『今回予告』
俺達、うみねこセブンはファントムを倒し、この世界……皆を守った。
その為に、あいつを……ファントム首領ベアトリーチェを―――――殺した。
知った時には……全てが終わっていた。
必要な事だった。それしかなかった。そう思うしか……なかった。

それでも―――これで平和になる筈だった。
地球は守られ、人々は笑顔になれる……それでいい。それだけで……いい。
今の俺は右代宮戦人であるより先に、うみねこレッドなのだから。

それなのに―――

新たな敵の登場。再度始まる戦い。
だとしたら、俺達は……俺は何の為に…っ……!

そんな中「Ushiromiya Fantasyland」に現れたベアトリーチェ。
死んだ筈だった、殺した筈だった存在を前に、揺らぐうみねこセブン。
偶然なのか。罠なのか。
純粋に喜ぶ真里亞と倒すべきだと主張するグレーテル。
それぞれの正義が、想いが、交差する。

『六軒島戦隊 うみねこセブン』 第28話 「それぞれの正義」

「ベアトなんて奴は何処にも存在しない……幻だったんだよ!」






【オープニング】


「ベア……っ! ベアトリーチェが生きていただって!」

 戦人は、驚愕の思いにつられ、椅子から立ち上がった。

「そ、そうなんだよ。お祖父様が遊園地の中で倒れているところを見つけたって……今、医務室に……」
「!」
「あ、戦人!」

 飛び込んで来た朱志香を押しのけるように飛び出していく戦人。

「……それは、本当なの?」

 突き飛ばされ、呆然とする朱志香の肩を掴むグレーテル。

「私も、ついさっき兄貴に聞いたばっかりなんだ。ひとまず戦人を呼んで来てくれって言われたから」
「……まずいわね」

 舌打ちと共に、戦人の後を追って駆け出すグレーテル。

「え? っと、グレーテル!」

 朱志香も、慌ててその後を追う。

「朱志香さん!?」
「あ、嘉音くん、丁度良かった。嘉音くんも来てくれないか」
「どうしたんですか?」
「……嫌な……予感がするんだ」

 朱志香の脳裏には、グレーテルの思いつめたような昏い眼差が浮かんでいた。



 医務室に飛び込んだ戦人。
 そこには既に大勢の人間がベッドを取り囲んでいた。
 金蔵、南條、譲治、紗音、真里亞、そして―――ベッドの上の少女。
 長い金髪、彫りの深い顔立ち、目を閉じ横たわる少女は、戦人の記憶の中の彼女と酷似していた。

「戦人!」

 目を輝かせた真里亞が、戦人の腕へと飛び込んで来る。

「ベアト生きていたんだよ! 良かった。良かったね。うーうー!」
「あ、あぁ」
「冗談じゃないわ」

 戦人の言葉の途中で、ぴしりとした声が割って入った。

「……グレーテル……」
「私達が倒した敵の首領が生き残っていたのよ。喜ぶべきことではないわ」
「で、でも……」
「人々を苦しめてきたファントムのトップ、ベアトリーチェよ。私達は、それを倒す為に、戦いに赴いた筈よ。違って?」
「!」

 厳しいグレーテルの言葉に、後ろから入って来た朱志香達も、息を呑む。

「そ、それはそうだけど……ベアトリーチェはベアトだったんだよ! だから……」
「だから、どうしたって言うの。ベアトリーチェがファントムのトップであること、ファントムが地球侵略を仕掛けて来た敵である事に代わりはしないわ。まさか、あの戦い……攻撃してきた彼女を忘れた訳ではないわよね」
「…………」

 的確なグレーテルの指摘に、口篭る真里亞。
 グレーテルは冷たい瞳で、横たわるベアトリーチェを見下ろす。

「一体どういう事ですか?」
「……キャッスルファンタジアの前で倒れていたところを金蔵さんが見つけたらしい。擦り傷程度で目立った外傷はないが、かなり消耗しておる。命に別状はなさそうだが、このままの状態だと今日、明日で目を覚ます事はないだろう。……もちろん、ホワイトの力を使えば別だが……」

 診察を行っていた南條が答える。

「どうして今頃……」

 あの戦いからもう何ヶ月も経っている。
 何故、今になって現れたのか。

「わからん。単純にあちらとこちらの時間の流れが違うだけなのかもしれん。空間、時間の流れが違えば、どのような事も起こりえる。だが……」

 新たな敵が出現したその後というのは、あまりにもタイミングが良すぎる。
 運命の皮肉か、何らかの作為か。

「考える必要はないわ。今意識がないのなら、丁度いい。今ここでとどめをさしてしまえばいいのよ」
「!」

 言い切ったグレーテルに、その場に衝撃が走る。

「何を驚いているの。当然の事でしょう。元々私達はその為に戦いに赴いたのよ。そうして、敵の首領を倒した。そう認識していた。それが違っていただけよ。今結果を同じにすれば問題ないわ」
「違うよ。だって、相手はベアトだったんだよ! ベアトを殺すなんて……」
「私達はその為に戦って来たんでしょう。そして、実際に倒した……違うの?」
「そうだけど……でも、ベアトだなんて知らなかったんだもん」

 グレーテルの指摘に、押されつつも、必死に対抗しようとする真里亞。
 同じ言葉を何度も紡ぐ。想いを伝えようとするように。

「知らなかったからって、事実が変わる訳ではないでしょう」
「だって、ベアトなんだよ。悪い人じゃないよ。一緒に遊んで凄く楽しそうだったもん」
「甘いわね。相手はファントムのトップなのよ」

 ぴしりと言い切るグレーテル。

「ファントムがこれまで何をしてきたかわかっているんでしょう。たくさんの人が苦しんで来た……その為に戦って来たんでしょう。相手が友達だからって関係ないわ。相手は侵略者なのよ。あなたを騙してたのよ」
「……そうかもしれない。しれないけど……でも、ベアトびっくりしてたもん。きっと何か事情があったんだよ。だから……」

 後ずさりそうになる足を留め、首を振りながら言い募る真里亞。
 冷静に言葉を発していたグレーテルの瞳に怒りの色が浮かぶ。

「だから? だから何なの!」

 真里亞の肩に掴みかかる。

「事情があれば何をしても許されるの? 失われたもの……なくなったものは二度と戻って来ないのよ。後からどんなに後悔しても遅いのよ!」
「グレーテル!」

 譲治がグレーテルを引き剥がす。

「やり過ぎだよ。落ち着いて」
「落ち着いてなんていられないわ。この女は倒すべき敵なのよ! 皆が傷つき、苦しむのよ。もう何をしても、取り戻せない……そんな事は……」
「だからって、傷ついているベアトを殺すの? 真里亞そんなの嫌だよ! 真里亞は、皆を……大切な人を守る為にヒーローになったんだよ!」
「!」

「やめい!」

 対峙する2人―――ぴんと張り詰めた空気を破ったのは、机を叩いた金蔵の拳だった。

「2人とも、落ち着け。それではお互い自分の主張を叩きつけているだけだ。何の解決にもならぬ。……おまえ達はどう思う?」

 金蔵は、2人の争いに口を挟まなかった、他の者達に問いかけた。

「どう思うって言われたってな……生きているって聞かされたのがついさっきだし……」
「正直……混乱しています」

 朱志香と嘉音は顔を見合わせる。

「私の気持ちでいえば、傷ついている方は癒して差し上げたいと思います。ロノウェさ……彼女を想っていた人達の事も知っていますし……ですが、だからこそ、私が私だけの気持ちで動いてしまってはいけない……というのも理解しています」

 何かを堪えるかのように、ぎゅっと手を握り締める紗音。
 譲治はそっとその手を押さえ、顔を上げた。

「すぐ結論を出せるような問題ではないと思います。余りに突然の事ですし……情報が足りなさ過ぎる。何より……僕は、彼女の事を良く知りません。ファントムのトップ、ベアトリーチェとしか……」

 案ずるような眼を隣の……飛び込んで来て以降、微動だにしない戦人へと向ける。
 遊園地で出会った少女、新しい友達の事を楽しげに話していた戦人と真里亞。
 彼らの言葉なくして、何も決める事は出来ない。

「ふむ。……戦人はどうだ?」
「! お、俺……俺は……」
「戦人は真里亞の味方だよね! 一緒にベアトを守ってくれるよね!」

 真里亞が戦人に乞うようにしがみつく。
 戦人が口を開くより先に、グレーテルの言葉が空気を切り裂く。

「そうして、皆を仲間を殺すの」
「!」
「ち、違うよ」
「違わないわ。敵を守るという事は、味方より敵を取るという事よ。全てを守る事なんて出来はしない。助けたベアトリーチェが攻撃してきたらどうするの?」

 頭がぐるぐるする。世界が揺らぐ。
 何が正しい。何をすればいい。

「ベアトはそんな事……」
「しないって言える? 言い切れるの? これまで戦って来たのに?」

 真里亞が泣いてる。助けてやらないと。
 でも、俺に何が出来る。あいつを手にかけても、何も変わらなかったのに。

 助けてやりたかった。救いたかった―――誰を?
 うみねこレッドとして、守るべきモノは……何だ?

