく楽しそうではなく、むしろ飽き飽きとした様子でその光景を眺めていた。
ヱリカの隣に立った少女はその様子を見かねて、ドラノールは小さく息を吐き出した。

「……ヱリカ。あなたが命じたことデスのに、その態度は如何なものかと思いマス」
「だって、本当にくだらないんですよ。これじゃ今までしてきたこととまったく一緒じゃないですか。
まかせろって言うから連れてきてみましたが、この程度の案しか出せないような頭なら黙ってろって感じですよねぇ。
ああ!それに比べて我が主!流石素晴らしい作戦を授けてくださいます!」

さっきまでの面倒くさそうな顔はどこへやら。
そう告げると、ヱリカは急にうっとりと虚空を見上げた。
その視線の先に何を思い浮かべているのか、見慣れているドラノールは特に突っ込んだりはしない。
ただ、その手の中に何かが握られていることに気づいて、彼女は再びヱリカの方を覗き込んだ。

「それ……ですか?”あのお方”から与えられた秘密兵器というのは?凄い武器なのですか?」
「ええ、そうですよぉ。最も武器というには語弊があるかもしれませんけどね。
コレ事態にはまったく殺傷能力はないどころか、撃っても怪我もさせられないものですから」
「?」

その言葉にドラノールは僅かに眉を潜める。
ヱリカが握っていたのはどう見ても古い銃のように見えたからだ。
あまり大きなものではなく、こんなものであのセブン達に傷を負わせられるのかとは思っていたのだが……。
それでも”まったく殺傷能力がない”というのは腑に落ちない言葉だった。

セブンと自分達は敵同士。
怪我もさせられないというならば、そんな無意味な兵器をなぜ彼女はこのような戦場に持ってきたのだろうか?

「ふふ、通常の武器よりもずっと面白い光景がみれますよぉ?
ああ!お待ちください、我が主。コレを使って、私が最高の悲劇を献上してみせます!
……なので、そろそろ良いのかもしれませんね。私自身が前に出るのも」
「!!………」

にやりと笑ったヱリカが少し離れた喧噪の方を見る。
山羊の海が連なるその場所からは、時折山羊が吹き飛ばされる大きな音と、激しい閃光が瞬いていた。





「くっ……!うぜーぜ!!これじゃキリがねぇぜ!!
一般人が大勢いる休日の真っ昼間にこんなに襲って来やがって……!」

近くにいた山羊の1匹を殴り飛ばしながら、イエローが奥歯を噛みしめる。
しかし、彼女が切り開いた僅かな隙間は直ぐに後ろから踏み出してきた山羊によって埋められる。
戦って、退けて、しかしキリのない敵の兵に直ぐに切り開いた場所は埋められる。
先ほどからその繰り返しだった。

「……幸い。霧江さん達の避難アナウンスが早かったから殆どの人が逃げた後だったけど……。
逃げ遅れた人達を助けるに予想以上に手間取ってしまったみたいだね。こんな広範囲に山羊達の進入を許すなんて迂闊だったよ……」

イエローの言葉に続けてグリーンも苦い表情を浮かべながらそう告げた。
彼らの周囲には、今、見渡す限りの山羊の群が暴徒となって彼らを取り囲んでいた。
このエリアを埋め尽くすほどの、……いや、ひょっとしたらそれ以上かもしれない山羊が、遊園地に呼び出されていたのだ。

だが、山羊の海の中に放り込まれたような状況の中で、それでも勝機は十分自分達の方にあるとグリーンは見積もっていた。
敵の数は多い。だが、それだけだ。
自分達はここ数回の戦いでどんどん強くなっている。
7人で立ち向かえば、山羊ぐらい何人相手にしようと負ける気はしなかったのだ。

そして、その考えは最前線で拳を奮っているイエロー、レッド、ブラック達も概ね賛成だった。
僅かに視線を合わせた3人は互いの背を庇い合うように立つと、自分の獲物を強く握り直した。

「よし!!行くぞみん……!?」

だが、その時。
彼らの予想に反したことが起こった。
目の前の山羊の海がさっと、自ら割れたのだ。

カツン、カツンと、小さな足音が響く。
まるで花道のように、割れた山羊の道を一人の少女が歩いてくる。
青い髪を靡かせ、たっぷりとしたフリルのドレスに身を包んだその少女は、セブン達の前に立つとスカートの端を掴み優雅に頭を下げた。



「初めまして、こんにちは!!
あの無能共の代わりにこの度ファントムの前線最高責任者になりました。古戸ヱリカと申します!!
まぁ、恐らくそう長い付き合いにはならないでしょうが、どうかお見知り置きを!!我こそは断罪者!うみねこセブンを滅ぼす者!!」

「「!!」」

告げられた言葉に思わずセブン達は息を飲む。
このような形で現れたのだ。彼女がただの兵士ではないことはもちろん解っていた。
一度壊滅したファントムに新たな支配者が送り込まれているだろうことも。

だが、ずっと姿を見せなかったその人物が、いきなりこのように堂々と姿を現すとは思ってもいなかったのだ。
むしろ、何か罠ではないかとグリーンは素早く辺りに注意を向ける。
その横でヱリカを強く睨みつけていたレッドが絞り出すような声で彼女にこう告げた。

「へっ、丁寧なご挨拶痛みいるぜ……!
それで?今までこそこそ隠れてたヱリカさんがなんで急に出て来る気になったんだ?」
「くすくす、申し訳ございません。こちらの部下が無能で随分退屈させてしまったみたいですのでね。
データも集まりましたし、そろそろ茶番は終わりにしようかと思いまして」

レッド達が向ける殺気に気づいていないはずはないだろうが、ヱリカの態度は何も変わらなかった。
くすくすと小馬鹿にするような笑みを漏らした彼女はそう告げると、ざっとセブン達を値踏みするように見渡した。

彼女の視線と、そして何より彼女が告げたその言葉にセブン達の間に緊張が走る。
今まで後ろに下がっていた彼女が告げた『茶番は終わり』という言葉が何を意味しているのか直ぐにわかったからだ。

「……つまり、ようやく山羊に任せずに自分で戦う覚悟が出来たってことか?上等だぜ!返り討ちにしてやるからどっからでも掛かって来やがれ!!」
「申し訳ありませんが、あなた達のお相手は私ではありません。もっと面白い相手をご紹介いたしますよ!」
「!?」

高らかに宣言したヱリカがくるりとスカートを翻す。
舞を踊るように回転し、再び正面を向いた彼女の姿にセブン達が目を見開く。
一体、どこから出したのか?彼女の手の中には、古式の銃のようなものが握られていたからだ。

瞬時に状況を理解したグリーンが全員に一度下がるように叫ぶ。
その声に反応してコンマ1秒遅れで我に返った仲間達は直ぐにグリーンの忠告に反応して後退しようとした。

その光景をヱリカはまるでテレビの向こうの光景でもみるように淡々と見つめていた。
逃げようとしているセブン達に焦る必要もない。
彼らが後退するよりも、こちらがターゲットを打ち抜く方がずっと早いからだ。

他の人間には目もくれずヱリカはある1人を、――仲間達に注意を呼びかけた分、一瞬待避が遅れたグリーンに銃口を向けた。


(この男はうみねこセブンのブレーンのはず。
誰に使うか迷いましたが、こいつを失って右往左往するセブン達は見物でしょうからね。
うみねこグリーン、今回の祭りの主役はあなたにやって頂きましょう?)

にやりと、ヱリカが笑う。
引き金に指を掛ける。逃げようとするセブン達の姿がヱリカにはまるでスローモーションのように見えていた。
これで外す道理などない。欠片の躊躇もなく、ヱリカが引き金を引いた、その時。

退却しようとする彼らの中で、1人だけ。
逆の動きをした者がいた。

「グリーン!あぶねぇ!!」
「「!?」」

それは、レッドだった。
ヱリカの銃口が狙う先にいち早く気づいた彼は、グリーンの指示とは正反対の方に飛び、彼の体を強く押した!

