『今回予告』

ずっと……一緒だった。
冷たい風が吹き荒れる中、2人一緒に寄り添って生きて来た。

他の者は皆敵―――頼ってはならない、心を許してはいけない存在なんだ。
彼らは人間であり、僕達とは違うから。

僕達は人じゃない。人間から弾かれた存在だ。
それなら、それで構わない。
人になりたいなんて思わない。あいつらの中に入りたくなんかない。
姉さんがいてくれれば……それでいい。
ずっと、そう思って生きて来た。
炎に包まれたあの日から―――

それなのに―――姉さんは僕を裏切り、飛び立ってしまった。
僕達は人間じゃない。その仲間になんてなれる筈……ないのに。

『六軒島戦隊 うみねこセブン』 第18話 「真実の願い」

「うみねこセブン……おまえ達さえ、いなければっ!」





 ―――視界に広がる全てが、赤い炎に包まれていた。

 パチパチと炎が爆ぜる音。立ち上る黒い煙。
 生き物のように蠢く炎の舌が、建物をなめるように包んでいく。
 消火が始まっていたが、炎が広がる勢いの方が強い。

「うわああああん!!」
「熱い。熱いよぉ……」
「いんちょせんせぇえええええ!」
「お姉ちゃん……お兄ちゃん……」

 子供達の泣き叫ぶ声。
 頭の奥が、がんがん痛い。耳鳴りがする。
 すがり付いてくる子供達を、反射的に抱き締める。
 そのまま必死の思いで飛び出して来た家を振り返る。
 呆然と……見つめる中、炎が全体へと広がっていく。

 何故。何故。何故―――それだけが頭の中をぐるぐると回る。

「! 院長先生! 先生は何処?」

 上がった声に、はっと我に返る。冷水を浴びせかけられたような震えが走った。
 先に逃げるようにと指示をしていた院長先生が、まだ出て来ていない。
 優しく思慮深く皆に絶対の信頼を寄せられている先生の顔が浮かぶ。

「まだ出て来てない?」
「そんな!」

 既に建物の入り口近くまで炎が回って来ている。
 直に中に入れなくなるのは明白だった。

「誰か……」

 周囲に目を向けるが、集まって来た人達は、皆一様に目を逸らした。
 隣にいた姉代わりの少女が、きゅっと唇を噛み締める。

「嘉音くん、皆をお願い」
「姉さん? 姉さぁあああああん!!」

 入り口へと、駆け出す紗音。弾かれるようにその後を追う。

「危ない!」
「きゃあああああ!」

 ―――轟音と共に、2人の頭上に炎の塊が落ちて来た。


「……っ!」

 嘉音は、弾かれたようにベッドから起き上がった。
 背中を冷たい汗が流れ落ちていく。

「……夢……か」

 見覚えのある白い天井が目に入り、ほっと息をつく。

「……院長先生……」

 様々な記憶が頭の中を流れていく。
 ぎゅっと唇を噛み締める。湧き上がる想いを堪えるように。

「姉さんは馬鹿だ。あれだけ裏切られたのに、どうして……」

 ぽつりとした呟きが、暗闇に吸い込まれて行く。



【オープニング】



「起立! 礼! 着席!」

 お昼休みの鐘が鳴ると同時に、席を立つ嘉音。
 全く表情を変えず、淡々と教室を出ていく。
 紗音は、なんともいえない表情で、その後姿を見送った。

『もう、いい、今は……。姉さんにも、もう一度分かる日が来る』

 そう言葉を残して去って行った嘉音。
 駆け去って行った後姿が、あの時とだぶって見えるのは、自分の気持ちが弱くなっているせいだろうか。
 違う。そんな事はない筈。
 彼は仮面を被るのが上手いだけ……そうしないと生きていけなかったから。
 誰よりも―――優しい子だから。

 その優しい弟を自分の決断で傷つけてしまった。
 そう思うと、心の奥が軋む。
 戦士になった事を後悔してはいない。
 だが、このままで済む筈がない。このままでいい筈がない。

 どうすれば……いいのだろうか。



「……なぁ、やっぱりこのままじゃいけないんじゃねぇか」

 戦人は、そんな紗音の後姿を見ながら、朱志香に囁いた。

 紗音が仲間になった翌日から、こんな状態が続いている。
 それまでは一緒に食べていたお昼も別になってしまった。
 元々、嘉音は紗音程、戦人達と仲が良かった訳ではない。
 紗音に引きずられるように加わっていただけで、一線引いたような感じはあった。
 だが、あんな風な頑なな様子を見せる事はなく、一緒に遊園地に行った際は、柔らかい表情を見せる事もあったのだ。
 それなのに―――

『ちょっと、喧嘩してしまって……ごめんなさい。なんとかしますので、少し時間を頂けますか?』

 紗音の言葉に従い、暫く様子を見守っていたのだが、改善される兆しは感じられない。
 部外者が口を挟み過ぎるのは良くないとはわかっているが、友人として見ていられなかった。

「うん……そうだよね。私もそう思うんだけど……」

 朱志香は、困ったように眉を顰めた。

「紗音ちゃんが仲間になったから……なのか?」
「タイミング的に関係していない事はないと思うんだけど、紗音が自分達の個人的な事情だからって、言いたがらないんだよね。嫌がるのを無理に聞けないし、家庭の事情だとしたら余計な事かもしれないなって……そんな権利ないし」

 『福音の家』という施設で姉弟のように共に育ってきたという孤児の2人。
 今までずっと支えあって生きて来ただろう2人の間には、それ故の強い絆がある筈だ。
 そんな2人に対して、知り合って数ヶ月しか経っていない自分に、何が出来るというのだろう。
 それを教えてくれた際の紗音の明るく話そうとする仕草と固い表情が脳裏を過ぎる。
 あの表情を見れば、辛い事があったのだとわかる。だからこそ……踏み込めない。