「うっ……でも、でも……」
「あなたの言っている事は、子供の我侭に過ぎないわ。ここにいる皆、世界、その全てよりその女を取る覚悟があるの。ないでしょう! その魔女が目覚めて、皆を殺して……そうなった時、どうするの!」
「グレーテル!!」

 譲治がその間に割って入る。

「そこまでだよ。君の言う事は、ある意味では正しい。けれど……それを振りかざしちゃいけない。君の『正義』は仲間を傷つける為にあるのかい」
「!」
「……前から不思議だったんだ。……君は『何を知っている』んだい」
「! な、……何の事? 私は私の正しいと思う事を言っているだけよ……」

 冷や水をかけられたように、グレーテルの勢いが下がる。

「……ふむ。このままではらちがあかぬな。少し時間を置くとしよう」
「金蔵! あなたまでそんな事を……」
「グレーテル……冷静になるがいい。このままでは……セブンが割れるぞ」
「……っ…!……」
「新たな敵が現れたこの状況で、それがどれだけ致命的な事か、わからぬおまえではあるまい。おまえにも、皆にも考える時間が必要だ」
「お祖父様は……どう思ってらっしゃるのですか」

 譲治の問いかけに、金蔵は思案するように目を閉じる。

「私なりの想いがない訳ではない。だが……それを口にするつもりはない」
「な、なんでだよ。祖父様」
「戦っているのは、おまえ達だからだ。私や他の大人達が決める事は簡単だ。そうしたらおまえ達はそれに従うだろう。だが……それでおまえ達は納得出来るか。心の底から迷いなしに戦えるか?」
「…………」
「戦うこと、人を傷つける事は、己の心を傷つける事でもある。その痛みを知らぬものには戦う資格などない。その上で戦う為には、拠所……自分なりの『正義』が必要だ。それは人に与えられるものではない。迷い、常に考えながら、自らの手で掴み取って行くものだと私は思う。……私はおまえ達に戦っては欲しくなかった。だが、戦おうというおまえ達を止めはしなかった。それは……お前たち自身が選んだ事だからだ」
「戦う理由……」
「考えてみるといい。おまえ達の『正義』は何なのか」

 金蔵はそういい残し、医務室を後にした。

「さぁさぁ、皆さん、病室で騒ぐのは良くありませんよ。ひとまず外に出ましょう。お茶でもお淹れ致しますから」

 様子を伺っていたらしい熊沢が出て来て、皆を促す。

「熊沢さんのお茶かぁ。怖いな」
「ほっほっほっ。もちろん、特製の鯖茶ですよぉ」

 明るく振舞う譲治に、にやりと笑う熊沢。

「その組み合わせは流石にデンジャラス過ぎるんじゃないかな。ねぇ、グレーテ」
「話にならないわ。いくら考えても、私の考えは変わらない。敵は倒すべきよ。取り返しのつかない事になる前にね」

 言い切り、出て行くグレーテル。
 その後姿は、全てを拒絶していた。譲治ですら、後を追いかけられない。

「……ここまで一緒に戦って来て、ある程度心が通じ合ったと思ったんだけど……難しいな」
「何ていうか……立ち位置が違うって気がするよな。凄い必死っていうか……」
「僕達が知らない事を知っている……そう思います」
「ファントムをあれだけ警戒し、恐れている理由……余りいい想像にはなりそうもないね。だからこそ、それに眼を背けてはならないと思う」
「譲治お兄ちゃんも、グレーテルの言う事に賛成なの?」

 真里亞がむっとした顔をする。

「全面的に賛成という訳ではないよ。ただ……一つの手段として有効なのは確かだ。ここで彼女を倒してしまえば、起こるかもしれない被害は無くなる。芽を摘むという言葉もあるように」
「そんな……ねぇ、戦人、言ってよ。ベアトは悪い人じゃないって。私達の友達だって」

 真里亞が袖を引く。

『!!…べ、別に泣きそうな顔なんてしておらぬ…、…それよりも気安く触るな!こら!頭を撫でるでない…!!』

 恥ずかしそうに顔を赤らめていた少女。

『うみねこセブン。貴様たちは今まで我が眷属達を倒してくれていたようだが…これからは、そうもいかねェぜ? なんてったって、この《黄金の魔女》ベアトリーチェ様が、お前たちの敵になるんだからなァ、くっひゃひゃひゃひゃひゃ……!』

 高らかに宣言する魔女。

『うむ。悪くはなかったぞ』

 黒猫を探し回って、汗だくであちこち汚しながら、満足そうに微笑うベアト。

『そなたら人間が蒼き力で幻想を否定しようと言うなら妾は幻想の紅き力で世界を染めようぞ!!』

 強大な力と意思を持ち、敵として立ちふさがって来たベアトリーチェ。
 ただ1人で自分達を圧倒していた。あのとき勝てたのは、運が良かっただけに過ぎない。

『戦人』
『レッド!』
『戦人』
『うみねこレッドぉおおおおおっ!』

 どちらが本当だ?
 そんなものは……決まっている。明らかだ。
 何があろうと目を背けようと変わらない。
 だからこそ、自分達は戦わねばならなかったのだから。

「……ベアトは……俺達の友達だ」
「だ、だよね。そうだよね!」
「だけど、そのベアトは……もういない。いや……最初からいなかったんだ。ベアトなんて奴は……」
「え?」
「あいつはベアトじゃない。ファントムのトップ、ベアトリーチェだ」
「戦人!」
「あいつをベアトなんて呼ぶな。ベアトなんて奴は何処にも存在しない……幻だったんだよ!」
「戦…人……」
「真里亞ちゃん!」

 信じられないという顔で後ずさる真里亞を、紗音が抱きとめる。

「戦人くん……」
「……兄貴、悪ぃ。少し……時間をくれ。まだ整理出来ていねぇんだ。ベアトリーチェに対して。もう……終わったと思っていたからな。これからファントムとどう戦っていくかも含めて……覚悟を決めないと駄目だよな」
「……わかったよ」
「……ごめん」

 扉の向こうに消えていく戦人。

「兄貴、いいのかよ」
「……今は仕方ない。戦人くんはもちろん、僕も混乱している……突然立て続けに事態が動いたからね。新たな敵の出現にベアトリーチェの登場」
「……戦人は、真里亞の味方になってくれるって……信じてたのに……」

 譲治は涙を零す真里亞の前に膝をついた。

「もちろん、戦人くんは真里亞ちゃんの味方だよ。だからこそ……じゃないかな」
「え?」
「真里亞ちゃんが彼女を慕って信じているからこそ、戦人くんは味方出来なかったんじゃないかな。彼女が敵に回ったとき、真里亞ちゃんを守る為に」
「守る……為?」
「……真里亞ちゃんは彼女が目覚めた時、僕達の味方になってくれると思うかい。彼女はファントムのトップとして、僕達に戦いを挑んで来た相手だよ」
「そ、それは何か事情があって……」
「そうだね。そうかもしれない。でも、どんな事情があろうと、ファントムが戦いを仕掛けて来たのは変わらない。そして、だからこそ、戦いは避けられないかもしれない。相手が戦いを仕掛けて来たとき、真里亞ちゃんはどうする?」
「…………」
「一つ例え話をしようか。死の病に侵されている国が二つあったとする。だが、それを治す薬は一つの国の国民の分しかない。自分達の国を守る為に、救う為に、二国は戦い争う事になる。どちらも悪い訳じゃない。ただ、生きたいだけだ。……どうする?」
「……わ、わかんないよ」