ヱリカが大きく目を見開く。
しかし、既に放ってしまった銃弾はもちろん止まりも、軌道を変えもしない。
空を斬り裂くように飛んだその弾丸は、真っ直ぐに元々グリーンがいた場所を、――彼を突き飛ばしたレッドを、貫いた。

「!!!?レッド!?」

黒い閃光というものがもしあるのならば、今、目の前で瞬いたものがそうなのだろう。
レッドが苦悶の声を上げるよりも更に早く、彼の身は黒い光に包まれた。
慌てて駆け寄ろうとしていた仲間達もその光に拒まれ近づくことすら出来ない。
誰しもが目の前の状況を理解できず次の行動を決めかねていたその場で、ヱリカだけがくすりと、満足そうな笑みを浮かべた。

「……予定とは違いましたが、まぁいいでしょう。
これからどのような惨劇を見せてくれるか楽しみにしていますよ?うみねこレッド?!」
「待て!どこに行くつもりだ?!レッドに何しやがった?!」
「ふふふ、それは自分で見てのお楽しみですよ。大丈夫、直ぐにわかりますよ。”アレ”が何だったのか」

一方的に告げたヱリカが何もない空から取り出した鎌を奮う。
何もない空間で鎌を奮っただけなのだ。普通ならば何も起こるはずがない。
だが、次の瞬間そこからは遊園地の光景が消え、代わりにまるで空間事態を斬り裂いたように黒い闇が顔を出した。

「てめぇ!待ちやがれ……!!」
「それでは、ご機嫌よう。
あなた達が”彼”に勝てるとは思えませんが、まぁせいぜい頑張ってください。
我が主に献上出来るような展開を期待していますよ?うみねこセブン?」

見覚えがあるその光景は、直ぐにセブン達にガァプのワープホールを連想させた。
ヱリカが撤退しようとしていることに気づいたイエローは必死に手を伸ばしたが、ヱリカまでは届かない。
現れた時と同じように優雅な礼を残した彼女は、イエローの手から簡単にすり抜けると闇の中へと消ようとした。

「……ああ、そうだ。これよかったら使ってくださいね?」
「!?」

消える最後の瞬間、彼女は思いだしたように持っていた銃を思い出したように放り投げた。
宙舞うその銃はもちろんセブン達に向かって投げれたわけではない。
彼らの上空を飛んだその銃は闇の中に吸い込まれるように落下し、パシリと一つの手に握られた。

そして、その手を始まりとして、”彼”が暗黒の中から現れた。

「!?……」

レッドを包んでいた黒い光が弾ける。
弾けた光にグリーン達が目を細める。
その中で動く人影があったことを、彼らは確かに見た。

中にいるのはレッドだ。
ならば、そこから誰かが出てくるのならば、閉じこめられたレッドがヱリカの攻撃を破って出てきたのだ、と。
誰もがそう思っていたし、思いたかった。
だが、視界が戻り現れた人影にセブン達は誰も駆け寄らなかった。
それだけではない、逆に武器を取り戦闘を仕掛けるものすらいなかったのだ。


それは、出てきた人物が味方でも、敵でもなかったからに他ならない。

目を見開いたセブンの中で誰かがごくりと喉を鳴らす。

光の中からゆっくりと歩み出してきたのは……。
深淵に塗りつぶされたスーツを身に纏った、レッドだったのだ。





「レッド……なの……?」

間合いから一歩離れた場所から恐る恐るブルーが”彼”に問いかける。
しかし、彼は答えなかった。
自分の周囲で不安げな視線を送るセブン達をゆっくりと見渡した”彼”は、片手で顔を覆う様に額を押さえると、小さく肩を奮わせた。

「あは……、あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
「!!?」

初めは小さく、そして徐々に遊園地中に響きわたるような笑い声が辺りに響いた。
セブン達は動かない。
聞きなれた彼の声で響く、1度として聞いたことがない冷たいその笑い声に、セブン達は誰しもが動けなかったのだ。
自分を見る彼らのその瞳に困惑と、そして何よりも目の前の現実を何かの冗談だと思いたい
彼らの願望がありありと見て取れて、レッドは耐えきれず小さく吹き出す。
そして、彼はセブン達に向かって口を開いた。

「なんだよ?その間抜け面?せっかく俺たちのために血塗られた最高のステージが用意されたんだ、もっと楽しもうぜ?」
「君は……?”誰”なんだ?レッドじゃないのかい……?」
「まだ、そんなこと言ってるのかよ?状況が理解できてないってんだったら、お前等、”死ぬ”ぜ?」

レッドが、片手を掲げる。瞬き1つする間も与えずに、彼の放った黒き力はセブン達を地面ごと吹き飛ばした。














「……何なのですか?あの銃は?」


黒き力が放たれたことを少し離れた上空で確認しながら、ドラノールは隣に立つヱリカに向かってそう尋ねた。
くすりとヱリカが得意げに笑う。
まるでその言葉を待っていたとでも言いたそうな饒舌な口調で、ヱリカはその問いの答えを語りだした。

「ふふふ、我が主が与えてくれた秘密兵器です。そうですね、言うならば力のベクトルの変換機でしょうか?」

自分達幻想の住人が使う力と、彼らセブンが使っている力は実はまったく別物というわけではない。
むしろ本質的には同じ物と言っていいぐらい近いものなのだ。

違っているのは力の方向性。
まるで正と負、昼と夜のように正反対の方向性を持つ彼らの力は、
逆に言えば無理矢理向きを変えることで自分達側に引き入れることが出来るということでもあった。
そして、思考までも幻想側に染めてしまうことで敵を強制的に自分達の駒としてしまうというのが、あの銃の力だった。

「まぁ、無理矢理ベクトルを変えるんですから、もちろん万能ではありません。
こちらが無理矢理押さえつけている力を吹き飛ばすほどの力で攻撃すれば途端に元に戻ってしまうでしょう。
………ただ、それだけの力の攻撃を”彼”に向かってセブンが撃てるのか?とっても見物だと思いませんかぁ?」

くすくすとヱリカが笑う。
そして、その邪悪な笑みを見て、ドラノールは理解した。
今回のこの作戦の目的は、セブン達の壊滅でも、その1人をファントム側の駒にすることでもない。

中途半端な洗脳はきっとそう長くない時間で、彼らに解かれしまうだろう。
その過程で仲間と戦い合わないといけない彼らの苦悩を見ることを彼女達は楽しみにしているのだ。

「……私には、なんとも。ただ、ヱリカ卿はとてもいい趣味をしていると思いマス」
「ふふ、ほめ言葉として受け取らせて頂きますよぉ?
さぁ、私たちは高見の見物とさせて頂こうじゃないですか?
仲間を攻撃できるか、せいぜい苦しんで悩んでくださいよねぇ?うみねこセブゥウウウン?!」

ヱリカの高笑いが見下ろした遊園地に響く。

その眼下で今まさに”彼”と対峙しているだろううみねこセブンを心の中で哀れみながら、
ドラノールは隣に立つ仲間の笑みから目を逸らした。



+++


「おい!レッド!やめろ!どうしちまったんだよ?!お前は!!」

転がるようにしてレッドが放つ黒き弾丸を避けながらイエローが叫ぶ。
しかし、彼女の悲痛な叫びはレッドまで届いているようには見えない。
ならば直接ぶん殴ってでも止めてやろうとイエローが地面を蹴った。

しかし、薄ら笑いすら浮かべながらイエローに向き合ったレッドは、容赦なく手にした銃弾を彼女に向かって撃ち放った。

「グリーン!!ブルー?!」

銃弾の音が空を切り裂きイエロー達とは離れた場所を撃ち抜いた。
レッドが小さく舌打ちをする。ブルーに蹴り倒され照準がブレた手首を押さえながらレッドが下がる。

それを確認しながら、とっさにイエローを掴んで脇に飛んだグリーンと、ブルーがほぼ同時に地面に降りる。
レッドの銃から距離を取った彼らは、それでも注意深くレッドの持つ銃を睨みつけた。

