「これから明日の早朝まで自由とする」
 その言葉は、午前の訓練を終え会議室に皆集まったところへ、金蔵から発せられた。皆一様に金蔵を見やる。
「お言葉ですが、明日は大事なファントムとの一戦。最後の詰めをしておかなくてもよろしいのですか?」
代表して蔵臼が口を開く。すると、金蔵は豪快に笑い声を発した後、真剣な眼差しで皆を見据え答える。
「くくく、今更何を準備するというのじゃ。出来ることは全てやってきたつもりだ。後は、そう、気持ちの問題というもの。ならばこそ、明日に備え各々決意を固めて欲しい」
「大事な者と過ごすのもよかろう。一人で想いを馳せるのもいいだろう。明日という区切りの日の為に、思い残すことのないよう、そして無事戻ってこれるよう、今日を過ごして欲しい」
金蔵の言葉に誰も言葉を紡ぐことが出来なかった。そう、明日は何が起こるのかわからないのだ。もしかしたら、最悪……。そう考えると自然重苦しい空気が漂い始める。
「それでは解散とする!!」
そんな中、金蔵の声だけが高らかに木霊する。それは、その雰囲気を振り払うかのように、皆の気持ちを鼓舞するかのように……。





うみねこセブン 第23話
「決戦前夜」





PART A 〜〜遊園地某所〜〜

遊園地の一角を譲治と紗音は歩いていく。
『少し一緒に歩かないかい?』
そう誘ったのは譲治からだった。紗音はそれに一言『はい』と頷き、二人連れ立って会議室を後にした。
「…………」
「…………」
道中、二人は終始無言だった。先ほどの金蔵の言葉の重みに耐えているかのように。あるいは、何かを言い出そうと迷っているかのように。
「着いたよ」
「え?」
 突然、譲治が足を止め、紗音の方を振り向き、そう告げる。紗音は一瞬戸惑いながらも、
「……あ」
立ち止まった場所を見て、何故ここだったのかを悟った。
「懐かしい、ですね」
 紗音は少し前のことを愛しむように微笑む。それにつられ譲治も穏やかな表情を浮かべる。
「ああ。ここは君が大事な決意をしてくれた場所」
そして、と言葉を繋げる。
「僕たちの約束の場所だよ」
「そうですね。私はここで譲治さんに勇気をもらった。沢山の人たちに優しさをもらった。そして、貴方との約束がすごくうれしかった」
その言葉が発せられると同時に、譲治は紗音の肩を抱き、じっと瞳を見つめる。
「じょ、譲治さん!?」
突然の事に声を裏返しながら驚く紗音。だが、譲治の眼差しを見て、自身も彼を真っ直ぐに見つめる。
「どうしたんですか?」
 その問いは譲治の瞳の奥に、何か思いつめたものを感じたからかもしれない。譲治は、ははと笑いながらその答えを発する。
「正直に言うとね……。少し怖いんだ。さっきのおじい様の言葉を聞いて、いや聞く前からずっと思ってた」
 それは誰もが思う不安。されど、今までうみねこセブンを引っ張ってきた兄のような存在である譲治には、その弱みを見せることが出来なかった。自分の中で溜まっていく不安、それは他の誰よりも強いものかもしれない。
「誰かを失ってしまうんじゃないかって。大切な人がいなくなってしまうんじゃないかって」
……君がいなくなってしまうかもしれないって……
 自分のことではなく、誰か他の人たちが傷つくのが、譲治にとって一番つらい事だった。そして、大切な人と二度と会えなくなることが彼にとって、何よりも耐え難いことだった。
 そこまで聞いて、紗音は譲治をぎゅっと抱きしめる。譲治の胸に顔を当てながら言葉を紡ぐ。
「譲治さん、ありがとうございます。そこまで私たちのことを想っていてくれて」
「私も不安だったんです。誰かが傷つくかもしれないことが。大切なものを失ってしまうかもしれないことが」
 紗音にとって、それは、昔あった現実。かつて大切だった人を失ってしまったという悔恨。
「でも、だからこそ思うんです。守りたいって。もう二度と誰も失いたくないって。それが私の貴方からもらった勇気……」
だから、と言葉を一度区切り、不意に、背伸びをして……。
譲治へと数瞬、唇を重ねる。
…………
…………
キスを終えると、紗音はぱっと譲治から離れ、恥ずかしそうに微笑む。
「今度は私から勇気があげられたらって思います。だから、その……」
 真っ赤になって言葉を紡ぐことが出来なくなる。それに対し、譲治は数秒呆けた表情をしていたが、紗音の顔を見て、自身も顔を染めながら微笑む。
「はは、かなり驚いたな。でも、ありがとう。すごくうれしかったし、勇気をもらえた」
 その言葉に紗音はぱっと表情を明るくする。
「その、よかったです!! 頑張りましょう、みんなで帰ってくるために」
「ああ、そうだね」
紗音の言葉に答え、譲治は更に言葉を繋げる。
「ねえ、紗音ちゃん。一つ約束をして欲しいんだ」
真っ直ぐと見つめられ、紗音はこくりと首肯する。
「二人とも無事に帰ってこれたら、またここに一緒に来て欲しい。その時に……話したいことがあるんだ」
それは譲治の一つの決心。そして、絶対に帰ってくるという決意の表れ。
「はい! また二人でここに来ましょう!」
紗音は笑顔でそう答える。
二人の距離は自然と縮まり、再び唇を交わす。今度は少しだけ長く、二人の約束を絶対のものにしたいという誓いを込めて……。