 俯く真里亞。一杯で苦しくて顔をあげられない。

「そうだね。僕もわからない」
「え?」
「こんな問題に絶対の正解はないんだよ。戦わない方法だけなら色々ある。例えば、両国の年若い者達から薬を投与する。それでも、誰に投与するか、それぞれの国の中で争いは起こるだろう。薬を半分に分けて投与する……効き目が足りず、全滅するかもしれない……実際やってみないと結果なんてわからない。それでも選択しなければならない事はある……。信じる……信じたいと思うのは、自由だ。だけど、今回の場合、それには責任が伴う。それの影響は僕達だけに留まらない。……覚悟が必要なんだ」
「……うん。……真里亞、間違ってた?」
「間違ってなんかいないさ」

 横から、真里亞の頭の上に、ぽんと手を置く朱志香。

「真里亞はそれでいいんだよ。助けたいって好きだって思いは、すっごく大事だと思うぜ」
「はい。それが僕達の戦う理由ですから」
「戦人だって、殺したいと思っている訳じゃないさ。真里亞に負けない位大切な友達だって思ってた筈だぜ。だからこそ……辛いんだよ」
「うん……」
「真里亞ちゃん、もう夜遅いですし、一度休みましょう」

 紗音が真里亞の肩に手をかける。

「いつ敵がやってくるかわかりません。……休むのも仕事のうちですよ」
「私達は1人じゃないんだぜ。ここまで皆一緒に乗り越えて来たんじゃないか。今度も大丈夫さ」
「う、うん!」

 皆の言葉に、真里亞の瞳がやっと和らぐ。
 真里亞はそのまま、紗音に付き添われて、姿を消した。

「僕達も移動しようか」
「そうしなさい。ここは私が見ておくよ。……この状態だと暫く意識は戻らないだろうから、大丈夫」

 南條の笑顔に見送られ、3人は医務室を後にした。




 ミーティングルーム―――譲治は熊沢の代わりにコーヒーを淹れ、朱志香と嘉音の前へと置いた。
 年配である熊沢をこれ以上付き合わせる訳にはいかない。それに、少し自分達で考えたかった。
 熊沢は3人の気持ちがわかったのか、笑顔でネタを飛ばすと姿を消した。
 金蔵が何か言ったのだろうか。事情を知っている筈の親達も姿を見せない。

「ありがと。兄貴」
「母さん直伝だから、ちょっと濃いかもしれないけどね」
「目が覚めるから丁度いいですよ」

 顔を見合わせ、誰からともなく、溜息をつく。

「なんというか……参ったね。あの後、戦人くんと真里亞ちゃんは酷く落ち込んでいたから、そういう意味では喜ぶべきなんだろうけど」

 何故今更なのかという思いは否めない。
 2人とも、彼女の死を納得出来ないまでも整理し、前を向こうとしていた矢先だったのだ。
 終わってしまった事、過ぎてしまった事は戻せない。変えられない。
 それでも、ファントムを倒し、戦いは終わった。
 もうこれで、人々が苦しむ事はない。そう励ますしかなかった。
 それなのに―――

「また新たな敵が出てきちゃったもんな。たまんねぇぜ」
「嘉音くん……ヱリカと言ったっけ。彼女の事は」
「……すみません。僕は会った事はもちろん、聞いた事もありません。ファントムの本拠地はずっと遠い異世界にあるようで、彼らは『本国』と呼んでいました。おそらくそこから来たのではないかと思いますが……」
「前線基地を潰せば、諦めるだろうと思ったけど、甘かったって事だね。そこまでの魅力があるのかな。地球は」
「……わかりません。人間達を脅かし、苦しめる事で、幻想の存在を人間の心に焼き付け、世界を幻想で染めていく……それによって、力を手に入れる事が目的の一つであり、彼らがこちらにやって来ていたのが『本国』の指示なのは、間違いないようですが……僕には、地球にやって来ていたロノウェさ……彼らが本心から、人間界侵略を望んでいるようには……思えませんでした。ですから、話し合いが出来ないか姉さんと試みてはみたのですが……どうあっても、引かない……そういう強い意志を感じて叶いませんでした」
「……そう……か。そうすると、難しいだろうな。あのヱリカも一筋縄では行かないだろうし」

 新たな敵の登場と、ベアトリーチェ……余りにもタイミングが良過ぎる。
 普通に考えれば、罠の可能性が高い。
 少なくとも、譲治は、最年長者として、それを考慮しない訳には行かない。

「…………グレーテルの言う事は極端だけど、間違ってはいないんだよな。ファントムは敵で、ベアトリーチェはそのトップだ。私達は命懸けで戦って、あいつを倒した……殺したいと思っていたわけじゃないけど、その覚悟はあったし、あのままあいつが城と共に命を落としていたなら、私達が殺したのと同じ事だった筈だ」

 戦いたかった訳でも、殺したかった訳でもない。
 倒す事しか、選べなかっただけだ。
 地球から手を引いてくれればそれで良かった。

「けど、今傷ついているあいつを殺すってのはなぁ……結果は同じだとしても……違うんじゃないかなって思う。私は……甘いのかな」
「僕は……ロノウェ様を、この手で殺すような状況にならなくて、ほっとしました。覚悟はしていました。それでも……いざとどめをささなければならない状況になったとき、それが出来たかどうか今でもわかりません。だから……朱志香さんの気持ちは、良く……わかります」
「あー、もう! 難しいぜ。私達、正義の味方の筈だよな。うー」
「絶対の正義なんてありはしないよ。僕達には僕達の正義があり、相手には相手の正義がある。全ての願いが叶う理想郷なんて存在しない。だからこそ、人はぶつかり、対立する……僕達は僕達の立場で戦う事を選んだ。服従する事は出来ず、対話の道は拒絶された……劣勢を覆すあの機会を逃す訳には行かなかった。それが間違っていたとは思わない」

 強く拳を握り締める。
 倒した相手が彼女だと知った時の戦人達の悲痛な叫び、表情は今でもありありと思い出せる。

「だが……間違っていないからといって、正しいとは限らない。もっといい最善があったんじゃないか……あのとき戦人くん達を見てそう思ったよ」





「全く、話にならないわ。どうして……どうしてわからないのよ」

 グレーテルは、沸きあがる焦燥を抑えるように、唇を噛みしめた。

 あの女は……ファントムは危険なのだ。
 自分はそれを知っている。誰よりも。
 既に自分が知っているものからは違って来てしまっている。
 それでも、だからこそ、危険なものは排除しなければならないのだ。皆を……大切な人を守る為に。

「……お姉ちゃん」

 そう。私は間違っていない。
 皆を守る為なら、私は何だって出来る。
 その為に、私は―――

「お姉ちゃん!」
「! な、……縁寿……」

 幼い少女が、曲がり角の角に佇んでいた。

「どうしたの。もう夜中よ。早く休みなさい」
「……かなしい声がきこえた気がして……」
「!」
「お姉ちゃん、とっても、いたそうな顔してる。縁寿といっしょに南條先生のところに行こう。いいおくすり出してくれるよ」
「大丈夫。何でもないのよ。ありがとう」
「……お兄ちゃんも、真里亞お姉ちゃんも……みんなかなしいめをしてる。みんながかなしいの、縁寿もかなしい」
「……心配しないで。あなたは……皆は私が守るから」

 そっと、優しく頭に手を置く。
 そう。彼女は何も心配しなくていい。
 きっと、守ってみせる。ずっと、幸せで……笑顔でいられるように。

「……じゃあ、お姉ちゃんはだれが守るの?」
「え?」

 真っ直ぐ澄んだ瞳を向けてくる縁寿。

「……私は、いいのよ」
「よくない! そんなのよくないよ。お姉ちゃんがしあわせでないと、縁寿もしあわせになれないもん。みんなでしあわせにならないとダメだよ!」

 それは不可能だ。ありえない事だ。
 だけど、この幼い少女にそれを告げる事は出来ない。

「ありがとう」

 純粋に皆の幸せを願う幸福な少女。
 彼女はそのままでいて欲しい。
 その為になら―――自分はどうなっても、何をしても構わない。





「紗音」
「譲治さん……どうしたんですか?」

 紗音は、奥から歩いて来る譲治へと駆け寄った。

「真里亞ちゃん、どうしたかと思ってね、戦人くんのところに行く前に来て見たんだ」
「……楼座さんがいらっしゃいましたので、お預けして来ました」
「そうか。それなら、安心だね」

 どちらからともなく、廊下の壁に寄りかかる。

「……どう…なったんですか?」
「思う事を話して……ひとまず解散って感じだよ。……真里亞ちゃんの意見は聞いたけれど、君や戦人くんはまだだしね。皆の意見抜きには決められないよ」
「そう……ですか。私は……皆さんの意見に従います」
「……それでいいのかい?」
「私は元ファントム側の人間……裏切り者です」
「誰もそんな風に思っていないよ」
「わかっています。でも、そちら寄りの気持ちがあるのは確かです。だからこそ……私が意見を言うべきではないと……思います」