「権利とか関係ねぇよ」
「戦人?」

 力強い言葉に、顔を上げる。
 戦人の力強い眼差しが飛び込んで来た。

「ダチの事心配して何が悪いんだよ。そりゃ、踏み込んじゃいけねぇとこはあると思う。けど、心配してなんとかしたいって気持ちは間違っちゃいねぇと思うぜ。ダチなら当然だろ?」
「戦人……」
「皆しんどい、辛いって顔してるのに、ほっとけねぇだろ。真綿に包むみてぇなのは、なんか違うんじゃねぇかと思う」
「……うん、そうだな。デリカシーねぇ戦人にしてはいい事言うじゃねぇか」
「なんだとぉ。おまえこそ、うじうじ悩んでるんじゃねぇよ。それこそ、らしくねぇぜ」

 2人はにやっと笑みを浮かべた。

「で、どうする?」
「んー、紗音話してくれそうな感じないんだよな。気にしているというか、気を使っているというか……」
「いっそ、嘉音くんの方に聞いてみるっていうのはどうだ?」
「か、かかかか、嘉音くんに? そ、それはちょっと……そ、そうだ。譲治兄さんに頼むというのはどうかな?」
「兄貴にか?」
「そう。兄さんは大人だし、柔らかい雰囲気あるから、話しやすいと思うんだよな。紗音が仲間に入るきっかけ、兄さんみたいだし、この前も2人で水族館に行ってたしさ」

 戦人の追求を交わす為の思いつきだったが、話していく内にいい案なのではと思えてくる。
 まだつきあうとかそういう段階ではないようだが、お互い意識しているのは間違いない。
 2人で出かけたのがその証拠だ。
 紗音が興味を持っていた水族館のチケットが手に入ったからとの事だったが、料金を足して皆でという選択肢だってあった筈だ。
 あえてそれを指摘するような野暮な事はしなかったけれど。

「確かにな。俺達よりはいいかもしれないな。……譲治兄貴の方も、気が紛れるかもしれないし」
「兄さんがどうかしたのか?」
「いや、何処がどうっていう程変わった訳じゃねぇけどさ、最近難しい顔してるじゃねぇか」
「ああ。確かに。そうだな……」

 紗音と嘉音の事があったから意識していなかったが、言われてみれば固い顔をしている時が多い気がする。

「戦術方面とかの難しい部分、全て兄さん達に任せっきりだもんな。出動も頻繁だし、疲れたまってるのかもな」
「兄貴も紗音ちゃんも、自分の事よりまず他人で、我慢するタイプっぽいから、お互いにとっていいんじゃねぇか。一石二鳥って事でさ」
「そうだな。兄さんに話してみるよ」
「よろしくな。よっし、じゃあ、飯にすっか。紗音ちゃーん! 飯食おうぜ。飯!」

 にかっと笑うと、そのまま紗音の元へと駆け寄っていく戦人。
 重い心が軽くなっているのがわかる。
 戦人の言う通りだ。じっと黙って待っているなんて自分らしくない。
 なんとかしたいと思ったら動かないと。

「へへっ」

 紗音に向かっておどけている戦人に笑みが漏れる。
 お調子者だったり、突っ走ったりする事もあるけれど、勘が良く真っ直ぐ迷わず突き進んで行く強さを持つ戦人。
 だからこそ、彼はリーダーであり、皆の中心なのだろう。

『リーダーは戦人くんだよ』
『え? いや、リーダーっていうなら、兄貴の方が……』
『僕はリーダーには向かないよ。引っ張っていくタイプじゃない。生徒会長みたいな実務的な事ならともかく、戦う集団は、戦闘に立って皆を引っ張っていくものがリーダーであるべきだよ。僕は補佐の方が適正があると思う。戦人くんの後ろで、軍師的な立場をさせてもらうよ。その方が美味しいしね。ふふふ……』
『って、俺は単なる神輿かよ。ずりぃぜ。兄貴!』
『ははははは。まぁ、リーダーといったら、レッドと相場が決まってるしね。よろしく頼むよ』  

 かつて交わした会話が脳裏を過ぎる。
 譲治は、それを誰よりも良くわかっていたのだろう。

「いよっし! やるか!」

 自分は何を気弱になっていたのだろう。自分達は今まで多くの苦難を乗り越えて来た。
 それに比べたら、何て事はない筈だ。
 姉弟という誰よりも強い絆で結ばれている二人なのだから。

 ―――何も知らない朱志香は、このときまだ気軽にそう考えていた。



「……と、いう事なんだ」
「なるほどね。紗音ちゃんの元気がないとは思っていたけど、そういうことだったのか」

 うみねこセブン支部―――会議室でコンピュータに向かっていた譲治は、朱志香の話を聞き頷いた。

「嘉音くんとは姉弟のように育って来たんだよね。その弟と上手く行っていないというのは……辛いね」

『私……孤児なんです』

 紗音が仲間に入ると決まった後に聞いた事が浮かんで来る。
 戦士として戦って貰う以上、危険はつきものだ。親に話を通さない訳には行かない。
 一族の戦人達ですら、親に認めてもらうまで一悶着あったのだ。
 簡単には行かないだろうと思っていた。

 だが、紗音は逡巡の後、言い辛そうにそう告げた。

『だから、大丈夫です。親なんていませんから』
『ご、ごめん……』
『いいんです。こちらこそ、黙っていてすみません。親の事まで心配して下さってありがとうございます』
『あれ? じゃあ、嘉音くんは……』
『……嘉音くんは……弟なんです。本当の弟じゃないんですけど、ずっと一緒の施設で育って来て、苗字は違うけれど、姉弟みたいな関係なんです』