「グリーン!ブルー!イエロー!!」

そこに散開していたホワイトとブラック、そしてピンクが駆け寄ってくる。
青く染まった彼らの表情には一様に困惑の色が映っていた。

「これはどういうことなんでしょう……?どうして、レッドが急に……!」
「落ちついて、皆あの銃に注意して。レッドがおかしくなったのは僕を庇ってあの銃に撃たれてからだ。
恐らく、彼が今撃っている黒い銃弾に当たってしまったら僕達も同じようになってしまうんだと思う……」

険しい表情をしながらもグリーンはまだ冷静だった。
状況を考えればレッドがおかしくなったのはヱリカの攻撃を受けた以外には考えられない。
レッド自身が洗脳されているのか、それとも彼の体が別の何かに操られているのか、
それともあの暗黒の中で彼とそっくりの怪人に実は入れ替えられてしまったのかはわからない。
しかし、何れにせよたった1発の銃弾で敵を自分側に引き込んでしまうような能力があるならば、恐ろしい驚異だった。

「おいおい、逃げてばっかりじゃつまんねーぜ?ちゃんと遊んでくれよなぁ!!」

一定の距離を保ったまま近づいてこようともしないセブン達に業を煮やして、赤黒く染まったレッドが再び引き金を引く。
斬り裂くような激しい音と共にいつもの青い弾丸とは違う、黒い銃弾がセブン達の足下に放たれる!
跳び退くように銃弾を避けたグリーンは、仲間達に建物の影に隠れるように指示をし、立ち上がった。
そして、グリーンはホワイト達が止めるのも聞かず、自分は1人”彼”の前に立った。

逃げることをやめ、立った一人自分の前に立ったグリーンにレッドは楽しそうに目を輝かせたが、直ぐにその表情は怪訝なものに変わっていった。
反撃してくる、……なら解る。
だが、グリーンからは向かってくるような雰囲気は微塵も感じられなかった。
警戒は止めないまま、グリーンはただ自分の前に立ち鋭い視線を向けてくる。その意図が分からずレッドは僅かに眉を潜めた。


「君は……、レッドなのかい?なぜ僕らを攻撃するんだい……?」

距離を取りつつグリーンが注意深く尋ねる。
彼が一体どういう状況なのか、探る必要があった。
答える必要はないと切り捨てられるかと思ったその質問に、しかし彼は素直に応じた。

「レッド……、と言えばそうなのかもしれねぇし。
そうじゃないと言えばそうなのかもなぁ?少なくともこの体は奴のものだし、
俺自身だって奴とまったく関係がないわけじゃないからなぁ?」

にやりと笑い、黒いレッドは髪を掻き上げた。
その様子、口調、そして彼が告げる言葉を注意深くグリーンは見つめる。
レッド自身ではない、……と思う。
彼なら自分達を攻撃するわけはないし、この黒いレッドはレッドのことを”奴”と呼んだ。
しかし、細かい攻撃の癖や纏う空気は間違いなくレッドのものだった。結論を出しかねたグリーンは再び口を開いた。

「奴……?体は……、ってことは君はやっぱりレッドじゃないんだね?!じゃあ、レッドはどうなったんだい?!」
「奴だったらここで寝てるぜ。俺はあいつであってあいつではない。
無数の欠片の中に存在する俺達の中からファントムにとって有益な俺を探し出して、”上書き”する。それがこの銃の力らしいからな」

黒いレッドが告げた言葉にセブン達が目を瞬かせる。
彼の言葉の意味を理解しようと一瞬戸惑った彼らの中で真っ先に声を上げたのはイエローだった。

「じゃあ、お前は別の世界のレッドだって言うのかよ?!
嘘つくな!!どこの世界だろうと!レッドが私達の敵になるわけねぇだろ!?」
「俺みたいなお前だって、どこかには居るぜ?
そこにいるブラックをセブン達に消されて狂った世界とかなぁ?信じられないなら直ぐにでも呼び出してやってもいいんだぜ?!」

黒いレッドが再び引き金を引く!
しかし、彼の放った銃弾は彼女までは届かない。
一歩も動かなかったイエローの目の前で見えない壁に弾かれた銃弾は明後日の方向に飛んでいった。

予想外のその光景に黒いレッドが眉を潜める。
壁を作ったホワイトに小さく頷いたグリーンは彼の疑問に答えるために一歩前に出た。

「無駄だよ。その銃弾は当たれば確かに驚異だ。だが、軌道は直線だ。
射程もスピードも、レッドの”青き弾丸”に比べればとてもお粗末なものだね。
油断さえしていなければ十分避けられるし、防げるものだよ」
「へぇ……?」

淡々とグリーンが告げる。
その言葉に初めて黒いレッドは違った反応を見せた。
表面上は薄ら笑いを張り付かせていたが、その目には明らかに不機嫌な色が揺らめいていた。

黒いレッドが銃を握り直す。
リロードし、弾を込め直した彼は再び銃をセブン達に向けるとにやりとした笑みを浮かべた!

「じゃあ、試してみようじゃねぇか!!」

彼の宣言と共に銃弾が雨のように降り注ぐ。
しかし、そんな攻撃ではセブン達はもう呼吸すら乱さなかった。
グリーンの視線に頷いたイエローとブラックが横に、そして後衛を担うホワイト、ピンクが後ろに瞬時に飛ぶ。
黒いレッドは上空に飛んだイエローとブラックに直ぐに照準を向けたが、放った銃弾はどれも簡単にホワイトの壁によって弾き飛ばされた。

そして、次の瞬間。
彼が不味いと思った次の瞬間には、イエローとブラックは目の前まで迫っていた。
2人を打ち落とすことを諦めた黒いレッドは彼らの攻撃から逃れようと後ろに跳び退こうとした。
それをピンクは見逃さない。

すぐさま振られた彼女の杖からピンク色の煙が立ち上り、黒いレッド、そしてイエローとブラックを包み込む。
突然奪われた視界に、一瞬黒いレッドの足が、止まった。

「!!―――」

しかし、それは本当に一瞬だった。黒いレッドは行動を変えない。
見えないのは共に煙に包まれたイエローとブラックも同じなのだ。
急に自分に併せて行動を変えてくるなど、出来るわけがない。

迷うことなく黒いレッドが強く地面を蹴る。
黒いレッドが煙を抜け背後の地面に降り立ったのと、イエローとブラックが彼が居た場所を叩いたのはほぼ同時だった。

そして、その次の瞬間――。

「甘いよ。そろそろいいよね?こっちからも反撃しても――!!」
「!!?」

1つの影が彼の真上に掛かった。

飛び出してきたのはグリーンだった。
遙か上空から踵落としを食らわせようとグリーンは、
たった今、背後に跳んだ自分に向かってしっかりと構えていた。
彼の姿を見て黒いレッドは前の2人が単なるおとりだったことを理解する。

不味い、と。本能が告げる。
しかし、ピンクが放った煙はまだ消えていない。
視界が悪く、背後に跳んだばかりだった黒いレッドは一瞬次の行動を迷い、動きを止めた。

その一瞬が、グリーンが黒きレッドに鉄槌を落とすまでには十分だった。

大きく振りかぶったグリーンの蹴りが、叩きつけられる!
黒いレッドは来るであろう衝撃に耐えるために強く目を閉じ、体を強ばらせた。

地面が揺れる。しかし、予想していた衝撃はいつまでたってもやってこなかった。
流石に怪訝に思った黒いレッドが僅かに目を開ける、……と。
その瞬間、彼の首も元に寸止めの蹴りが突きつけられた。

「警告する。その玩具で僕たちは倒せない。直ちに捨てて投降をお勧めする!レッド君の体から直ぐに出ていくんだ!!」
「………」

蹴りを突きつけながらグリーンが叫ぶ。
彼が少しでも力を入れるだけで自分は吹き飛んでしまうことを
悟った黒いレッドは素直に両手を上げると、右手に持っていた銃を地面へと落とした。