 公平に冷静に判断する事は出来ないから。
 先程金蔵に告げた言葉で精一杯だ。
 自分が庇えば、疑念を呼ぶ。それは亀裂となり、崩壊を招く。
 それは……それだけは駄目だ。

「……うん。わかるよ。わかるけど……グレーテルと足して二で割ると、丁度いい感じだな」
「え?」
「彼女は言葉にし過ぎで、君はしなさ過ぎだ。……まぁ、彼女も肝心の事は何も言ってないと思うけどね。もっと上手く言えばいいのになって思う。必死なんだろうな。だからこそ……信じられるし、その言葉は考えないといけないと思う。……故に物凄くやっかいなんだけどね」

 乾いた笑いが漏れる。

「……僕は知っているんだ。君も戦人くんや、真里亞ちゃんと同じように、彼女と繋がりがあるって事」
「!」
「前に話してくれたよね。遊園地で会った女性のこと……自分達と同じように、守りたいって思って悩んでいた人に会ったって」

『守られているだけで何も出来ないって、悩んでいらしたんです。ああ、私と同じだなって。きっと、皆この人の事大好きなんだろうなって。だから、少しでも出来る事をすればいい。小さな事でも返してあげられればいいって……私、改めて思いました。彼女のような人達の幸せを守る為に戦うんだって』

「あの戦いの後の君の様子を見ていて気づいた。……でも、言えなかった。亡くなってしまった人の事を持ち出しても、君を悲しませるだけだと思ったから」
「譲治……さん……」
「あの戦いに出掛ける前の夜に遊園地で約束したよね」

『二人とも無事に帰ってこれたら、またここに一緒に来て欲しい。その時に……話したいことがあるんだ』

 それは一つの誓い。絶対に帰ってくるという決意の表れ。

「僕達は二人とも、生きて帰って来た。でも……君を誘う事は出来なかった。君が傷ついていたから。……今も言えない」

 まだ何も終わっていない。望んだ明日は遥かに遠い。

「かっこ悪いなぁって思うんだけどね。でも、今は……だけど、だからこそ、僕にだけは隠さないで欲しいんだ」

 優しく頭の上に手が載せられる。その温かさに目頭が熱くなった。

「……凄く一生懸命で凄く悩んでいたんです。大好きで大事な人を守りたいって。守られるだけは辛いって」
「うん」
「だから私言ったんです。出来る事をすればいいって。助けてあげればいいって。あなたなら出来るって……」
「うん」
「そうしたら、とても嬉しそうに微笑って……私がああ言わなければ、もしかしたら戦う事はなかったんじゃないかって……」

 言葉の代わりに、優しくたしなめるように、ぽんぽんと頭を叩かれる。

「……本当は……助けたいんです。今すぐにでも、癒してあげたい。私のこの力は傷ついている人を、助ける為にあるんですから。……でも、駄目なんです。わかっているんです」

 自分には出来る。出来るからこそ、やれない。

「私は、うみねこホワイト……ひとりじゃない。仲間が……皆がいる。勝手にしてはいけないって。……皆を信じているのなら」
「うん。そうだね。君ひとりが全てを背負っては駄目だ。どういう選択をするとしても……それは皆で分かち合うべきものだよ。……前に君が僕にそう言ってくれたよね」
「……はい……」




 ―――そんな二人から少し離れた場所、曲がり角の先に佇む人影があった。

「すみません。泣いてしまったりして」
「いや、僕が無理やり泣かせたようなものだからね。……もう大丈夫かい」
「はい」

 通路の奥から二人の声が聞こえて来る。
 目的がある。……その為にここまで来たというのに、グレーテルは動く事が出来なかった。
 目指す部屋―――医務室は、その手前の角を曲がった先だ。

 誰が何を言おうと関係ない。
 誰の言葉も、聞くつもりなどなかったのに、二人の姿を見つけて、思わず足を止めてしまった。

 何をしているの。早く行きなさい。

 頭の奥から声がする。

 他の者は頼りにならない。考えが甘過ぎる。
 ならば自分がやるべきなのだ。皆の為に。

 ―――ベアトリーチェを、殺す―――

 後でどれだけ恨まれても構わない。
 罵られても、殴られても、後悔しない。

 どうせ、私は―――

「じゃあ、僕は戦人くんのところに行くよ」
「はい」

 今なら邪魔は入らない。
 戦人達以外で、自分を止められる者はいない。




【アイキャッチ(CM)】




 本土から離れた六軒島は、東京よりずっと星が綺麗に見える。
 六軒島にあるうみねこセブン本部の屋上―――戦人は、ずっと空を見上げていた。

「ああ、やっぱりここだったんだ」
「……兄貴……」
「部屋にいなかったから、後はここかなって。お互い、良くここに来ていたよね」

 お互い何も話さず、並んで空を見上げるだけで落ち着いた。心が軽くなった。
 満天の雄大な星空に比べたら、自分の悩みなんてちっぽけなものに思えてくるから。
 なのに今、空を見上げて浮かぶのは、彼女の事ばかりだ。

「ちょっと……いいかな?」
「…………」

 譲治は、制止のなさを了承と受け取り、寝そべって空を見上げる戦人の隣に腰を下ろした。

「……兄貴……」
「真里亞ちゃんは大丈夫だよ。わかってくれてる」
「……ちぇ。かなわねぇな」
「僕はこの件で遠いところにいるからね。その分冷静になれるだけだよ」
「………俺……さ、あいつが生きてたって聞いて、ほっとしたんだ。あいつを助けられなかった事……ずっと後悔していたから。もっとやりようがあったんじゃないかって」

 ベアトリーチェが、ベアトだと知った瞬間の驚き、倒れ付す彼女を見た時の震えは今でも思い出せる。

「けど……さ、グレーテルの言葉を聞いて思い出した。俺とあいつは敵同士なんだって。戦いを挑んで来たら、戦わないといけない。俺は……うみねこレッドなんだから」

 知らなければ戦えた。
 戦い、相手を倒す事に抵抗がない訳ではなかったが、守る為だと思えば我慢出来た。
 正しい事だと、信じていられたから。

「けど、今目覚めたあいつが攻撃してきたら、俺は戦えるのか……自分でもわからない。迷っている余裕なんてないのに。……あのまま亡くなってくれていたら、こんな事考えずに済んだのに……一瞬、そんな事さえ思った」

 ベアトだとわかった時は、自らの思いのまま、素直に動けた。助けたいと思った。
 だが、冷静になって考えれば、ファントムのトップであるベアトリーチェが自分達の敵である事実は揺るがない。
 ならば、こうなるしかなかった。これでよかったんだ。
 そう。自らを納得させるしかなかった。失われた命はもう戻っては来ないのだから。

 そうして自らの心に蓋をした。後は時間が解決してくれる筈だった。
 それなのに―――隠していたそれを突きつけられた。

「俺はあのとき、あいつより、縁寿達の所へ戻る事を選んだ。あいつを助けには行けなかった」
「それは……仕方ないよ。止めたのは僕だ」
「いや、兄貴が言わなかったとしても、冷静に考える時間があったなら、あそこで助けには行けないよ。縁寿が……皆が待ってる。縁寿達とあいつなら縁寿達を取るしか出来ない。あのときそうしたように」

 遊園地で知り合った不思議な少女。
 くるくると勢い良く変わる表情、パレードを食い入るように見つめていた満面の笑顔。
 もっと喜ばせてやりたい……仲良くなりたいと思った。

 だが……それだけだ。
 新しく出来た友達……自分達にはまだそれだけの関係しかない。
 素性も知らない、苗字も知らない、連絡先も知らない。追求して欲しくなさそうだったから聞かなかった。
 これからいくらでも、お互いの事を知り合う時間があると思っていたから。

 だから―――それだけの関係でしかない。
 大切な家族、仲間達、苦しむ人々……それと引き換えにしても助ける理由がない。
 助けたくても助けられない。

「当然だよな。1人とそれ以外の皆なら、皆を取る。縁寿ひとりだったとしても、縁寿を取るさ。何度考えても……それしか選べない」

 新しい友達だと思っていた時は、悩む必要なんてなかった。
 彼女は縁寿と同じ、守るべき存在だったから。

「あいつは必死だった。譲れないものがあるんだって思えた。だから戦った。……俺に大切なものがあるように、あいつにもそれがある。なら、戦うしか……斬るしかないじゃないか!」