 噛み締めるようなその言葉から、彼に対する想いが伝わって来た。

「なんとかしたいけど、原因がわからないと、解決策考えようがないな。朱志香ちゃん的には心当たりない?」
「……紗音が仲間に入った後だったから、セブンの事かなとは思うんだけど……その事になると口が重いし」
「うーん……戦士として戦うのは危険な事だから、反対しているとか? 戦士になった事、嘉音くんには話したのかな?」
「反対か。確かにあるかも……戦士になった事は伝えたみたいだけど、詳しい事は話していないみたいだし」
「そうなんだ?」
「嘉音くんを支部に連れて来たらと誘った事あるんだけど、駄目だって。私達が『うみねこセブン』だって言うのも、何処から情報が漏れるかわからないから、言わないでって。前のあぶり出し作戦の事もあるから、出来る限り秘密にしておいた方がいいのはわかるけど、家族は別だよなとは思ったんだけど……」
「紗音ちゃんの場合、家族が多いみたいだから、そのせいもあるのかもしれないけどね。何処まで知らせるかというのもあるだろうし。もしかしたら、その辺りかもしれないね。家族に大事な事を秘密にされたら、いい気はしないだろうし、得体の知れない組織に騙されているとか思われているのかもしれない」
「あ! それ、あるかもな。私達平和を守ろうとしているだけで、怪しい事している訳じゃないんだけどなぁ。マスクだって、つけたくてつけてる訳じゃないし」

 朱志香は納得したように頷いたが、おそらくそれだけではないだろう。
 そうだとしたら、自分達の事を話して、基地に連れてくればいい。
 それでも反対はされるかもしれないが、秘密にするよりはいい筈だ。
 右代宮財閥は名の知れた大企業だし、行っている事は人助けで、朱志香達はクラスメイト……敵に正体を知らせた際のリスクがなければ、本来正体を隠す必要はないのだから。

 遊園地で見た空虚で全てを透き通す、硝子のような危うい眼差が浮かぶ。
 あの表情と何か関係があるのだろうか。
 自分に何が出来るかはわからないけれど、出来る事があるならしてあげたい。
 彼女が、あんな瞳をせずに済むように。

「大体の状況はわかったよ。上手く行くかどうかわからないけど、僕の方から紗音ちゃんに話してみるよ」
「流石兄貴、ありがとう!」
「朱志香ちゃんは、嘉音くんの方頼むね」
「OK! OK! 任せとき……え?」

 反射的に頷いた朱志香の表情が固まる。

「嘉音……君?」
「そうだよ」
「え、ええええええっ! な、なんで?」

 叫びと共に、思いっきり仰け反る。

「なんでって……こういう事は両方の話を聞くべきだろう。そうしないと、引っ掛かっている部分や、仲直りのポイントがわからないし」
「え、いや、でも、あの……セブンの事は秘密って……」
「うん。まぁ、状況によるけど、紗音ちゃんがそう言ってるなら、最初は言わない方がいいだろうね。ひとまず喧嘩の原因を聞いてみたらどうかな? 一緒にお昼食べてたんだよね。それがいきなり別々になったら心配して当然だし、聞くのは普通じゃないかな」
「う……あ、その……」

 朱志香は困ったように、俯いた。
 譲治の言う事は、一々もっともだ。少しもおかしい事はない。
 ないのだが……意識している相手に対して悩み相談―――朱志香にとっては、非常にハードルが高い。
 何しろ2人きりで話した事が、今までほとんどないのだ。
 思い当たるのが意識するきっかけになった事件で、それ以降は常に紗音や戦人達が一緒だった。
 その状態なら、ドキドキしつつも普通に話す事が出来た。
 だが、2人っきりとなると、話は別だ。
 大体、それほど親しくもないのに、悩み相談なんて図々しいんじゃないだろうか。

「気が進まないなら、戦人くんという手もあるとは思うんだけど……」
「そ、そうだよ。戦人なら」
「僕の印象だと、朱志香ちゃんの方がいいと思うんだよ。遊園地で見た感じでは、戦人くんより朱志香ちゃんの方に心許しているみたいな感じだったから」
「そ、そうかな? そんな事ないと思うけど」
「一緒にいた時間短いから、あくまで印象という感じなんだけど、物静かで控えめで自分を抑えている感じがしたんだよね。戦人くんとは随分タイプが違うなって」
「ん、まぁ、確かに、正反対って感じだよな。そこがいいんだけど……あ、いや、今のなし!」

 慌てて両手を振って否定する。
 苦笑されるかと思ったが、譲治の表情は変わらなかった。

「戦人くんが少し苦手なんじゃないかなって思うんだよね。あ、いや、苦手って言っても、嫌いって意味じゃないんだ。眩しすぎて抵抗があるんじゃないかなって。戦人くんは普通で自然体でも、彼の方が意識してしまうというか……」
「んー、確かにちょっと固い感じかな。譲治兄さん、あれだけの時間で良くわかるな」
僕にもそんな時があったからね
「え? 今何か……」
「そんな訳で、朱志香ちゃんの方がいいと思うんだよ。僕はこの前会ったばかりだし……」
「だよ…な」
「もちろん、朱志香ちゃんが嫌というなら、無理強いは出来ないけど」
「あ、嫌って事はないんだ。仲直りして欲しいって思うし。ただ、私に出来るのかなって……」

 拒絶されたらと思うと、とても怖い。

「朱志香ちゃん……一番大事なのは出来るかじゃないよ。やるかやらないか。やりたいかやりたくないか。それだけだ」
「!」
「もちろん、成功率を考えて、それを決めるのはありだと思うけどね」
「そうだよな。うん。やってみるよ。このままっていうのは嫌だし」

 戦人と話した時の思いが蘇って来る。
 そうだ。なんとかしよう、したいって思ってここに来たんじゃないか。
 怖がっていたら、何も出来ない。始まらない。そんなのは自分の柄じゃない。

「よし! やってやるぜ!」



「……」

 紗音は1人、基地の休憩室で考え込んでいた。

 一体どうしたらいいのだろう。
 セブンと共に戦う決意を伝えてから、擦れ違いの日々が続いている。
 嘉音は頑なになり、自分はそんな彼に引け目を感じて、何も言えずにいる。
 そんな2人の空気を感じ、不安そうな表情を見せる『福音の家』の弟妹達。
 このままでは駄目だとわかっているのに、解決策が見つからない。