軽い音を立てて銃が地面を転がる。
いつの間にかグリーンの背後に立っていたブルーがソレを黒きレッドの手の届かない場所へと蹴り、遠ざけた。

そして、近づいて居たのはブルーだけではなかった。
左右には武器を構えたホワイトとピンクが、背後にはイエローとブラックが。
油断なく、黒いレッドを包囲していた。

視線だけをぐるりと回した黒いレッドは、そう簡単には彼らの包囲網から抜け出せないことを理解する。
少なくとも先ほど振り回していた銃ぐらいでは彼らには対抗出来ないだろう。

それを理解した黒いレッドに最初に浮かんだ感情は、
………気だるい授業から解放された時のような、晴れ晴れとした気分だった。

「はは、ははははははははははは!!」
「!?何を……!」

再び笑いだした黒いレッドにグリーンが困惑の表情を浮かべる。
引くにしろ突きつけた蹴りを放つにしろ、彼が動くより先に突きつけられたその足を黒いレッドが強く握る。
思いも掛けないその行動に目を瞬かせたグリーンに向かって、黒いレッドはねっとりとした笑みを浮かべた。

「あいつらには”ソレ”で出来るだけ駒を増やすように言われてたが……。
お前等には”太刀打ち出来なかった”んだ。もういいよな?
ああ、俺には知ったこっちゃねぇ。こんな面倒なことつき合ってられねぇよなぁ……!!」

グリーンを掴んだ黒いレッドの右手が光る。
慌てて動いたブルーが彼を止めるよりも先に、黒い闇が彼女達の目の前で弾けた――。




「――っ!………?」

その地響きは少し離れた場所に立つ、ベアトリーチェの元まで伝わっていた。
急に震えた地面によろけそうになり、ベアトが慌てて近くの壁に手を突く。
幸い揺れは一瞬で止んだが、それが進行方向で光った黒い光のせいだと気づき、彼女はごくりと息を飲んだ。

何が起こっているかは解らない。
だが、今の邪悪な光は恐らくセブン達の物ではないことぐらいは彼女も解っていた。
自分が行っても何も出来ない。それどころか敵に捕まって、彼らの足を引っ張ってしまう可能性も高かった。

「……でも」

胸の前で手を強く握りしめて、ベアトリーチェは立ち上がった。
震える足を一歩前に出して歩き出す。
迷いと逃げ出しそうになる気持ちを押さえつけて、ベアトリーチェは光の発生源に向かって再び走り出した。

知ってる。
戦人や真里亞が戦っている人達が自分と関係が深い人達だということを。
思い出せもしないけど、かつての自分がその人達と同じようにこの世界に害を与えていたことを。

セブンの基地に保護され、そのことを聞かされた時ベアトリーチェは信じられなかった。
それどころか、かつての自分がなぜそのようなことをしようと思ったのか、
具体的に彼らに何をしてしまったのか、想像することすらも出来なかったのだ。

それが、……ベアトリーチェには悔しい。

あの基地の人達は皆優しくて。
自分が何をしてしまったのかを問いかけても、困ったように笑うばかりで具体的には教えてくれなかった。
それが、記憶を失った自分を思ってのことだということはわかる。その気持ちを嬉しいとも思う。

だが、それでは嫌なのだ。
一体彼らとかつての自分の間に何があったのか。
彼女が何を願って、何をしようとしていたのか。
それを、知りたい。知らないといけない。

そのためにベアトリーチェは危険を承知で戦人達の所へと走っていた。

ベアトリーチェが居た場所からセブン達が戦っている場所まではそう離れてはいなかった。
しかし、彼らの方へ近づけば近づくほど、
道は山羊の大軍に覆われベアトリーチェは見つからないように迂回して、あるいは隠れて進むしかなかった。

幸い山羊達は自分の目線の下に動く物には反応が弱かった。
そのため時間は掛かったが、ベアトリーチェは建物や瓦礫の影に隠れるようにして
セブン達がいると思われる広場の方へと近づくことが出来た。

店舗の影に隠れながら、ベアトリーチェは注意深く広場の方を確認する。
そして、彼女は目の前に広がる光景に顔を真っ青にした。

「そんな……!?」


ほんの数時間前まで家族連れが行き交っていたはずの広場は見る影もなくなっていた。
周りに植えられていた木は倒れ、建物も一部崩れている所すらあった。

そして、何よりも驚いたのは、周囲に倒れている存在だった。

柱の影にピンク色の小さな体が倒れていた。
力なく倒れるその姿に叫び出しそうになった自分をベアトリーチェは必死に押さえ付ける。
大丈夫。僅かに胸が動いているのが見えたから、ただ倒れているだけなのだ。
どんどん早くなっていく鼓動を押さえつけながら、
ベアトリーチェは他のセブン達の姿を求めて視線を周囲へと向ける。
すぐにピンクの側に倒れるイエローとグリーンの腕を、
少し離れた所に座り込むホワイトと倒れるブラックの姿を、
何者かに壁に叩きつけられたように見えるブルーの姿をベアトリーチェは見つけることができた。

そして、何よりも彼女を混乱させたのは倒れている姿がそれだけではなかったことだった。
セブン達だけではなく、この遊園地を襲って来たはずの山羊達もまた同じように周囲に倒れていたのだ。

そして、全てが薙ぎ倒されていた広場の中で、1人だけ立っている者がいた。

「戦人……さん……?」

広場の中心を起点として、丁度自分の対角線上の店に寄り掛かるようにしてその男は立っていた。
その姿が山羊ではなく自分のよく知る戦人の者だと気づいて、
ベアトリーチェはほっと息をついて建物の影から姿を露わした。

しかし、その行動が誤りであったことを彼女が理解するまでにそう時間は掛からなかった。
呼びかけた声と、立ち上がった姿に戦人が、……違う。

戦人の姿をした別人がベアトリーチェに気づく。

ゆっくりと合った目には、震え上がってしまいそうなほど冷たい光と笑みが灯っていたのだ。

「……――っ!」

彼が一度だって浮かべたことがないその光によって、ベアトリーチェは彼が戦人ではなく
自分にとって害を加えるものであることを直ぐに悟る。
その瞬間、ぞくりとベアトリーチェの背筋に冷たい物が背上がって来るのを感じた。
直ぐにでも踵を返して逃げ出したくなった自分をなんとか押さえつけられたのは、
周囲に真里亞達が倒れたままになっていたことと、そして何より、本当の彼が見当たらなかったからだった。

「あ、あなたは……、”誰”ですか?!戦人さんはどこですか……?!」

精一杯虚勢を張ったつもりだったが、それでも絞り出した声は震えていた。
こっちの心境はとっくにばれているらしく、黒いレッドが小馬鹿にするように小さく笑う。
相手のその態度にベアトリーチェの方も多少感じるものはあったが、この状況では文句を言える状況でもない。
ベアトリーチェはせめて強く睨みつけながら、彼が何か答えるのを待った。

小さく黒いレッドが笑う。
愉快そうに口を開いた彼の瞳は、なぜか少し柔らかくなっていたように彼女には見えた。

「……驚いたな。ここではまだお前生きてるのか?
あいつらが出てきてるってことは、一度俺達がファントムを倒した後だろうに」
「………何をおっしゃっているのか、よく解りません。
それよりも質問に答えてください!あなたは”誰”ですか?!戦人さんは”どこ”なんですか?!」
「お前こそ何言ってるんだ?右代宮戦人なら”ここ”にいるじゃねぇか?」

不敵な笑みを浮かべて、黒いレッドが自身を指さす。
ベアトリーチェの目が瞬く。
それでも彼が何を言おうとしているのかを見定めようと、彼女はその言葉を否定しなかった。
黙ったまま、じっと彼女が黒いレッドを見つめる。
それを彼女が自分に萎縮した所為だとでも思ったのか、
黒いレッドは気をよくしたように笑うと饒舌な口調で先を続けた。

「俺が、そうだぜ?お前が探している”右代宮戦人”だ。
……”別の欠片の”だけどな。
でも、問題ないだろう?この体も、魂もお前が探している”右代宮戦人”と何も代わりはねぇ。
だったら俺が”右代宮戦人”でもいいはずだろ?」