PART B 〜〜高校校舎〜〜


「な、なあ、嘉音君、その、ホントに私でよかったの? その、他に誰かと過ごしたいとかって……」
 朱志香はいつになく緊張していた。
 場所は朱志香や嘉音が通う学校校舎。金蔵の言葉の後、朱志香がどこかに行かないかと誘い、嘉音の提案で二人でこうしていつも通う校舎へとやってきたのだ。休日のため、校舎内に二人以外の人は見当たらない。窓から下を見れば、運動部が校庭で練習をしているくらいだ。
「はい、僕も、朱志香さんとお話したいと思ってましたから」
 その言葉に、朱志香は一層かちこちに固まってしまう。
「え、あ、そうなんだ。ははは、よかった〜」
表情は硬いが、心底ほっとした顔を見せる。正直に言えば、どこに行くかなど全く決めていなかった朱志香だったのだが、嘉音がこうして喜んでくれているだけでうれしかった。
 いつも見慣れた校舎をしばらく歩いていると、嘉音がぽつりぽつりと朱志香に語りかける。
「朱志香さん」
「うん? どうかした?」
「ありがとうございます」
突然お礼を言われて、何のことかわからず首を傾げる朱志香。今日のことかと思い当たって聞くと、
「今日のこともあります。」
それに、と嘉音は続ける。
「僕のことを信じてくれて、僕に心をくれて本当にうれしかった。朱志香さんがいなかったら、僕はやっぱりまだ人間を信じることが出来なかったんだと思います」
 それは、嘉音が葛藤の末に辿り着いた一つの答えなのかもしれなかった。彼はファントムから離れるという形で、人間を信じることを選んだ。そのきっかけをくれた朱志香に対する感謝というのは、彼の決意の表れとも言えるかもしれない。
「そ、そんな大げさだなぁ。私は単純に嘉音君と仲良くなりたかっただけだぜ」
 照れくさそうにそう言いながら、自身の言葉に一層顔を赤くしてしまう。けれど、これだけは言っておかないとと思い、赤らめた顔を見られないように、前を見て歩きながら告げる。
「嘉音君はさ……、別に心がなかったわけじゃないと思う。誰も信じてなかったわけじゃなかったんだと思うよ。だから、昔から今の嘉音君みたいにやさしかったんだって信じてる。」
 私のことも助けてくれたしさ、と小さな声で付け加える。その後、穏やかな沈黙が流れ、二人は校舎を見て回る。どこか目的の場所があるかのように、嘉音の足は迷いなく進んでいき、朱志香はその横を寄り添うようにして歩いていく。
「朱志香さん、ここ覚えてますか?」
 ふいに嘉音が立ち止まり、朱志香に問いかける。
「え、ここって? あ……」
 朱志香も思い至る。ここは初めて嘉音と出会った場所。まだ仲間とも友達ともなっていなかった頃、それでも互いに助け合った大切な場所。
「朱志香さんに誘ってもらった時、真っ先に思い浮かんだのがこの場所でした」
「そう、なんだ。はは、あんまり時間は経ってないのに、すごく懐かしいぜ」
 朱志香が思いを馳せていると、嘉音は意を決したかのように朱志香の方を向き直る。
「朱志香さん!!」
「へ、は、はい!!」
いきなり大声で呼ばれ、驚く朱志香。嘉音が自分の方を向いていることに気づき、自らも嘉音を正面にとらえる。
「ここで、もう一度僕に決意をくれないですか?」
嘉音は続ける。
「約束してほしいんです。ずっと一緒にいるって」
その言葉にぼっと朱志香の顔が赤くなる。
「え、へ? ずっと一緒って……」
「もう誰も失いたくないんです。朱志香さんや姉さん、それに右代宮の皆さんも……」
「あ、あはは。そういうことか」
そこまで聞いて、朱志香は合点がいったように、そして少し残念そうに納得する。だが、その顔は嘉音に気取られることなく、すぐにいつもどおりの笑顔を見せる。
「ああ、わかったぜ。ずっと一緒だよ。この戦いが終わっても、これからもずっと。だから私にも約束してほしい。嘉音君も無事にみんなと帰ってくるって」
「はい!!」
嘉音の返事は清清しいものだった。だからこそ、朱志香は絶対にこの笑顔を絶やしたくないと思った。それはお互いにとっての決意の表れ。