『ロノウェさま達を裏切るのかい』

 胸がちくんと痛んだ。
 彼らを裏切りたかった訳ではない。皆を守りたかっただけだ。
 だが、嘉音やロノウェ達からしたら、裏切り以外の何物でもない。
 このまま済む筈がない事はわかっている。
 多少なりとも、事情を知っている自分が、このまま見逃して貰える訳がない。

 けれど―――

紗音ちゃん?
「……」
「紗音ちゃん!」
「は、ははははいっ!」

 肩を叩かれ、飛び上がるように立ち上がった。
 振り返ると呆気にとられたような譲治の顔が視界に飛び込んで来る。

「紗音ちゃん? 大丈夫?」
「あ、ああ、譲治先輩ですか。……大丈夫です。ちょっとぼーっとしていただけで……」
「驚かせてしまったみたいだね」
「いえ……」

 譲治は、紗音の前の席に腰掛けた。
 手にした紙カップから、コーヒーの香りが伝わって来る。
 気まずくなった空気を誤魔化すように、前に置いていたミルクティーを一口飲む。
 ホットだった筈のそれは、いつのまにか生温くなってしまっていた。
 譲治はそんな紗音を、真っ直ぐな目で見つめていた。微妙に居心地が悪い。

「…………遠回しもどうかなと思うから、ストレートに聞くよ。嘉音くんと喧嘩しているんだって?」
「!」
「僕達の仲間になった事が原因なのかな? 危険だから、反対する気持ちは良くわかるけど……」
「い、いえ、違うんです。危険とかじゃなくて……」

 言いかけて口篭る。
 ファントムのスパイとして、人間の世界を監視し、セブンの事を探っていた自分達。
 事情を全て話すなら、その事は避けて通れない。
 本来ならば、仲間に入る時に告白しておくべき事だ。

 だが、出来なかった。
 それを告げたら、ファントムに従っている嘉音の事も言わなくてはいけなくなる。
 そうしたら、嘉音とセブンの皆が戦うような事になってしまうかもしれない。
 それは避けたかった。
 大切な弟と、大事な仲間……どちらも傷つけたくない。
 だから、公の事情(福音の家の事と、自分達の関係)しか言えなかった。

 それに、ファントムの事も言いたくはなかった。
 彼らについて、自分達が知っている事など僅かなものだ。
 人間達の情報を集めて報告していただけの協力者で、大した力もない為、詳しい事は何も知らされていないし、知ろうとも思わなかった。
 命じられるまま従う事が正しいと思っていたから。
 だから、話した所で大して役には立たないし、それ程痛手にもならないだろう。

 それでも―――言えなかった。言いたくなかった。
 間違っていると、守りたいと思って選んだ事を後悔してはいないけれど、彼らに感謝している……その気持ちは変わらないから。
 裏切り者になってしまっても、その想いは裏切りたくないから。

 そして……怖かった。
 それを告げた時の皆の反応が。
 許してくれないとは思わない。
 皆優しくて人の心を思いやってくれる暖かい人達だから、きっとわかってくれる。
 けれど、変わってしまわないだろうか。やっぱり孤児だからと思われないだろうか。
 そんな事はないと信じている筈なのに、囁きが笑いが、かつて投げ掛けられた言葉が心を縛る。
 それを思い出すだけで、信じようと決めた心が、揺らぐ。
 彼らを信じていないからじゃない。
 自分が―――信じられないから。
 臆病で弱気でずっと閉じこもっていた自分に、彼らに信じて貰える資格があるのだろうか。

「紗音ちゃん」

 柔らかい優しい響き。

「言えない事、言いたくない事は言わなくて構わないよ。誰にだってそういう事はあるし、僕は、全てを告げる事がいい事だなんて思っていないから。心配だし、力になれればとは思うけど、それをどう受け取るかは紗音ちゃんが決めていいんだ。そういう気持ちが重い時もあるだろうしね」
「譲治先輩……」

 遊園地で皆が親切にしてくれた際の気持ちが蘇って来る。

「実は……」




 放課後―――嘉音は、思考の海に沈みながら、とぼとぼと歩いていた。

 一体どうすればいい。
 どうやったら、紗音の目を覚まさせる事が出来る。
 
『その場で説得できないのなら、力を使う。ただ……それだけですよ』

 ロノウェに告げられた言葉が脳裏を過ぎる。
 おそらくもう時間は余りない。紗音を説得して、セブンから離す事が出来なければ、ロノウェ達が出て来る事だろう。
 人間がロノウェ達、ファントムに勝てる筈がない。
 それなりに対等に戦っているように見えるが、トップのベアトリーチェ達をはじめとする幹部がほとんど出て来ていない状況だからだ。
 普通に考えて、力弱き人間に勝ち目がある訳がない。
 いずれもろともに、やられてしまうだけだ。
 そうなったら―――

「姉さんは馬鹿だよ」

 人間にそんな価値なんてない。
 助けたって、どうにもならない。

「何が馬鹿だって?」
「!」

 耳元で聞こえた言葉に、ばっと飛び離れ、距離を取る。

「おー、反応いいな。前助けてくれた時も思ったけど、嘉音くんって結構やるよな」

 笑顔で感嘆の声を上げる朱志香がそこにいた。
 内心「しまった」と思う。
 見た目通り、無力な存在だと思わせておいた方が何かと都合がいい。
 だから、極力運動が苦手で力がないという風を装ってきたのだ。
 なのに、思わぬ事態に、身体が反射的に動いてしまった。
 もっとも、彼女には前に山羊さんを退けるところを見られているから、今更かもしれないが。

「そんな事はないですよ」
「いやいや、凄いって。前に山羊さんを退けた一本背負いも凄かったしさ。いやー、あれは惚れたね。あ、いや、惚れたっていうのは言葉のあやだけど……あはは。あ、あれは、ちょっとやそっとの鍛錬じゃ、身につく動きじゃないよな。かなり前からやってるんじゃないか?」
「!」