 ベアトなんていない。
 いるのは、ファントムの首領、黄金の魔女ベアトリーチェ―――そう思わねば戦えない。

「必要があるなら、僕がやるよ。戦人くんは……」
「……いや、俺がやる。俺じゃなきゃ駄目なんだ。その覚悟が必要だ……そうだろ?」

 倒さねばならないというなら、せめて自分の手で。
 他の奴にはやらせない。

「俺は誰も恨みたくないんだ……だから……」
「そうか……でも、一つだけ聞いてくれないか」

 注がれる真っ直ぐな眼差。

「……戦人くん……僕は君をリーダーに推薦した。今でもそれは正しいと思っている。だけど、リーダーは皆の中心、先頭であって、7人の内のひとりである事に代わりはないんだよ」
「兄貴……」
「君はひとりじゃない。僕達は7人いて『うみねこセブン』だ。だから……ひとりで背負っては駄目だ。……まぁ、僕も良く忘れそうになるけどね」
「だよな」

 微笑う。ぎこちないけれど、それでも、確かに。

「やっぱりいいよな。……ひとりじゃないって。俺……あいつも助けてやりたいんだ」
「あいつ?」
「グレーテル。……なんか放っておけないんだよな。必死で一生懸命で……言われたら凄くムカつくんだけど、でも、それって、自分の為じゃないんだよな。……それだけはわかる」
「そうだね」
「俺……戦いの前にあいつと約束したんだ。『大切な人を絶対に守る』って。でも……その中にはあいつ自身は入ってないんだよな。傷ついても、憎まれても、死んでも構わないって思ってる。……一番それがムカつくんだよ。俺約束したんだぜ。『お前も絶対に笑顔でここに戻ってこい』って……俺に要求するなら、てめぇも守りやがれってんだ」
「ははは……戦人くんらしいな」

 頭上で星が瞬く。
 しんしんと静かに、けれど確かに輝いている。

「……戦人くんも、必要ない事はたくさん言うのに、肝心の事は言わないことがあるからね。レッドだからとか考えずに、もっと言っていいと思うよ」
「……そう…かな……」

 話せば、皆を巻き込む。更に迷わせる。
 人の心というフィルターを通した時、事実は変わる。
 公平に真実のみを語る事など出来ない。それが出来るなら、誰もこんな風に悩みはしない。

「明日、……いや、もう今日かな。朝起きたら、もう一度みんなで話そう。グレーテルも一緒に」
「ああ。ありがとう。兄貴」

 譲治は立ち上がると、そのまま屋上を後にした。

 満天の星が輝き、瞬く。
 パレードの光を、キラキラした眼差で見つめていた少女の姿が浮かんだ。
 幸せに満ち溢れていた笑顔。見ているだけで嬉しくなってしまうような。

 ―――輝きが、揺らぎ、歪み、ぼやけていく。

「…………なんでなんだよ」

 熱くなるものを押さえるように、額に手を当てる。

 泣いては駄目だ。
 折れたら、そこできっと立ち上がれなくなってしまう。

「なんで……そのままで……同じ処にいてくれなかったんだよ…っ……!」

 そうしたら、そのまま――でいられたのに。





 彼女は、懐かしい場所にいた。
 柔らかな光に包まれた館……九羽鳥庵。
 優しくて穏やかで温かい場所。
 守られた小さな楽園。

『ベアト……さぁ、こちらにいらっしゃい』
『お茶にいたしましょう。お嬢様』
『このスコーン、美味しいわよ。リーチェ』

 大切な人たち、大好きな人たちが傍にいる。
 いつまでも続くお茶会、永遠の幸せ。

 ―――それなのに、何か落ち着かない。

 心の奥がざわざわする。
 哀しくて、苦しい。
 暗い闇が周囲から押し寄せて来る。
 楽園を取り囲むように。

『どうしたのですか』
『お師匠様、妾は……怖いのだ』
『ここにいれば、安心ですよ』
『はい。私達がお嬢様をお守り致します』
『そうよ。リーチェは何も心配しなくていいの』

 そう。ここにいれば、心配ない。
 何も苦しい事はない。幸せでいられる。幼いあの頃のように。

 闇がざわめく。微かな微かな声が聞こえる。

 なら、どうして、妾は外に出たいと思ったのであろう。
 外はあんなに暗くて恐ろしいのに。

『なら、ボクが、もっと幸せになれる処へ連れて行ってあげるよ』

 温かい眩い光。

『怖い闇が決してやって来ないところ。光に満ちた世界にね。……さぁ、おいで。ボクの処へ』

 導くように伸びる光の道。

『ボクが君を……君の大切な人たちを守ってあげる。みんな幸せになれるよ』

 彼女は、闇から逃れるように、光へ向かって歩き出した。
 幸せへと向かって。





 ―――グレーテルは、先程と同じ曲がり角に立っていた。

 左に曲がれば、医務室がある。
 南條1人なら、敵ではない。
 
 必要な事だ。仕方ない事だ。
 皆の為に、繰り返さない為に。

 それなのに―――

『俺……さ、あいつが生きてたって聞いて、ほっとしたんだ。あいつを助けられなかった事……ずっと後悔していたから。もっとやりようがあったんじゃないかって』

 ―――何故、譲治の後を追って、戦人の処に行ってしまったのだろう。

 目的の為には、必要などない事なのに。

『縁寿が……皆が待ってる。縁寿達とあいつなら縁寿達を取るしか出来ない。あのときそうしたように」
『当然だよな。1人とそれ以外の皆なら、皆を取る。縁寿ひとりだったとしても、縁寿を取るさ。何度考えても……それしか選べない』

 それは望んでいた言葉。紛れない真実。
 喜ぶべき言葉だ。

『……俺に大切なものがあるように、あいつにもそれがある。なら、戦うしか……斬るしかないじゃないか!』
『その覚悟が必要だ……そうだろ?』

 言わなくてもわかっている。わかってくれている。
 なのに、どうして……苦しいのだろう。

『俺は正気だっ!!!! お前は敵なら誰でも彼でも殺しゃいいって思ってんのか!? 敵なら友達でも親兄弟でも殺すのかよっ!!!?』

 あの戦いの時……心の底からの叫び。

『あんな奴のために……あなたはあいつとあなたの帰りを待ってる妹とどっちが大事なのよっっっ!!!!? あなたはお兄ちゃんなんでしょう!!? お兄ちゃんが妹を残して死んでいいと思ってるのっっっ!!!!?』

 突きつけたのは、自分だ。
 想いという鎖で、心を捉えた。共に帰る為に。
 それから、彼はずっと何度も何度も考え、言い聞かせて来たのだ。きっと。
 表面上普通を装いながら、繰り返し、繰り返し。皆の為に……帰りを待つ妹の為に。これが正しい事なのだと。
 そうして……変わってしまった。あの時あの魔女に手を伸ばそうとした彼ではなくなってしまった。

「……関係……ないわ」

 関係ない。関係ない。関係ない。
 必要な事だ。皆を助ける為に。彼を生かして妹の元へ戻す為に。

 その為なら、どんな事をしても―――

『……本当は……助けたいんです。今すぐにでも、癒してあげたい。私のこの力は傷ついている人を、助ける為にあるんですから。……でも、駄目なんです。わかっているんです』
『俺……あいつも助けてやりたいんだ』
『私は、うみねこホワイト……ひとりじゃない。仲間が……皆がいる。勝手にしてはいけないって……皆を信じているなら』
『よくない! そんなのよくないよ。お姉ちゃんがしあわせでないと、縁寿もしあわせになれないもん。みんなでしあわせにならないとダメだよ!』
『俺……戦いの前にあいつと約束したんだ。『大切な人を絶対に守る』って。でも……その中にはあいつ自身は入ってないんだよな。傷ついても、憎まれても構わないって思ってる。……一番それがムカつくんだよ。俺約束したんだぜ。『お前も絶対に笑顔でここに戻ってこい』って……俺に要求するなら、てめぇも守りやがれってんだ』

「……馬鹿……みたい」

 ぽつり、呟くと、医務室と反対側へと足を向ける。

「……行かなくていいんですかい」
「……天草……」

 壁にもたれて立つ人影。

「目的があってここまで来たんでしょう」
「……あなた……つけてたの」
「俺はお嬢の護衛ですからね。仕事をしているだけです。大体、ストーカー&ピーピングのお嬢には言われたくないですね」
「……だ、誰がストーカーよっ……!」