「違います」

はっきりとした拒絶の言葉が辺りに響く。
それは、黒いレッドが思わず言葉を止めてしまうほど強い言葉だった。

黒いレッドが話していたままの姿で動きを止める。
その彼が浮かべていた表情はさっきまでの冷たい笑みが嘘のような、きょとんとした間の抜けたものだった。
その表情に笑うでもなく、驚くでもなく。ベアトリーチェは強い瞳で黒いレッドを睨みつけた。

一歩、彼女が前に出る。
そして彼女は、はっきりと宣言した。

「あなたは私が探している戦人さんじゃありません。
……私が、戦人さんが話したいと思っているベアトリーチェじゃないように」
「はっ……?」

さっきの戸惑った様子が嘘のように堂々と、ベアトリーチェは黒いレッドに詰め寄ろうとした。
急に彼女がとったその行動に黒いレッドが困惑の表情を浮かべる。
その目の前でベアトリーチェは小さく吐き捨てるように笑った。

「あなたが戦人さん?笑わせないでください。彼はあなたみたいな笑い方は”し”ない。
仲間が周りに倒れているこの状況で何もせずにいられるような人じゃない。
ましてや、自分から仲間を傷つけるような人じゃ絶対にない!
戦人さんは敵であったはずの私を助けて、気に掛けてくれるような優しい人です!
あなたが別の欠片とやらでどのような目に合われたのか私は知りません。
でも、その心を失った時点であなたは私が探していた戦人さんじゃありません!!」

ベアトリーチェがまた一歩前に出る。
それはいつの間にか、手を伸ば黒いレッドに届くような距離になっていた。
驚いて指一つ動かせなかった黒いレッドの前で彼女は躊躇することなくその腕を、掴んだ。

「成れないんです。
たとえどれほど姿が近くても、たとえ本質的には同じものだと言われても。
ここで誰かが望んでくれる”彼ら”には成れるわけがない……!
だって、彼らと私達は違うモノなんですから!!」

吐き捨てるようにベアトリーチェが叫ぶ。
自分を睨みつける青い大きな瞳は、今にも泣き出すのを堪えるように潤んでいた。
そしてmその瞳が自分を通り過ぎてどこか遠くを見ていることに気づき、黒いレッドは目を瞬かせた。


「”戦人”さんを返してください!あなたも……、この世界には必要とされてない!!」
「――っ……!!」

絞り出すようにベアトリーチェが叫ぶ。
更に強く握りしめられた腕を黒いレッドはそれ以上の力で振り払った。
元々力が強いわけではない。
跳ね飛ばされた力にベアトリーチェは為すすべもなく体勢を崩し、その場に倒れ込んだ。

彼女から目を離さないまま、黒いレッドは近くに落ちたままになっていた銃を拾う。
小さな呻き声が倒れたベアトリーチェから響く。
なんとか起きあがろうと腕に力を込めたベアトリーチェの額に、カチャリと。
冷たい銃口が突きつけられた。

「………」

自分を見下ろす冷たい視線に対して、ベアトリーチェは負けない意志を灯した瞳で迎え撃った。

「……さっきの言葉、そのまま返すぜ。黙れ、何を言ってるのかさっぱりだぜ。」
「あなたは”右代宮戦人”ではありません。
少なくともこの世界で必要とされている”右代宮戦人”では。あなたが戦人さんを名乗るのは、……不快です」
「……どうやらお前と話して居ても時間の無駄みたいだな。
なら、もうちょっと話が分かる奴に出てきてもらうことにするぜ!!」
「!!」

黒いレッドが銃に引き金を掛ける。
そして、再び黒い光が、弾けた―――。


暗い闇の中に落ちていく感覚だけがあった。
恐る恐る開けた目には何の光も映らない。
それでもベアトリーチェは自分がただひたすら暗い闇の中に落ちていることをはっきりと理解した。

穴は深く、そこまで考えた後でもちっとも底に叩きつけられる様子がなかった。
ただ落ちていくだけで何も出来ないと自然と思考に耽ることになる。
次にベアトリーチェの頭に浮かんで来たのは先ほどの自分の行動のことだった。

どうして、私は……。

「あんなにムキになってあの人に言い返したりしたんだろう……?」

あの冷たい目を見た時、あの人が自分のよく知る右代宮戦人ではないことは直ぐに解った。
とても近い、でも絶望的に違う人間。
にも関わらずあの人が当たり前のように”右代宮戦人”を名乗った瞬間、彼女は耐えきれなかった。


まるで”ベアトリーチェ”に成り済ましている自分を見ているようで、……耐えきれなかったのだ。



目覚めて彼らに最初に自分のことを説明された時から、本当は彼女はずっと違和感を感じていた。

自分がファントムという組織のリーダーだとか、恐ろしい力を持つ魔女だとか。
彼らと一緒に遊ぶぐらい仲が良かったのに、お互いに正体を知らないまま戦ってしまったとか。
「崩れた城で行方不明になった時は死んでしまったかと思ったけど、生きていて良かった」と
真里亞に抱きつかれた時も彼女はまったくその話を自分のこととして受け取れてはいなかった。

彼らが語る話はどこか遠い、まるで物語のヒロインの話のようで。
どれだけそれが自分の話だと言われても、そう思おうとしても、
どうしても他人事以上には感じることは出来なかったのだ。

最初はそれも自分が記憶を失っているせいかとも思った。
彼らの言うとおりそのうち記憶が戻れば、
彼らの話をちゃんと自分自身のことだと納得出来るようになり、
彼が求めている言葉も返すことが出来るようになるのではないのかと、そう信じていた。

だけど、彼らと一緒に生活してもその違和感は消えることはなく、むしろどんどん大きくなっていった。
前の自分の話をされてもぴんと来なくて、一緒に過ごしたという思い出に曖昧な笑顔しか返せない。


いつからだったのだろう?
この人達は人違いをしてる。

一緒に過ごす彼らとの日々の中で、そのことに気づいてしまったのは。



戦人も真里亞も、彼らが自分によくしてくれているのは”ベアトリーチェ”と関わりがあった所為だ。
真里亞が遊園地で一緒に遊びたかった相手も、戦人もう一度ちゃんと話したいと願った相手も、きっと自分ではない。

それなのに、自分は”ベアトリーチェ”のフリをして、彼女の居場所に居座ってしまっている。

そのことに気づいてから、彼らの笑顔を見る度に胸がちくりと痛んでたまらかった。
優しく笑い掛けてくれる彼らのことが大好きだからこそ、騙していることが辛くて仕方なかったのだ。

それでもここを追い出されてしまえば行く所もない。
言い出す勇気もなく、彼らから離れて1人で生きていくことも出来ず。
結局彼女は、はっきりと言い出せないまま今日まで来てしまった。

そして、その生活の中で大きくなっていったのは、
彼らに対する罪悪感と、………昔の自分への嫉妬にも似た憤りの感情だった。


「……どうして、”ベアトリーチェ”は」

……いなくなってしまったんだろう?

どこに行ってしまったんだろう?

何を想って、戦人さん達と戦っていたんだろう?