 鋭い指摘に、頬が引きつるのがわかる。
 あの日から、欠かさず鍛錬してきた。
 力が欲しかったから。
 誰も頼れない。誰も助けてくれない。それなら自分で力をつけるしかない。
 そうして、手に入れた力―――でも、それがファントムの者達に比べたら、僅かなものでしかない事もわかっている。

「大した事ないですよ。多少動けたからって、何が出来る訳でもありません」
「そんなことないよ。私を助けてくれたじゃないか」
「あれは……運が良かっただけです」

 そう。相手が山羊さんだったから、何とかなっただけだ。
 ロノウェ達だったら、どうにもならなかっただろう。
 所詮自分に出来る事など、その程度の事なのだ。

「んー、ま、それをひけらかさないところが、嘉音くんのカッコいいところだけどさ、自分をもっと前に出してもいいんじゃないかな。それだけ努力したって事なんだしさ、胸を張って誇ってもいいと思うぜ」
「……結果が出せなければ同じですから」
「結果? 出てるじゃん。私を助けてくれたじゃねぇか」
「あ……」
「あの時嘉音くんが助けてくれなかったら、私は今五体満足にいられなかったと思うぜ。ありがとな」

 快活で眩しい笑顔。
 この笑顔を守れたのだと……そう思っていいだろうか。

「い、いえ……朱志香さんが無事で良かったです」
「嘉音くんのお陰だよ。……でも、さ、結果が出なかったら同じっていうのは違うんじゃないかな。あの時、私を助けられないとわかってたら、嘉音くん助けようとはしてくれなかった?」
「え?」
「絶対無理だって、力の差があるからって、諦めた?」
「そ、それは……」

 もう一歩。もう一歩だけでいい。一瞬だけでいい。僕にもう一歩だけ前に進めるだけの力が欲しい。

 ―――そう思ったのではなかったか。力が欲しいと。
 無駄だと。叶う筈ないと思っていた筈なのに、そんな事は考えなかった。考えられ……なかった。

「私はさ、諦めたくない。無理だとわかっても、譲れないものが、願いがあるから。そうしたらさ、頑張るしかないよな。叶えたいならやるしかない」
「叶えたい願い……」

 紗音もそうなのだろうか。その願いがあるから、あんなに輝いていたのだろうか。

『私は、やっぱり人間を信じたい。彼らのやさしさ、彼らの温もりを感じたから』

 人間なんて、信じる価値なんてない。
 そう、あの時に思い知った筈なのに。
 何が紗音を変えたのだろう。

 そっと朱志香へと目をやる。
 キラキラと眩しく輝く少女。
 やっぱり彼女達が原因なのだろうか。

 右代宮一族の人間で、生徒会長で、皆の人気者―――彼女は常に光り輝いて見えた。
 彼女だけじゃない。彼女の周りの人間は皆そうだ。
 大財閥右代宮一族の子供達……飢えたり、惨めな思いなどした事ないだろう。
 生まれた時から、幸せな未来へのレールが敷かれた上流階級の人間。
 だから、あんな風に輝けるのだ。
 僕達がそんな風になれる筈がない。最初から違うのだから。

「なぁ、嘉音くん……紗音と何があったんだ? それとも私達が原因?」
「え?」
「お昼に来なくなったじゃないか。紗音は2人の問題だから任せて欲しいって言ってたけど、心配でさ……私達が原因だったら、謝るし改善するから、仲直りして欲しいんだ」
「いえ、朱志香さん達のせいじゃないですから。僕達の問題です……」
「……何が原因かわからないけど、2人はずっと一緒に育って来た姉弟みたいなもんなんだろ。その2人がこんな風なのは……」
「! 紗音に聞いたんですか?」
「え?」
「僕達の事です。姉弟みたいにって……」

 顔が強張るのがわかった。ピシッと何かにヒビが入った音がした。
 自分達の事は、極力言わないでおこうと決めた筈だった。
 潜入任務だからじゃない。
 人間なんて、信じられないから。
 弱みを見せれば付け込まれる。同情されるのも、表面だけ優しくされるのも御免だ。

 それなのに―――心の奥に重く昏い物が沈んでいく。

 セブンの者達だけならまだしも、ただのクラスメートである彼女達にまで……そこまで紗音は人間達の事を信じているのか。
 同じように傷つき、信じられないと思っていたのは自分だけだったのか。

「あ、うん。……ちょっと、親御さんの話が出た事があって。ごめん。まずかったかな。……あ、でも、詳しい事は何も聞いてないよ」

 気遣うような口調が苛立つ。

 同情なんていらない。
 哀れみなんていらない。
 どうせ何もしてくれない。信じたって何にもならない。
 いざという時、助けてくれやしない。
 皆自分が一番可愛いんだから。
 僕達は……同じ人間じゃないんだから。

 ―――傷つけてやりたい。
 そんな衝動が湧き上がって来る。
 この幸せ一杯に育って来た少女に、現実の汚さを教えてやったら、どんな顔をするだろう。
 そうして、彼女が汚れたら、こんな劣等感は抱かずに済むんじゃないだろうか。

「理由……知りたいんですよね」
「あ、いや、理由を知りたいというか、仲直りして欲しいなって……」 
「姉さん……紗音が裏切ったからですよ」

 朱志香の瞳を真っ直ぐ見据えて言い切る。
 そのときの自分はどんな顔をしていたんだろう。
 瞳に一瞬浮かんだ怯えと驚きを含んだ光に、ちりっとした痛みが走る。

「僕と紗音は『福音の家』という養護施設で一緒に育って来ました。子供の頃は、何も知らなかったし、それなりに幸せだったと思います。院長先生も良くしてくれたし……けど、その『福音の家』が、十年前火事になったんです」
「!」

 細かい事は覚えていないけれど、家を包む炎と、感じた無力感は、今でもありありと思い出せる。
 そして、大切な人を失った痛み……院長先生の遺体は、損傷が酷いという事で見せてもらう事すら出来なかった。