 すたすたとその前を通り過ぎる。

「ま、子供はとっくに寝る時間ですしね」
「……あなた、私を止めるつもりだったの?」
「……何の事ですか?」
「…………」
「お嬢は此処にいる。それだけが確かな事でしょう。仮定を言われても……ね」
「……必要な事だからよ」
「はい?」
「戦いは終わっていなかった。新たな敵に立ち向かう為に、ここで面倒ごとを起こす訳には行かないのよ」
「……なるほど」
「それだけよ」
「そういう事にしときましょう」

 廊下に、グレーテルの早い足音と、天草のゆったりした足音が続く。

「どこまでついて来るつもり?」
「もう夜中ですし、部屋の入り口までお送りしようかと」
「必要ないわ」
「では……一つだけ」
「何?」
「俺も加えておいて下さい。『お嬢を幸せにしたい同盟』の一員にね」
「……頭おかしいんじゃないの」

 グレーテルは振り返らずそういい、そのまま歩き去って行く。
 天草は、苦笑めいた笑みを零した。

「ゴールは遥か彼方なり……か。それでも、道はそこに在る」

 ―――その時、ふいに大きな警告音が響いた。



「何?」

 各所にいたセブンの面々は、皆一斉に頭上を見上げた。

《緊急事態だ》

 スピーカーから、金蔵の声が響く。

《ベアトリーチェが姿を消した。ガァプシステムを使って、遊園地の方へと出て行ったようだ》

「!」
「なんですって!」

《すまない。ふいに強い睡魔が襲って来て……気づいた時には……》

 南條の言葉が被る。

《おそらくファントムの怪人の仕業だ。波動を感知している》

「すぐ追いかけないと!」

《まだ動ける状態ではない筈なのだが……》

《皆! 遊園地にファントムが現れたわ。人がバタバタと倒れて行ってる》

「まさか……陽動?」
「うー! ベアトそんな事しない!」
「話は後だ。皆、遊園地に向かおう!」





「ドリーマーァアアア。皆ボクの夢の中で楽しい幻想の夢を見るといいよ」

 体は熊、鼻は象、目は犀、尾は牛、脚は虎……つぎはぎしたような姿で二本足で立つそれは、明らかに現実の獣ではない。
 人の夢を喰って生きると言われる伝説の生物、獏を模して作られた怪人、ドリーマーは鼻を得意げに蠢かせた。

「嫌な事も、辛い事、全てボクが食べてあげる。ゆっくりお休み……ドリーマァァー」

 ドリーマーの言葉と同時に、人がどこからともなく、その周囲へと現れ、バタバタと倒れていく。

「世の中辛いことばかり……夢の中の方が幸せさ。……遊園地の夜は人が少ないな。まぁ、明日は街中に出掛ければいいか。ボクの夢の中で皆幸せになり、ファントムは力を得る……一石二鳥だね。さぁ、山羊さん達、ボクの前に、旅人を連れて来ておくれ」

 手にした杖を掲げながら、山羊達に指示を飛ばす。

「ボクが世界を幻想に変えてあげるよ。……ん? 新しい旅人だね。さぁ、おいで」

 空ろな瞳の金髪の女性が、奥から覚束ない足取りで歩いて来る。

「……皆……幸せ……」
「そうだよ。皆……幸せになれる。ボクの言う通りにしていれば。さぁ、山羊さん、その人もボクのところに」

 山羊が、その身を取り囲む。

 その瞬間―――

「ベアトぉおおおおおおっ!」

 ―――飛び込んで来た赤い影が、山羊を弾き飛ばしていた。



 ベアトリーチェがいなくなった……それを聞いた瞬間、戦人は基地を飛び出していた。
 考えるよりも早く反射的に。

 冗談じゃねぇ!
 まだ俺達は何も……何も話してねぇんだぞ…っ……。

 走って、走って、山羊の中央にいる彼女を見た瞬間、そこに飛び込んでいた。
 これまで避けて来たその名前と共に。

「……!……俺……」

 ずっと考えていた。戦わずに済む方法……それが無理なときは、戦う覚悟を。
 殺したくない。倒したくない。
 だが、相手はファントムの首領、ベアトリーチェだ。
 あの遊園地で出会った幻のベアトではない。彼女は存在していなかった。

 それなのに―――腕の中の金髪の少女を見下ろす。

「ああ。そっか……そうだよな」

 ―――俺はベアトリーチェなんて知らない―――

「俺にとって、おまえはベアトなんだ」
「ベア……ト……?」
「そうだ」

 幻でも、存在していなくても。
 嘘で彩られた偽者だったとしても。
 それでも、それが戦人にとっての真実だ。

 山羊の中にいる姿を見たとき、助けなければと思った。
 あれほど疑わなければと思っていたのに、結託しているなど思いもしなかった。
 あの城の中で、彼女を助けようとしたときのように。

 彼女は……微笑っていたから。
 嬉しそうに、楽しそうに、幸せそうに。
 あれをなかった事には、出来ない。あの思い出を嘘には出来ない。少なくとも、自分には。

「レッド!」
「大丈夫かい!」

 後方から仲間達が走ってくる。

「話は後だ! 皆……頼む。こいつを……」
「わかった! 任せとけ!」

 イエローが前へと突っ込んで行く。

「ドリーマァアアアア! 良くも邪魔をしてくれたね。でも、もうその子はボクのものだよ。ドリーマァァァ……君の夢を邪魔しようと闇がやって来ているよ」
「……や……み…………嫌……だ」
「おい! ベアト!」

 掴みかかって来るベアトリーチェの手を掴む。



 九羽鳥庵の更に奥深く……黄金の鳥篭の中に彼女はいた。
 揺りかごのような、母親の胎内のような……安心出来るところ。
 ここにいれば、何も悩む事はない。考える必要がない。

 辛い事も、哀しい事も、苦しい事もない。
 戦う必要も、傷つく必要もない。

『そうよ。リーチェ』
『あなたは私達が守ります』
『ゆっくりお休み下さい。何も考えずに』

 いつまでも、幸せでいられる。穏やかで優しい時の中で。

 ワルギリア、ロノウェ、ガァプ……使用人の皆との幸福な日々。
 かけがえのない大切な人たち。

「ん? おかしくはないか」
『どうしてですか?』
「……足りなくはないか」
『何が? 元からこの人数よね』
「そうだったな。だけど、何か……」

 もっと、別の幸せもあった気がする。
 こんなに優しく穏やかではないけれど、強く激しく熱い想い。
 走って汗だくになって、元気に跳ねて、遊んで、これまで出来なかった事をたくさんした。たくさん見た。

『なぁ。お師匠様、今度外でお茶しようぜ。紹介したい奴がいるのだ』
『前言っていた戦人くん達ですか』
『そうそう。皆一緒だと更に楽しいと思うんだよなー。戦人達も友達連れて来るってさ』
『……そう……出来ると良いですね』
『出来るさ。ファントムの目的を達成して、人間界を幻想で染めればいいんだろ。そうしたら……』
『そうね。その時は、世界はあなたのものよ。リーチェ』

 ちりっ……と心の奥が痛んだ。
 何かが、おかしい気がする。自分の望んだ世界はこんなものだっただろうか。

『君は辛い思いをしたんだよね。だから、ボクの夢に魅かれた。このままだと、辛い事……闇に捕まってしまうよ』

「ベアト! おまえ、何の為に俺と戦ったんだよ。守りたいって言ったじゃねぇか! しっかりしやがれ! このまま訳のわかんねぇ夢に捕まるのがおまえの望みかよ!」

 声が、叫びが、闇と共に突き刺さるように追って来る。
 暗くて怖い筈なのに、足が動かない。

『考えては駄目よ。リーチェ』
『そうです。全て私達に任せて下さい』
『お嬢様は誰にも傷つけさせはいたしません』

「……わ、妾は……それが嫌だったのだ…っ……!」

 守られるだけは嫌だった。
 自分に良くしてくれている皆を、守りたいと思った。

『ならば、あなたが戦うというのはどうでしょうか』
『妾が……戦う?』
『そうです。人間界を幻想で染め、幻想の人々を救うのです。あなたになら、それが出来ます。あなたは黄金の魔女ベアトリーチェなのですから』