PARTC 〜〜屋上〜〜

吹き抜ける風に身を委ねながら、グレーテルは屋上のベンチで一人佇む。青空の下、屋上のフェンス越しに見える風景は壮観なものがあったが、彼女の心は曇ったものだった。
 左腕には包帯が巻かれていた。ホワイトの治癒が早かったこと、処置が早かったことが幸いし、痕はまだ残っているが、痛みは殆どない。これならば明日の決戦は万全の状態で迎えることができるだろう、とグレーテルは安心していた。
 だが、傷口を見るたびにあの日が思い浮かび、それが彼女の心を暗くしていくのだ。
「戦う……理由か」
戦う理由。グレーテルにとってそれは紛うことなく、決まっていた。ファントムを倒すことだと。けれど、先刻の戦いの時に不意に浮かんだ疑問。
最初の最初。うみねこブルーとして戦いに参戦することになったきっかけ。それはただ、単純に、“誰かを守りたかった”だけなのだ。何時からか、いや、それはハッキリしている。大切な人たちを失い続ける内に、彼女のその想いは変容してしまったのだ。
それに気づいたとき、ふと自分の決意に迷いが生じた。いや、決意自体にではない。その想いは早々に変えられるものではない。彼女にとってファントムはやはり憎むべき敵なであることに変化はない。
けれど、とグレーテルは思う。憎しみだけで戦うことは果たして正解なのか、と。
それは、ほんの小さな疑問。故に押しつぶしてしまうことは容易だ。しかし、それはとても大切なことのような気がして、グレーテルはこうして一人物思いに耽っている。
と、そこまで思いを巡らせていると、ふいにがちゃりと屋上のドアが開かれる音に気づく。こんな誰もいないはずのところに一体誰が、とも思ったが、一人だけ思い当たる人物がいた。それは、この場所を好んで使っていた人物。かつて、彼女にこの場所を教えてくれた人物。
「お、先客がいたか。なんだグレーテルじゃないか」
「ちょっと皆と離れて一人になりたかっただけよ」
 その人物、戦人に自分の気持ちを悟られぬよう、あえて素っ気無くグレーテルは答える。
「そうか」
 戦人はそれ以上何も言わず、グレーテルの側まで近づき、
「なあ、隣、少しいいか?」
「好きにしたら?」
 戦人はグレーテルの隣に座り、横目でグレーテルをみやる。その視線に気づくが、グレーテルはあえて何も言わず、真っ直ぐとフェンスの先を見つめていた。お互いに言葉はなく、張り詰めた緊張感が辺りを包み込む。
 やがて、ふうとため息をつき、戦人が口を開く。
「なあ」
「何よ?」
グレーテルの素っ気無い態度にも、気を害した様子もなく、戦人は続ける。
「この間は、その、悪かったな……」
「え?」
 グレーテルにとってそれは、予想外の言葉。一体彼は何を謝っているのか、と思案するが、咄嗟に思い浮かぶこともなかった。
「いやよ、こないだの戦闘の時、思わず怒鳴るようなことしちまってよ」
 そう言われて初めて彼が何を言っているのかに気づく。先日の戦闘の際、彼女を制止したことを言っているのだ。
「ふん、何よ。別に気にしてないわ。でも、自分が悪かったって認めるのね?」
 思わず意地悪なことを口にするグレーテル。彼女も混乱しているのだ。だが、戦人はそんな彼女の問いかけに首を横に振る。