「僕達を守ってくれた院長先生は、その火事で亡くなりました。院も全焼……残された子供達は、行くあてがなくなってしまった」
「え、あの、国がなんとかしてくれるんだよね。建て直しとか……」
「そう簡単には行かないですよ。火事の原因もわからないのに……孤児の子供達の不注意の火事の為に、大事な税金を使うんですか? これだからみなしごは……って、そんな目で見られましたよ。誰も僕達に手を差し伸べてはくれなかった」
「っ!」

 火事が起こるまでは感じなかった。世間の目。
 関わる近所の人は皆優しく、礼儀等を褒められる事はあっても、冷たい目を向けられる事はなかった。
 おそらく、院長先生が守ってくれていたのだ。
 優しく落ち着いた大人の院長先生がおり、自分達に被害がない、対岸の事……だから、同情や哀れみで優しくしてくれただけなのだ。
 それは、火事によって一変した。
 聞こえよがしな声や囁きが、悪意となって襲って来た。

『あの家、火事で焼けちゃったんですってね』
『どうせ、火遊びでもしていたんじゃないの』
『わざとかもよ。ほら、あの家もうかなりボロだったじゃない。燃えたら新しく立て直して貰えるかもとか……亡くなったの院長先生だけで、子供達は皆無事だったんでしょう』
『まぁ、酷いわね。ロクな事を考えないんだから』
『放火って噂もあるわよ。あの子達が嫌で誰かが火をつけたんじゃないかって』
『まっ、怖い。巻き添えはよして欲しいわよね』
『だから、嫌だったのよ。あんな子達が近くに住んでいるのは』
『火事を出した家が悪いんでしょ。私達の税金を使って立て直すなんておかしいわよね』

「その場で再建は出来ず、僕達はばらばらに各地の施設に引き取られる事に決まりました。嫌だったけれど、僕達に拒否権はなかった。誰も……僕達を助けてくれなかった……」
「…………」
「そこに助けてくれる方が現れたんです。その方は別の場所を提供してくれ、援助してくれました」

 引き離される状況に、泣き叫び、嫌がる子供達の前に、現れたロノウェ。
 彼のお陰で、自分達は離れずに済んだのだ。
 泣きそうだった朱志香の顔が、ほっとしたように緩んだ。

「そ、そうなんだ。良かったね」
「ええ。その方のお陰で僕達は助かったんです。そして、決めました。助けてくれない、何もしてくれなかった人間達に期待するのはやめようって。頼れる……信じられるのは自分達だけなんだからって」
「……!……」

 朱志香の瞳が、揺らいだ。傷ついた眼差に、胸のすくような思いと、それを上回る苦いものが込み上げて来る。
 本当の事を言っただけだ。純粋培養のお嬢様に、少しだけ現実を教えてやっただけだ。 
 僕は悪くない。なのに、どうしてこんなに、苦しいんだろう。

「……あ……」

 開きかけた口が途中で止まる。出しかけた言葉が飲み込まれる。
 泣きそうな顔。傷ついた瞳。
 それでも、真っ直ぐ視線を逸らさない朱志香。噛み締めた唇から、泣くまいとする思いが伝わって来る。
 言い返せばいいのに。弁明すればいい。そんな人達だけじゃないって。自分は違うって。
 そうしたら……言い返してやれるのに。
 何も言わず耐えている朱志香に、じりじりと焦燥が湧き上がって来る。

「だって、そうでしょう! 期待したら裏切られる。それなら信じない方がいい。弱みを見せる方が悪い。人間なんてそんなもので、僕達は人間とは認めて貰えない……人間以下の存在なんだから」

 傷つけてやりたかった。思い知らせてやりたかった。
 なのに、どうして嬉しくないんだろう。

「そして、決めたんです。恩返しにその方を助けようって。自分達に出来る事はそうないけど、努力して力をつけて、お返ししようって……なのに、姉さんは、他にやりたい事があるって……」
「あ、あー、そういう事か」
「? 姉さんは逃げ出した。裏切ったんです。僕達はあの方を助けないと行けないのに……」

 スパイなんて汚れ仕事、好きでしたい訳じゃない。
 でも、それが必要だと思ったから、それしかないと思ったからやって来た。覚悟を決めて。
 いざとなったら切られてしまう捨て駒に過ぎない存在だという事位わかっている。
 自分達は人間ではないけど、幻想の住人でもない。どちらにもなれない中途半端な存在だ。
 それでも、そこになら自分の居場所があるから。そこにしかないから。

 セブンに行った所でそれは変わらない。便利な道具として、使い捨てにされるだけだ。
 自分達の手は、もう汚れてしまっている。裏切った存在を信用などしてくれるものか。
 それなのに―――

「姉さんは……馬鹿だ」

 戦士としてセブンの仲間になったという紗音。
 紗音のあの様子では、簡単に引きそうもない。
 例え命を落とす事になっても、共に死す事を選ぶだろう。

 僕を捨てて、全てを置いて、行ってしまう。
 手の届かない処へと。

 そんな事……許せるもんか!