 かつて黒髪の宰相と交わした言葉。

「さっさと起きろ! このまま逃げるのは許さねぇぞ。ベアトぉおおおおっ!」

 強い想いのこもった魂を揺さぶる声。

「妾は……皆を守る為、救う為に来たのだ。幸せになりたかった訳ではないわ!」
『ドリーマァアアアアアアッ!!』

 黄金の鳥篭が、弾け飛ぶ。
 光の細かい粒になり、消えていく。
 大切な守りたい人達の面影と共に。

「……足りぬ……わ……」

 新たな守りたいもの……その笑顔と共に、彼女の意識は途切れた。



 ふいに、ベアトリーチェの体が黄金の光に包まれた。
 眩い輝きが溢れ、周囲の幻想を吹き飛ばしていく。

「な、なんだ? ドリーマァアアアアアァッ!」
「ベアト!」

 光と共に、力を失った身体を抱き止める。

「レッド、ここは私が……」
「よし、頼んだぜ!」

 ホワイトに、ベアトリーチェの身体を託して、立ち上がる。

「ドリ、ドリーィイイイイィッッ……食べた夢が……消えてる。ボクの力の源が……」
「いいか! 良く聞け! 象もどき野郎!」
「象もどき……」
「獏だと思うんだけど……」
「無理無理。レッドが知ってる訳ねぇって」
「うー! イエローは知ってる?」
「も、もちろんだぜ。ははははは……」

 レッドのテンションに引っ張られ、皆の空気が変わる。
 いつものうみねこセブンへと戻って行く。

「燃える闘志は不死鳥の如く!うみねこレッド!!」
「岩を穿つ雫(こころ)は龍の如く!うみねこイエロー!!」
「静かな決意は獅子の如く!うみねこグリーン!!」
「桃色旋風は猫の如く、うみねこピンク!!」
「白き癒しは一角獣が如く、うみねこホワイト!!」
「黒き疾風は黒豹が如く、うみねこブラック!!」
「孤高の刃は鮫が如く、うみねこブルー!!」

「輝く未来を守るため! 六軒島戦隊 うみねこセブン!」

「ドリィイイイイィィッ! ……消えたならまた集めればいいだけ……君達もボクの夢に案内してあげるよ。ドリィイイイマァアアアァァ」

 ドリーマーの身体から、幻想の夢の力が広がり、セブンを包んでいく。

「さぁ……嫌な事は全てボクが引き受けてあげる。……全て忘れて、ゆっくりお休み」

「くっ……皆気をつけて!」
「……へへっ。母さん見てくれよ。凄いいいステージだろ」
「……うー。ママお仕事辞めたの? ずっと真里亞と一緒?」
「……園長先生……生きて…いて……くれたんですね」
「……はい。皆、一緒です。ずっと、ずっと……皆一緒に、幸せ……に」
「……おに…ちゃん……良かった……わた…し……」

 宙を見上げ、ぶつぶつと呟き、それぞれ別々の方向へと歩き出そうとするセブン達。
 グリーンでさえ、自らを抑えるのに精一杯で何も出来ない。

 そこに銃声と共に、大きく強い輝きが走った。
 光はドリーマーの鼻先をかすめ、幻想を切り裂いていく。

「ドリィィイイイイイイイッ! な、何を!」
「だーーーっ! 皆いい加減にしやがれ! そんないい加減な夢に惑わされるな!」
「ドリィマァアアアッ。いい加減とはなんだよ。ボクは皆の望む幸せを」
「結局夢じゃねぇか! 自分の望む事しか起こらないんだろ。そんな予定調和つまらねぇよ」
「辛い事がなくなるんだよ。全て忘れられるんだ。幸せだと思わないかい」
「……辛いだけじゃねぇよ」

 あの戦いの事を思い出すと心の奥が疼く。
 戦う事に迷いが過ぎる。背を向けてしまいたくなる。
 ベアトリーチェの事を、これからを考えると、辛く苦しい。
 けれど―――

「この記憶が消えるって事は、それに関する事全てが消えるって事じゃねぇか」

 あの始まりの記憶。戦おう、守りたいと思った日。
 続く戦い。辛い事や苦しい事がたくさんあった。
 けれど、そうして戦う事で得られたものもあった。

「嫌なことも、苦しいことも、皆ひっくるめて、大切な記憶なんだよ。それを失くしちまったら、楽しい思い出も消えちまうだろうが!」

 助けた人々の笑顔、新たな仲間、絆……友達。
 暖かで幸せな記憶。
 出会わなければ、あの思い出がなければ、この苦しさもなかったのだ。

「……そう……だな。母さんにちゃんと認めて貰うんだ。私自身を……私自身の力で」
「うー。真里亞、我慢出来るもん。ママ、お仕事頑張ってるんだから、真里亞も頑張る。そして、また一緒に遊園地に行くの。その方が真里亞もママも嬉しいもん!」
「僕が夢に……殻に閉じこもる事を先生は望まない。未熟な僕にだって、それくらいはわかる。……僕は、もう間違えない」
「昔には戻れないけれど、今の私には大切な仲間が……皆がいます。自分で選んだ場所……幸せも自分で選びます!」
「……そう…。私は……れるのではなく、変える為に……ここにいる……のよ」
「皆……」

 仲間達の目が光を取り戻していく。

「よっしゃ! 皆、このエセ象もどきに、さっさと引導渡してやろうぜ」
「おう! 乙女の心を操ろうとした罪万死に値するぜ」
「うーうー! あんなの真里亞のママじゃない」
「はい。非情に不愉快です」
「人の傷ついた心につけこもうとするなんて許せません」

「……やっぱり、正解だな」
「ん? 何が?」
「戦人くんはレッドだってことだよ」

 皆の心に炎を……希望を灯す存在。

「ド、ドリィィイイイ! そんな、夢が……夢が消えていくぅうううううううっ!」

「へっ。そんな悪夢は必要ねぇぜ!!」

 ―――【蒼き幻想砕き】の弾丸が、弱った幻想をかき消した。




「戦人!」
「やったね。戦人。うーうーうー!」

 皆が、スーツ姿を解除した戦人へと駆け寄って来る。
 戦人は、そっとホワイトへと歩み寄った。

「ベアトの様子は?」
「……余り良くありません。今の力の放出で、生命力が弱まっています……」

 ベアトリーチェの額に手を当てながら、首を振るホワイト。
 戦人は、垂れ下がったその手を取った。驚く程冷たい。

「兄貴……俺、こいつをこのまま見殺しには出来ない。ベアトは……友達だから」
「戦人くん……」
「俺はベアトしか知らない。だから……話してみたい。ベアトリーチェと。戦い、殺しあう事になったとしても、何も知らないままは嫌なんだ」

 譲れないものはある。避けえない事も。
 かつての自分達は何も知らなかった。知らないまま、来てしまった。

「……戦人……」
「悪ぃ。グレーテル。……俺は、大切なものを守る為でも、抵抗出来ない友達に手をかける事は出来ない」
「……それが偽物だったとしても?」
「ああ。ベアトが俺をどう思っていたとしても、俺の気持ちには関係ない。今ここでこいつを死なせたら、俺はもう正義の味方……ヒーローでいられない。そんな気がするんだ」
「うー! ベアト、友達! 真里亞変わらないよ。うーうー」
「前と同じようになれるなんて甘いことは思っちゃいねぇよ。けど……知らないこいつを手にかけて終わり……そんな結末は変える事が出来る」
「……その結果あなたが死んだとしても?」

 ブルーの真っ直ぐな視線を受け止める。

「……後悔はしねぇよ。……って、そんな不吉な事言うなよ! 約束しただろ? あの約束はまだ有効だぜ。……守ってくれるんだろ?」
「…………」

 揺ぎ無い眼差を返す戦人。
 マスクの下のブルーの表情は伺えない。

「決めたんだね。戦人くん」
「……決めたというか、決まっちまったというか、なんだろうな……俺はベアトの全てが嘘だったとは思えねぇんだ。どうしても。その上で……どうにもならなければ、もう一度戦う。全てをわかって覚悟した上で。……こいつの力はとんでもないから、責任取るなんて事はいえねぇんだけどな」
「その為に私達がいるんだろうが! 水臭いぜ!」