「いや、言ったことには後悔してねえよ。ただ、怒鳴っちまったのは悪かったな。あの時は本気でこのまま攻撃させちゃ駄目だって思ったんだ」
「はん、ファントムを倒すとか言って、殺す勇気もないわけ?」
 混乱のままにグレーテルは鋭利な言葉を返す。別に彼らにそんな勇気を求めているわけでもない。それは彼女自身が一番よく知っていた。
「必要なら……、それが本当に大切な人たちを守ることに繋がるならそうするさ」
 戦人は投げやられたグレーテルの問いにも真面目に答えていく。
「だけどよ、こないだは、いや、それ以前も、違うだろ!」
 怒りに任せた行動だと詰りたいのか、とグレーテルはかちんと来る。図星だったから、というのもあるが、それ以上に、気持ちをわかってもらえない悔しさが渦巻いていた。
「何よ! あんたに……」
「それによ……」
反論しようとする彼女だが、それを遮るように戦人は続ける。
「お前が辛くなるんじゃねえかって思うんだよ」
 意味がわからなかった。何故自分が辛くならなくちゃいけないのか。仇敵である彼らを倒せるなら、これ以上の喜びはないじゃないか。
「あの戦いの時のお前を見ててそう思ったんだ。お前は、別に憎いからうみねこセブンになったんじゃないんじゃないかって」
 戦人の言葉にはっと息を呑む。それは正しく彼女自身が感じていた違和感。いや、もっと言えば、彼女の中に生まれた小さな核心めいた何か。
「…………」
 グレーテルは何も言い返せなかった。自分は絶対に正しいと心からそう思えるならば、言い返すべきだった、しかし今の彼女にはそれをするだけの100%の確信というものがなくなっていた。
 戦人もそれ以上は何も言わず、先ほど以上に重苦しいだけの時が続いた。どれほどそんな沈黙が続いただろうか。日は既に傾きかけ、辺りは青から赤色へと変化していく。
「や……」
 その風景を眺めながら、グレーテルは搾り出すように言葉を紡ぐ。
「約束して」
「何を?」
「大切な人を絶対に守るって……」
 掛け値なしにグレーテルの本心だった。言葉は弱々しく、それは儚い夢を託すような、そんな口調。
 数瞬、戦人は沈黙し、やがて笑顔を浮かべ告げる。
「ああ、約束するさ。俺たちは誰も死なせねえ。みんな笑顔でまたここに戻ってこれるってな」
「そして、みんなを守るためなら、何も迷わねえ」
 力強く、確固たる決心。それはグレーテルから見れば、とても眩しく、尊いもののように今は感じられた。
「それとな、俺とも約束だ。お前も絶対に笑顔でここに戻ってこいよな」
 そう告げると、戦人はグレーテルの頭にそっと手をやり、やさしく撫でた。暖かい手の感触が彼女に伝わってくる。
「じゃあ、行くからよ」
手を放すと、戦人は立ち上がり、出口に向かって駆けていく。その後姿を見つめながら、先ほどの手の感触をまだ髪に宿しながらグレーテルは少しだけ笑い、呟く。
「貴方はいつもそうですね」
 その言葉は、戦人の耳には届くことなく、すっかりと赤く染まった空へと消えていった。



《This story continues--Chapter 24.》

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