「……なぁ、嘉音くん。私は詳しい事は何も知らない。紗音の気持ちも全部わかる訳じゃない。けどさ……紗音は、理由もなくそんな事をする子じゃない。それは嘉音くんが一番良くわかっているんじゃないか」

 静かな水面のような眼差。そこに案ずるような柔らかい光が広がっていた。

「っ! り、理由があれば、それでいいんですか。姉さんは間違っている。僕の方が正しいのに……」

「……嘉音くんはどうしたいんだ?」
「え?」
 淡々と語られた言葉。一瞬意味がわからなかった。

「正しいとか間違っているとかじゃなく、嘉音くんのやりたい事は何? 嘉音くんはさっきから、そうしなければいけないって、義務で話をしてる気がする。前に嘉音くんはやりたい事があるって言ってたよね。それがその恩人さんを助ける事だと思うんだけど、それって願い……夢じゃないの?」
「!」
「恩を返すのは大切な事だと思うし、いい事だと思う。私も、今の夢とは違うけど、大きくなったら育てて貰った父さん達に恩返ししよう、したいって夢もある。その未来を考えると、楽しくなる。なのに、嘉音くんは、楽しそうに見えない」
「…………」
「紗音がそう決めたのなら、それは余程の事だと思う。全てを背負って、それでもなお、やりたい事なんじゃないかな。嘉音くんがそれを許せないのは仕方がない事だし、道が分かれてしまうのも覚悟していると思う。嘉音くんが選んだ事なら。けど、今の嘉音くんは、違う気がする。逃げているのは、紗音じゃなく、嘉音くんじゃないのか?」

「―――!―――」

 朱志香の真っ直ぐな眼差しが、言葉と一緒に胸の奥へと突き刺さって来る。
 心の奥の何かを揺さぶるように。

 紗音とずっと一緒に生きて来たのは自分だ。
 なのに、どうして朱志香の方がわかっている気がするのだろう。
 そんな筈はないのに。そんな事があっていい筈がないのに。




「そうして、ずっと一緒に生きて来ました。2人一緒に助け合って」

 紗音は静かに見守る譲治に、自分達のこれまでを語っていた。

「嘉音くんが、人間を信じられない気持ちは良くわかるんです。私も同じでしたし。だから、認めてくれなくても仕方ないと思っています。恩人のあの方を助けたいと思う気持ちも、わかりますし……それが嘉音くんの意思なら、それでいいと思っています。ただ……それが本当に嘉音くんの望みで幸せなのかなって」

 仕事をする度に昏くなっていく眼差。
 嘉音は、恩を受けたから従っているだけで、彼らの事も信じてはいないのだ。
 皆が信じられないからだけじゃない。自分の事が信じられないから、自らの存在に自信が持てないからだ。
 良くわかる。自分も同じだから。

 『誰も信じない』という想いを殻にして生きて来た。
 それでいいと、正しい生き方だと思って来たけど、今ならわかる。

 ―――苦しかったのだと。

「憎み続けるのは、辛いです。信じられないのも、信じて貰えないと思うのも寂しい。私は皆さんのお陰で、人を信じる喜び、暖かさを知りました。嘉音くんにもそれを感じて欲しい。……自由に幸せになって欲しいだけなんです」

 それが、ファントムと共に生きる道なら、それでも構わない。
 生き生きと、自分と同じように、大切な願いを叶える為に、生きてくれるのなら。




「あなたに……何がわかるって言うんですか……明日死ぬかもしれない、死にたいなんて思った事ないでしょう! わかる筈なんてない!」

「!」

 反射的に言い返していた。

「……そう…だね。私には、わからない。嘉音くんじゃないから。ごめんね。偉そうに言って傷つけたね」

 違う。傷つけたのは自分だ。
 これ以上近づかせない為に。殻を破らせない為に、言い返せないとわかっていて言った。投げつけた。言葉の刃を。
 吐き気がした。最低な卑怯者は自分だ。
 自分達を傷つけて来た人間達と、何処が違うというのだろう。

「ただ、聞いて欲しい。私の我儘だとわかってるけど、伝えたいんだ。これだけは」
「朱志香さん……」
「自分を嫌いにならないで」
「!」
「私は好きだよ。嘉音くんの事。紗音はもちろん、戦人達だって同じだと思う。そうじゃなきゃ、気にかけたりなんかしない。大事な友達だと思ってる。その友達が悪く言われるのは嫌だよ」

 今までで一番哀しげな瞳。

「嘉音くんは人間だよ。そうじゃないなんて言う奴がいたら、ぶん殴りに行ってやる。だけど、嘉音くん本人が諦めてしまったら、どうにも出来ないじゃないか。私はそんなの嫌だ。私の好きな嘉音くんを悪く言わないでくれよ。お願いだから……」

 これまで決して流れなかった涙が、頬を伝う。
 他の誰の為でもない。自分の為に流された涙。
 ……いたたまれなかった。

「!」
「嘉音くん!」

 朱志香の真っ直ぐな眼差から逃げ出すように、全速力で駆け出す。
 逃げる事しか―――出来なかった。




「……大丈夫だよ。紗音ちゃん」

 譲治は、そっと紗音の肩に手を置いた。

「前に僕を信じてと言ったよね。皆を、人間ってものを信じている僕を。僕は、紗音ちゃんも、紗音ちゃんが想う嘉音くんも信じてる。僕だけじゃない。朱志香ちゃんも、戦人くんも、皆嘉音くんを好きで、心配している。その気持ちが伝わらない訳はないと信じている。だから……大丈夫だよ。自分を、嘉音くんを信じて」
「譲治先輩……」

 それは、理想論だ。根拠なんてない。
 前の自分なら、信じられなかっただろう。信じたいと思っていても。
 裏切られるのが、傷つくのが怖かったから。
 でも、今なら信じられる。その勇気が持てる。
 1人じゃないから。一緒に信じる仲間がいてくれるから。

「ありがとうございます。そうですね。頑張ってみます」
「うん。僕達でよければ、いくらでも力を貸すからね」
「はい」

 大きく頷く。重苦しかった心が、軽くなっているのがわかる。
 微笑み、譲治を見上げ―――眉をひそめる。
 目の下に濃い隈。朱志香からのメールを思い出す。

『譲治兄さん、ちょっと悩んでいるみたいなんだ。よければ、紗音の方から聞いてやってくれないかな』

 自分にこの大人の人に対して、出来る事があるかどうかわからないけれど。

「譲治先輩……お疲れみたいですね」
「あ、ああ、まぁ、ちょっとね。院の研究が大詰めでね」

 頭に手をやり、笑う。

「そうなんですか……とは言いませんよ。そう言われるという事は、セブンの事なんですね」
「いや、あの、ははは……」
「私では、頼りにならないと思いますけど……譲治先輩の事が心配なんです……」
「いや、そんな事はないんだけど……参ったな。……これからどうしようかなと思っててね。今の所1人も欠ける事なくここまで来る事が出来ているし、紗音ちゃんという仲間も加わった。順調だとは思う。だが、今のままでは勝てない。向こうの方が数が多いし、本当の強敵……幹部には勝てていない。幹部の1人、ガァプって女性と戦った事があるんだけどね……凄く強かったよ。向こうが遊びでなければ、あそこで終わっていたと思う」
「! そう……なんですか」
「うん。あれから強くなったつもりだけど、今でも1対1では勝てないと思う。悔しいけど、格が違う。ファントムには、彼女のような幹部が何人もいる筈なんだ。それで……!」