一筋の光すら見えない闇の中で思考だけがいくつも、いくつも浮かんでは消えていった。
本当に。自分でも押さえきれない涙みたいに、いくつも、いくつも……。

かつてのベアトリーチェのことを彼女は何も知らない。
何を思って、人間界を侵略しようと思ったのかも。
敵であったはずのベアトリーチェが、
セブンのメンバーである戦人や真里亞とどんな気持ちを抱いていたのかも。

だけど、戦人達と過ごした日々の中で、戦人達がベアトリーチェに思っていた感情は知っていた。
それはとても複雑で、きっと戦人自身ですらはっきりと自分の気持ちを理解していないのかもしれないけれど。
それでも、わかる。

戦人や真里亞は。
ひょっとしたら紗音や嘉音や他の皆だって、少なくとも本当はベアトリーチェと戦いたくなかったのだ。

もしかしたら本当は戦わなくても良い道があったのではないだろうか?と、
そんな後悔が彼等の胸には、今も重くのし掛かっているのだ。


何故ベアトリーチェやファントム達が人間界を侵略して来たのか、そんな理由すら知らないまま彼らは戦った。
いっそそれが気にならないほど未知存在だったなら、まだ彼らもこんな風に悩まなくても済んだのかもしれない。

だけど、”ベアト”というファントムのリーダー以外の彼女と出会ってしまっていた彼らには、
彼女達がただ残酷の限りを尽くすだけの化け物だと思い込めるほど無知にはなれなかった。

別の道を探すにはお互いのことを知らな過ぎて、
そのまま通り過ぎるにはお互いのことを知り過ぎていた彼らが、
突然現れた”ベアトリーチェ”と再会して、
出来ることならもう一度ちゃんと向き合ってやり直したいと思うのは当然のことだった。

その気持ちを理解してしまったからこそ、
……彼女は憎らしいのだ。

”ベアトリーチェ”とまったく同じ姿を持ちながら彼らのその想いに答えられない自分と。
その想いに答えられるのに、どこかに消えてしまった”ベアトリーチェ”が。
どうしようもなく、……やり切れないのだ。


「ねぇ?あなたは……、何のために戦人さん達と戦ったの……?
どんな気持ちで戦人さんや真里亞さんと一緒にこの遊園地で遊んだの……?」

落ちながら暗い闇の向こうに向かって呼びかけた。
答えは、ない。
あるわけがない。

それでも、涙と一緒に溢れる呼びかけを止めることは出来なかった。
押しつぶされそうになっていたのは、彼女もまた同じだったのかもしれない。
本当のことがばれるのを恐れて、ずっと胸に秘めたまま口にすることすら出来なかった想いは、
持ち続けるには重すぎた。

「どうして……、あなたは消えてしまったんですか?!
どこにいるんですか?!私だけを元の世界に置き去りにして、一体何をしてるんですか?!
私に……、どうしろって言うんですか?!
ねぇ?!答えてください?!アトリーチェェエエエエエエエエ!!」


彼女の流した涙が、引き裂くような叫び声が、闇の中に吸い込まれるように消えていく。
すると彼女の問いに答えるように、何も見えなかった暗闇の中に光が瞬いた――。



そして、気がつくと。
彼女は、暗い庭園の中に立っていた。

「……?」

不思議な場所だった。
どこにも光源となるものが見えないのに、なぜか薄暗い周囲ははっきりと見渡すことが出来た。

きれいに剪定された植木が見える。
少し離れた所に誰もいない東屋が、植木で作られたアーチのような物が見えた。
その所々に幾つもの薔薇が咲いているが、そのどれも色を失った灰色の薔薇だった。

誰かいないかと思って、彼女は灰色の世界の中を道に沿って歩いた。
人どころか生き物の気配すら感じない庭園の中を一人で歩く。
するとずっと続いているように思えた景色の中に直ぐに変化が現れた。


彼女の目の前に、見上げるように高い柵が現れたのだ。

行く手を塞ぐように現れたその柵は、木々に遮られて終わりが見えないぐらい遠くまで真っ直ぐに伸びていた。
近づいて、彼女は柵の向こうに視線を向ける。

塀の向こうに広がっていたのはこちら側で見た景色とまったく同じモノだった。
綺麗に整備された灰色の薔薇庭園と、彼女が歩いて来た道がずっと向こうまで続いている。
この柵に囲まれているのは向こう側なのか、それともこっち側なのか?
そんなことすらよく解らなくなるほど、良く似た柵の向こうの風景の中に。

彼女、”彼女”を見つけた――。




「――っ……!」

金色の髪を靡かせてゆっくりと1人の女性が歩いて来る。
黒いドレスが庭園に掠れて僅かに揺れる。
どこかぼんやりとした、様子のその女性は、髪を卸した自分とまったく同じ姿をしていた。



「ベアト……リーチェ………?あなたがベアトリーチェなんですか?!」

その女性が”誰”なのか?
直ぐに気付いた彼女は柵に縋りつくように身を乗り出して、そう叫んだ。
その声に漸くこちら側に気づいたのか、ベアトリーチェは立ち止まり、ぼんやりと生気のない瞳を彼女へと向けた。

その目に彼女は驚く。
戦人達に聞かされたベアトリーチェは彼らを振り回しながらどんどん進んで行ってしまうような、エネルギーに溢れた人だった。
だから、彼女には目の前に佇む幽霊のような希薄なこの女性がベアトリーチェだとは俄かには信じられなかったのだ。


「あなたが……、ベアトリーチェ?」

目の前の女性にもう一度問いかけた。
その問いに、女性は少しだけ考えるような素振りを見せた後、小さく頷いた。

「如何にも、……とは言え、それはそなたも同じであろう?
妾は確かに、かつてベアトリーチェと呼ばれていた魔女だが、今表に出ているのはそなたなのだし、
そう言う意味ならば、その名は妾ではなくそなたを示すものになるのではないかぁ?」
「それは……、そうかもしれませんが……!いいえ、そんなことより!
あなたがかつてのベアトリーチェだと言うんでしたら、あなたはどうして戦人さん達の前から姿を消したんですか?
こんな所であなたは何をしているんですか?!」
「………疲れたのだ。もう」
「え……?」

深く息を吐き出したベアトリーチェの言葉に彼女は目を瞬かせた。
呟かれた簡素な言葉の真意が見えず、じっと彼女はその目を見つめる。

流れた金色の髪の向こうでベアトリーチェの深い青が小さく揺らぐ。
じっと見つめる彼女の瞳から、こちらが続きを求めていることに気づいたのか、
ベアトリーチェは長い沈黙の後、再び口を開いた。



「疲れたのだ、もう。”ベアトリーチェ”でいることに」


無知だった。
本当に自分でも笑ってしまうぐらい、何も解っていない小娘だったのだ。
ファントムのリーダーとして祭り上げられ、
初めて外の世界に出れたことに舞い上がって、一体自分達が何をしようとしていたのか、
自分を外に出すために周りの大切な人達が何をしてくれたいたのかまったく理解していなかった。

漸く自分達がやろうとしていることを理解して舞台に上がる覚悟が出来たのは、
セブン達が城に乗り込んでくる直前のことだった。
いや、あの時点でも本当に理解していたのかは怪しいと今は思う。
ワルギリア達、幻想の住人を守るために戦うと決め、
相手が引かないならば迷わず倒すことが正しいと覚悟したはずだったのに。
セブン達の正体が戦人や真里亞達だと気づいた時その覚悟はあっさり崩れさり、
ベアトリーチェは確かに戦うことを躊躇してしまったのだから。

”自分のことを2人は知っていたのだろうか?”
”知っていて自分と一緒に過ごしたのだろうか?”
”彼らが自分に向けてくれた笑顔は嘘だったのだろうか?”
”いや、もし彼らも自分と同じように今、この事実を知ったのだとしても、戦人や真里亞は自分の正体を知ってどう思っただろうか?”
”優しい二人が自分を倒そうと考えるほど、自分達がしていたことは許されないことだったのだろうか?”

そんな疑問と不安が一度に溢れた。
戦いの最中にそんなことで頭を満たしてしまったベアトリーチェが敗北したのは、ある意味当たり前のことだった。


本当は、あの時。
自分の上に城が崩れて来てほっとしたのだ。

ここで消えればもう何も考えなくて済むと思った。
幻想の住人の行く末も、セブン達とこれからも戦い続けないといけないのかも、
自分達がしようとしていたことが本当はどういうことなのかも。

戦人や真里亞が、………本当はどんな気持ちで自分と関わっていたのかも。
自分の正体を知ってどう思ったのかも。
全部目を背けて、優しい記憶だけを持って消えてしまいたかった。



だからベアトリーチェは、あの崩落から奇跡的に生き残った時に、自ら目を覚ますことを拒んだ。
そして、その空っぽになった体に”彼女”の意志が宿ったのだ。


「もう、疲れた。妾はもう現実世界に戻りたくない。消えてしまいたいのだ」
「……」

いつの間にかベアトリーチェは柵の近く、彼女の前に立っていた。
淡々と語るベアトリーチェにどう返していいのか解らず、彼女は俯いた。
返事も返さない彼女が怒っているとでも思ったのか、
ベアトリーチェはもう一度深いため息をつくと、柵を握りしめる彼女の手にそっと自分の手を重ねた。