 朱志香が、その背中を勢いよく叩く。

「げほ! おまえ……相変わらず……殺す気かっての!」
「生きてる……生きていたからこそ、こんな話が出来るんだしな。私は構わねぇぜ。現時点で戦人のようには思えねぇけど、友達の友達は、私にとっても友達だしな。未知の危険の為に仲間に我慢させるより、そいつをぶち破る方が性にあってるぜ」
「話したいという気持ちは……僕にもわかります。僕も……そうでしたから。戦人さん達は、僕達にそれを許してくれた。僕達は駄目でしたけど……だからこそ、僕は力になりたいと思います」
「……そうだね。やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい。戦人くん1人でどうにも出来ない事でも、僕達がいるよ」

 そんな甘いものではない。
 気合だけでどうにかなるような状況じゃない。

 そう頭の中で声が響く。

「兄貴、俺がどうするかなんて、最初からわかっていたんじゃねぇの」
「……まぁ、戦人くんはレッドだからね」
「理由になってないっての」

 僅かな笑い……そして、皆の視線が一つに集まる。
 微動だにしない、ブルーへと。

「……グレーテルさん……構いませんか?」

 ホワイトが、癒しの力を宿した手を掲げ、伺う。
 皆の総意は出ている。それでも、彼女は……皆は自分にも問いかける。
 そうして、自分が反対したならば、強行はしないのだろう。仲間だから。

 黄金の魔女の力は危険だ。ファントムは甘い事を考えていて勝てる相手ではない。
 その思いは変わらない。変われる筈もない。
 脳裏を炎に彩られた映像が過ぎる。
 あの想いが忘れられる筈がない。

「…………勝手にすれば」
「あ、ありがとうございます!」

 ここで彼女を殺せば、皆は助かる。
 けれど、同時に心が―――死ぬ。

 きっと、皆もう笑う事は出来なくなる。待っているあの子も。

 皮肉な運命の手に操られているような気がしてもどかしい。
 それでも……皆が笑っている。自分の知っている守りたいものがここに在る。

 今は、それだけで……いいような気がした。



「癒しの風よ。我が祈りに応えよ。『ヒーリング・ウインド』」

 ベアトリーチェの身体を戦人に預け、ホワイトが癒しの技を使う。
 純白の光が、傷ついた身体を包み、癒していく。
 蒼白だった頬に赤みが差し、表情が穏やかになっていく。

「……ん……」

 金の睫に縁取られた瞼が開き、蒼の瞳が覗く。
 皆が緊張し、一斉に身構える。

「……ここ…は……」
「ベアト、気づいたか。ここは俺とおまえが出会った遊園地だよ」
「遊園地……って、何ですか?」
「え?」
「……私は、一体……」

 きょとんと首を傾げる仕草からは、あの黄金の魔女の面影は全く読み取れない。

「お、おまえは、ファントムのベアトリーチェだろ」
「ファントム? ベアトリーチェ……? それは一体なんですか?」

「え、えええええええええっ!!」

 驚愕の叫びが辺りに響き渡った。
 運命の神の嘲笑が……聞こえた気がした。






 遠く離れた魔界にそびえる城―――ファントムの本拠地にある司令室……そこに彼の人の姿はあった。
 ファントム宰相、ミラージュ……ベアトリーチェが消えた今、ファントムの実質的なトップである。
 だが、ベアトリーチェがセブンに破れ、行方不明になった今も、依然宰相のまま上に立とうとはしていない。
 椅子に座ったミラージュの両端には、ヱリカとドラノールの姿があった。





「ドリーマーの力の波動が途切れました。どうやら、人間界で命を落としたようです」
「どういう状況で命を落としたのですか?」
「申し訳ございません。そこまでは……」
「全くどいつもこいつも役立たずもいいところです」
「無理を言うな。ヱリカ。……おまえのような者はそうはおらぬ」
「……やはり、私かせめてドラノールが残るべきでした。そうすればこのような事には」
「良い。気にするな。余り早く決着がついてしまっては、つまらなかろう。人間達に我等の力と存在を示すのも、目的の一つ……少しずつセブンとやらの力を殺いでいけばよい。おまえの……我らの勝利は確定しているのだからな」
「は、はい。ありがとうございます。必ずやご期待に添うよう頑張ります」

 階段を降り、ミラージュの前に立ったヱリカは跪き、頭を垂れた。
 そのすぐ後ろに、ドラノールがつき従う。

「ミラージュ様、では、私は人間界へと戻ります」
「そうか。良い成果を期待している」
「はっ」

 顔を上げたヱリカの瞳に逡巡の色が浮かぶ。

「どうした?」
「ミラージュ様、ベアトリーチェ様はもういらっしゃいません。今このファントムを支えていらっしゃるのは、ミラージュ様です。ミラージュ様が、ファントムを治められても良いかと思うのですが」
「いや、ベアトリーチェ様が亡くなられたと決まった訳ではない。ベアトリーチェ様は、強大な力を持つ稀有な方。その方を差し置いて、私が至尊の位に就こうとは思わぬ。ファントムの為に大義を成す……その為だけならば、今のこの地位があれば十分だ」
「も、申し訳ございません。余計な事を申しました」
「いや、その気持ちは嬉しく思う。感謝する」
「はっ。失礼します!」

 ヱリカは敬礼と共に、退出した。

「……まったく……理解出来ませんわ」
「どうなさいまシタカ。ヱリカ卿」
「どうして、ミラージュ様は、あのようなものを評価しているんでしょう。理解出来ませんわ。頭脳はもちろん、力でも、引けをとらない筈ですのに……」

 眉をひそめる。
 ヱリカの眼から見れば、ベアトリーチェは、強大な魔力を持つとはいえ、世間知らずの箱入りに過ぎない。
 実質的にファントムを掌握し、取り仕切っていたのがミラージュだというのは、皆わかっている事だ。
 だからこそ、ベアトリーチェが亡くなった今も、ファントムは変わらず揺るがず在る。

「まぁ、ミラージュ様にはミラージュ様のお考えがあるのでしょう。行きますよ」
「はい」

 二人の姿は、かき消えるように消えた。



「……ベルンカステル卿。何用か」
「やっぱり気づいていたのね」

 ミラージュの言葉と同時に、その背後の空間からドレスを纏った長い髪の少女が滲み出るように姿を現す。
 
「隠す気もなかったように見受けられるが。……久しいな」

 ミラージュは振り返る事なく言葉を返す。
 その表情はとても穏やかで、笑顔は見惚れる程に優しげで美しい。

「そうね。あなた相手なら、隠れても無駄でしょうから。私無駄な努力はしないの」
「ファントムの重鎮、ベルンカステル卿なら、造作もない事であろう」
「そうかしら。……それを言うなら、貴方は実質上ファントムの支配者だわ。皆口に出さないだけでそれを知っている。まぁ、それは、彼女がいたときから同じだったけれど。黄金の麗しの魔女ベアトリーチェ。その実態は、お飾りの姫君、籠の中の小鳥……そして、小鳥は籠から出ては生きられない……あなたならさっきのあの子がやった事も知っているんでしょう」
「……彼の方の行方、そなたは知っているのではないか」
「あら、答えてくれないのね。答える必要はないという事かしら。……黄金の魔女は城と運命を共にした……そうではなくって?」

 疑問に疑問で返し、繋がらぬ会話。
 それでも互いに薄く笑みを浮かべた表情は変わらない。

「黄金の魔女は、強大な魔力を身に秘めた存在……それが失われたならば、世界が揺らぐ。……今の世界は平穏過ぎると思わぬか」
「平穏はいいことではなくて。私達ファントムの望みは、世界を幻想の者の手にすること……平穏であればこそ、侵略も出来る。そうでしょう。……わかっていて、彼女には何も言わないのね。流石宰相殿」
「……わざわざ言葉遊びに来るとは……流石退屈を嫌う魔女殿だな」

 どちらも視線を合わせず、最初の位置から近づく事はない。
 美しい黒髪の青年と少女。一幅の絵のようなふたり。

「何か思う事があるなら、力ずくで聞いてみればどう? あなたには可能ではなくって?」
「私の力など、魔女の名を冠する方々に比べたら微々たるものだ。それに、女性に無理を強いるのは紳士とはいえまい」
「……余裕ね。全てあなたの計画通りという事かしら」
「私に何か思うところがあるなら、好きにすればいい」
「あら、そんな度胸はないわ。私、これでも、小心者の子猫なのよ」

 ベルンカステルは、ふわりと笑うと姿を消した。
 後に残るのは、緩やかな笑みを浮かべた青年がひとり。

「……人も世界も変わらない。在るべきものは、在るべき処に……それが運命だ」


【エンディング】



《This story continues--Chapter 29.》


卯月華桜さんのイラストを使わせて頂きました。 卯月さんありがとうございます。

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