「……そなたに押しつけた、と言われればその通りなのだろう。
そのことに関しては素直に謝罪する。お詫びにもならぬかもしれぬが、代わりにその体は好きにすればよい。
そなたならばセブン達も敵意を向けたりはせぬであろう?
ファントムが奴らに対してしたことは全て妾の責であり、そなたには関係ない。
そなたが気に病む必要も、責任を取る必要ももちろんない。
これからはそなたはそなたとして、好きに生きれば良いのだ。
戦人や真里亞なら……、きっとそなたを受け入れてくれる」
「――…こと、――さい……」
「む?何だ?何か言ったか……?」

ずっと黙ったままベアトリーチェの言葉を聞いていた彼女の口が僅かに動く。
小さなその声はベアトにはなんと言ったかまでは聞きとることが出来なかった。
ちゃんと聞こうとベアトが彼女の口元に耳を近づけようとする。

その瞬間、急に彼女が強くベアトリーチェ腕を掴んだ。

「勝手なこと……、言わないでください……!!」


思いがけない彼女の行動に目を見開くのは今度はベアトリーチェの番だった。
絞り出すような声で叫んだ彼女の手は小さく震え続けていた。

「もう消えたい?知るのが怖い?そんなの許されるわけないじゃないですか……?
あなた達が始めた戦いでたくさんの人達が傷ついたんですよ……?
あなたが掲げた大義名分の下で、まだ戦ってる人がいるんですよ……?
そのリーダーだったあなたが、全てを投げ出すなんて許されるわけないじゃないですか?!」

震える彼女の手をベアトリーチェは驚いた表情で見つめていた。
大人しく見えた彼女がこんなにはっきりと非難の言葉を叩きつけて来るとは思ってなかったからかもしれない。

そして、叩きつけられた正当な非難の言葉にベアトの胸にまず浮かんだのは、逃げ出したいという感情だった。
だが、揺らいだベアトリーチェの瞳からかそれとも僅かに下がりかけたの足からか、その感情は直ぐに彼女に気づかれてしまった。
離れようとしたベアトリーチェの腕を、彼女は逃がさないと言うように逆に強く握る。

そして、彼女は真っ直ぐにベアトリーチェの目を見つめると、こう叫んだ。
彼女自身の、そしてきっと彼の願いをベアトリーチェに届けるために。


「あなたは帰るべきです!だって……!あなたを待ってる人がいるんですから!
私じゃなくて……、あなたともう一度話したいって願ってる人がいるんだから!!」
「――っ……!?」

叫んだ彼女がベアトリーチェの腕を強く引く。
彼女とベアトリーチェの間には2人を分け隔てる高い柵がある。
腕を引いても柵に遮られて彼女の行動は何の意味もないものになる、――はずだった。

なのにベアトリーチェは引かれるまま一歩前に踏み出した。
石が投げつけられた水面のように揺らいだ、柵の向こうへと。





黒いレッドの銃によって撃ち抜かれたベアトリーチェの体が、黒い光に包まれる。

それを眺めながら、黒いレッドは満足げに笑う。
この銃は幾千の欠片の中から術者にとって都合の良い、
――つまり、術者が望む対象者を連れてくる効果がある。

元々ファントムの一員であったベアトリーチェが対象では、現れる彼女は予想の範囲を出るようなものにはなりそうにないが、
それでもこれで自分に楯突く者は全て居なくなるだろう。

勝利を確信した黒いレッドは不敵な笑みを浮かべたまま、その光の中からベアトリーチェが現れるのを待った。

瞬いた光は彼の時とは違い、直ぐに光を止めた。
黒い光の中で何かが動く。
その、次の瞬間――。


黒いレッドは大きく後ろに跳び退いていた。




何故自分がそんな行動をとったのか黒いレッドにもわからなかった。
だが、その場に立っていてはまずいと彼の本能が告げたのだ。
その感が正しいことを告げるように、次の瞬間、大きく後ろに跳んだ黒いレッドが地面に降り立ったのとほぼ同時に、懐かしいあの笑い声が周囲に響いた。


「ほぉ?そなたがあやつが言っていた別の世界の右代宮戦人とやらかぁ?
 駄目だ、全然駄目だぜぇえええええええ?!妾に挑んできたレッドはもっと強かったぜぇえええええ?
 仮にも右代宮戦人を名乗るならば、その倍の速度で避けて貰わねぇとなぁあ?!ひゃっはははははははははははは!!」

黒い光が吹き飛ばされるように弾ける。
それは黒いレッドが現れた時とは違い、中から強引に吹き消されたモノだった。

予定外の展開に黒いレッドが鋭い視線で現れた彼女を睨みつける。
黒い光が弾けたその場所からゆっくりと進み出たのは、黒いドレスに金色の髪を風になびかせた女性。
黒いレッドが撃ち抜いた相手とまったく同じ姿をした彼女は、先ほどとは別人のような威厳と存在感を身に纏っていた。

「お前が……ベアトリーチェ、か?ファントムの?」
「如何にも、妾がファントムのリーダー、ベアトリーチェである!」

胸を張るようにしてベアトリーチェが答える。
その姿も声も、先ほどの気弱な彼女とまったく同じもののはずだったのに。
目の前に立つ存在に黒いレッドは完全に威圧されその場から動くことすら出来ない。

何故?彼女が正当なファントムのリーダーとしての資質を持つベアトリーチェだから?
至極まっとうなはずなその答えはなぜか黒いレッドの中でしっくりとは来なかった。
しかし、その答えを黒いレッドが出すよりも先に、ベアトリーチェはゆっくりと彼の方へと近づいてきた。

あと一歩踏み出せば手が届くほどの距離で彼女は止まる。
真っ直ぐ黒いレッドの赤い瞳を見つめたベアトリーチェは、にやりと、この上なく冷たい笑みを浮かべた。

「さて、別の世界の右代宮戦人とやらよ。
 せっかく来て頂いた所悪いが……、直ぐに御引き取り願おうか!!?」
「!?――っ!」

掲げたベアトリーチェのケーンが僅かに光り、彼女の前に小さな魔法陣が現れる。
数度瞬いたその魔法陣から現れたのは、3本の魔力を持った杭だった。
息をのむ暇すら許さず、杭が獲物を抉ろうと空を斬る。

その獲物が自分のことだと黒いレッドが気づいたのは、彼の鼻先を杭が抉るほんの一瞬前のことだった。

「……どういうつもりだ?!お前、ファントムのリーダーなんだろう?
俺の存在がどういうものかもわかってるだろ!?お前が俺を攻撃する理由もないはずだ!!」

大きく後ろに跳んだ黒いレッドは、今度は先ほどの倍以上の距離をベアトリーチェから取った。
状況が理解出来ない黒いレッドは苛立ちのまま叫ぶ。
だが、顔を上げた黒いレッドのその叫びに、ベアトリーチェは不敵な笑みを浮かべることで答えた。

すっと黒いレッドの表情が、変わる。
驚愕から自分への敵意の篭もったモノへと。
それを確認したベアトリーチェは不敵な笑みを浮かべたまま先を続けた。

「おかしいことはなかろう?何しろ妾は気まぐれ。
ちょーとばかし、ムカついてうっかり仲間であるロノウェの髭を燃やしてしまったことも一度や二度ではないしのぉ。
あの野郎、太る太るってうるせぇんだよ。そう言うなら毎回デザート山盛り作って持って来るなぁってんだよぉおお!」
「ふざけるな!!」

くすくすと笑みすら浮かべるベアトリーチェに焦れた黒いレッドが叫ぶ。
隠そうともしない敵意を込めたその鋭い視線で睨みつけられても、ベアトリーチェは動じない。
それ以上は近づいて来ようともしないまま、ベアトリーチェがケーンを持ち直す。
口元に携えた笑みは消さないまま、再び黒きレッドに向き合ったベアトリーチェの瞳には冷たい光が灯っていた。


「そなた、何か勘違いしておらぬかぁああああ?妾はファントムのリーダーである。
しかし、その銃から感じる魔力でわかるぞぉ?そなたの召還者は、妾の配下の者ではない!
駄目だぜ?全然駄目だ!!無断で妾の盤上に紛れ込んだ駒を妾が許すと思うかぁ?
何を企んでおるのかは知らぬが、そなたは妾がここで倒させて貰う!!!」
「!?」

その声と同時にさっと黒いレッドの頭部に影が掛かる。
それは、彼を囲むように四方から現れた4つ子の塔だった。
塔の最上部に取り付けられた銃口が一斉に黒いレッドの方を向く。
彼が自分の置かれている状況を理解するのと同時に、ぽっかりと口を開けていた銃口が目映く光った。

耳を突き刺すような音と共に、黒いレッドが立っていた場所に向かって4つ子の塔が一斉に銃弾を打ち込む。
魔法で作られた銃に弾切れという概念はないのか、
4つ子の塔は彼どころか地面ごと抉りとろうとするかのように無数の銃弾を雨のように降らせた。

黒いレッドの姿が硝煙と舞上げられた砂埃で一瞬、ベアトリーチェの視界から外れる。
………その瞬間を、黒いレッドは見逃さなかった。

「――っ……!!」

銃弾が自身の居た場所を撃ち抜くのとほぼ同時に黒いレッドがその場から跳び退く。
辺りを包み込んだ硝煙に隠れるように黒いレッドは走った。
自分が4つ子の塔により蜂の巣になったと思いこみ、油断しているであろうベアトリーチェの元へと。

案の定、ベアトリーチェは4つ子の塔を放ったのと同じ場所で無防備に立っていた。
4つ子の塔が派手にまき散らした煙のおかげで、彼女の背後に回り込むのは簡単だった。
素早くベアトリーチェの死角から背後に近づく。勝利を確信し、黒いレッドがベアトリーチェを自身の黒き真実で吹き飛ばそうと片手を掲げる。





その時、周囲の空気がぴたりと止まった。


急にゆっくりと流れるようになった時の中で、黒いレッドは確かに見た。
自分に背を向けていたはずのベアトリーチェと目が合う光景を。







「あやつにも頼まれたからなぁ。その体、戦人に返してもらうぞ」



ぽつりと呟いたその言葉が黒いレッドに届いていたのかは定かではない。
ベアトリーチェが黒いレッドに向かって差し出した右手が赤く光る。
目映く光ったソレは、複雑な模様で描かれた魔法陣だった。
数度、瞬いた魔法陣に力が集まる。しかしそれは、ほんの瞬きほどの時間のことだった。
黒いレッドが離れるどころか、瞬きする時間も与えないうちに魔法陣は周囲の空気と共に破裂した――!



大きく弧を描いて吹き飛ばされた黒いレッドがそのまま、地面に叩きつけられる。
ソレと同時に。レッドが倒れた場所で、黒い光の柱が立ち上った。
それは、彼が弾丸で撃ち抜かれたのと同じ光だった。
空に吸い込まれるように立ち上ったその光は、ほんの一瞬瞬いた後、弾けて空へと消えた。

少しだけ慌てた様子でベアトリーチェが彼の倒れた場所を確認する。
しかし、落ちたままの場所に戦人が倒れていたことと、そして何より、
彼が纏っていた空気が彼女のよく知るものに変わっていることに気づいて、ほっと息をついた。


「戦人……!」

名前を呼んでベアトリーチェは戦人の所に駆け寄ろうとした。
しかし、その歩みは数歩で止まる。歩きだした自分の状態に彼女自信が気づいたからだ。

「ああ……、そうかぁ……、まぁ、当然だよなぁ……」


自身の手をベアトリーチェが数度握り、離す。
白く透き通ったその手からは先ほどの戦人と同じ黒い光の粉が、蛍のようにゆっくりと空に溶けて消えていた。



今、この体の持ち主はあの銃の力により内に閉じこめられている”彼女”の方だ。
ベアトリーチェが再び外に現れたのはあの黒いレッドが持っていた銃の力のお陰。
ならばその銃の力の源がなくなった今、黒い戦人と同じように自分が消えてしまうことも
当然の結末だった。

そのことを理解してベアトリーチェがへらりと、笑う。
仕方ないと呟かれたその言葉に反して、彼女が浮かべた笑顔はどこか寂しそうだった。





徐々に消えゆく自分を自覚しながらもベアトリーチェは戦人の方へと歩み寄った。
倒れる戦人の前にベアトリーチェが膝を卸す。
気を失ったままの戦人がそれでも穏やかな表情をしていることに気づいて
ベアトリーチェはほっと息をつく。

戦人が目覚める気配はない。
自分も、まだ消えない。

……でも、何かが出来るほど自分に残された時間はない。

いつの間にか青く晴れていた空の下で一人。
ベアトリーチェは戦人の頭を膝の上に乗せたまま僅かに途方に暮れた。





時間を持て余して、とりあえず眠ったままの戦人の頬を押したり引っ張ったりしてみたが、
戦人の頬はまるで餅のようにぷにっとへこんだだけで彼が目覚める気配はない。

それはまったく意味のない馬鹿らしいだけの行為だったはずなのに、何故か楽しくて。
ベアトリーチェは久しぶりにくすくすと笑った。




あの戦いからどれぐらい時間がたったんだろう?

全てから目を背けて、殻に籠もっていたベアトリーチェにはわからない。
辺りの風景を見ればそう時間は経っていないような気もする。
だけど同時に膝に乗せた戦人は、前とは少し違う空気を纏っているようにも思えた。

………何があったんだろうか、あの後。
彼やワルギリア達ファントムの仲間はどうなってしまったんだろうか?

何も知らなくても、状況を見ればまだ彼らとファントムの戦いが続いていることぐらいはわかる。
自分が始めて放り出した世界の中でまだ戦っている人達がいることを悟って、罪悪感で胸が痛んだ。

考えたくなくて、ベアトリーチェは早く自分が消えてしまうことを祈って強く目を閉じる。
しかし、暗く染まった世界の中で蘇ってきたのは、
彼女が告げた「自分を待っていてくれる人がいる」という言葉だった。



「………」

……本当に居るんだろうか?
待ってて、話したいと思ってくれる人が。
………全てから目を反らして逃げだした自分なんかを。

それはにわかには信じられない言葉だった。
それでも、一蹴出来なかったのは、そうであって欲しいという願望も彼女の中から消えなかったからだった。


膝に乗せた戦人の頬に手を当てて顔を覗き込む。
気を失った戦人が目覚める気配はない。
だからこそベアトリーチェは、あの日出来なかった願望をぽつりと呟くことが出来た。



「ちゃんと、話、すれば良かったなぁ……」

真里亞やそなたと。

あんな風になる前に、……いや。
ああなってしまったからこそ、ちゃんともう一度話しをすれば良かった。

何かを変えるだけの力が自分にあるのかはわからないけど。
彼らが今更敵である自分の話なんて聞いてくれるかもわからないけど。

それでも、逃げずに向き合っていれば………、あったんだろうか?

もう一度、一緒に遊園地に行くようなそんな未来も。



「妾も、そなた達と話したかったなぁ……」

握りしめた手にぽたりと水滴が落ちて跳ねる。
それを合図にしたかのように、同時にふわりとベアトリーチェ体から強い光が空に舞い上がった。



ベアトリーチェがそっと目を閉じる。
辺りを明るく照らし出したその光の束は、一瞬強く瞬くと、空に弾けるように消えた。








誰かの声が聞こえた気がして、戦人は小さく身じろぎをした。
頭がはっきりとせず、自分がどこにいるのか、そもそも何故自分が倒れて倒れているのかも良く分からない。
それでも泥のように重い体をなんとか奮い立たせて戦人が目を開ける。

ぼんやりとした視界の中で最初に見えたのは、目映い金色だった。












「おはようございます、戦人さん」



逆光の中でベアトリーチェが微笑む。
彼女が記憶を失ってからいつも浮かべていたはずのその優しい笑顔は、
何故か今は少しだけ泣いているように見えた。



【エンディング】




《To be continued》


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