 はっとしたように口を噤む譲治。

「それで……なんですか?」
「なんとかしないといけないなと考えてるんだけど、中々……」
譲治先輩

 ぐっと目に力を入れて、見つめる。ここで逸らしたら、相手のペースに持ち込まれてしまう。
 譲治は紗音の瞳に何を見たのだろう。ふっと息を吐いた。
 疲れが影を落としていたのも影響したのかもしれない。

「…………戦人くんや朱志香ちゃん達には内緒だよ。皆にはそんな事を考えて欲しくない」
「は、はい」
「勝つ為には、作戦が……相手の情報が必要だなと。『ファントム』の目的。組織編成。戦闘員数。本拠地の場所。特に本拠地の場所だね。それがわかれば、こちらから討って出る事も出来る」
「そう……ですね」

 思わず目線を逸らす。そのいくつかの情報のカケラを自分は知っている。
 満足な情報とは言えないだろうが、あるに越した事はないだろう。

「僕達には、その情報を得る手段がある」
「え?」
「煉獄の七姉妹だよ。彼女達なら、その情報を持っている筈だ」
「あ……」

 確かにその通りだ。自分達より、彼女達の方がより知っている事は多いだろう。

「彼女達は任務に失敗し、最後のチャンスとして、特攻を命じられたらしい。僕達は長女ルシファーの願いに従い、彼女達を捕らえ保護してきた」
「はい。そのままだと制裁を受けるという事だったんですよね。いい事だと思います」
「うん。残るは後1人みたいだね。これまでから考えていずれ僕達の前に現れるだろう。彼女達はもうファントムとして戦う意思は無い様だから、このまま遊園地のスタッフになって貰えばいいと思っている。彼女達もそれを望んでいるしね。……だが、自分達の事だけで、ファントムの事については何も語ろうとはしない」
「!」
「一度仕えた主人を裏切りたくないという気持ちはわかるし、尊いと思う、だから僕達は必要以上の事を聞かないで来た。だが、それでいいんだろうか」

 両手を顔の前で組み、口元に当てる。
 昏い眼差―――ぞくっとした。

「互いへの想いを盾にしても、情報を手に入れるべきなんじゃないだろうか。勝つ為に。皆を守る為に。失わぬ為に」
「譲治先輩……」
「戦人くん達にはさせられない。考えて欲しくもない。だが、僕には出来る。立場的に僕がやるべきなんじゃないか」
「駄目です!」

 反射的に言葉が口から出ていた。

「褒められた手段じゃないのは、わかっているよ。僕もやりたくない。だけど……」
「違います。そういう事じゃありません。譲治先輩が1人で背負うのは駄目です。そうしたら、戦人くんも朱志香ちゃんも傷つきます。後悔します。やるなら皆で責を負うべきです。1人でなんて絶対駄目です。私達は仲間なんですから……違いますか?」
「紗音ちゃん……」
「もし、どうしても、そうしなければならない事があったとしても……決して1人ではさせません。私もやります」
「! 紗音ちゃんにそんな事はさせられないよ」
「その言葉をそっくりお返しします。私は……我儘かもしれませんが、そんな風に自分を殺す先輩を見たくありません。私は譲治先輩を……皆を守りたくて、戦士になったんです。」

 それ位なら、自分が本当の裏切り者になってしまった方がいい。
 セブンにつくと決めた時から、その覚悟はある。
 だが、そうしたら、きっと、譲治達は悲しむだろう。優しい人達だから。
 それを甘いと言ってしまうのは簡単だ。だが、そんな人達だからこそ、自分は手を貸したい……一緒に戦いたいと思ったのだ。

「前に先輩は、人間は助け合えるから、人間なんだと言ってくれました。一人ひとりがそれをできる範囲は狭い。でも、それで繋がる輪は限りなく広く、強いって……私達を譲治先輩自身を、もっと信じて下さい。大丈夫です。勝てます」
「あ……あははは。参ったな」

 譲治は顔を手で覆い、天井を見上げた。

「譲治先輩?」
「言った僕が紗音ちゃんに教えられるなんてね。んー、疲れで思考がはまってたかな。そうだな。やれるってやろうって思わなければ、勝てるものも勝てないよな。ごめん。僕が間違ってたよ」
「全くだ。この未熟者がっ!」
「うわっ! お、お祖父様!」
「ここでは司令官と呼べ。馬鹿者」

 ドアを開けて入って来た金蔵は、驚く譲治を怒鳴りつけた。

「し、司令官……聞いてたんですか?」
「何もかも自分が背負った気になりおって。そういう事を考えるのは私達の役目だ。50年は早いわ! この若造が!」
「まぁ、まぁ、金蔵さん、その位で。譲治君、私達は君達若い者達を戦わせて、後ろで見ている事しか出来ない無力な老人達だ。だからこそ、出来るだけ力になりたい、そう思っておるのだよ。もっと頼ってはくれんかね」
「南條先生……申し訳ありません。僕が間違っていました」

 譲治は、立ち上がると金蔵と南條へと頭を下げた。

「うん。わかってくれたらええ。私達後方のサポートスタッフ含めて、うみねこセブンじゃからな」
「はい!」
「金蔵さんが、怒っているのは、何故気付いてやれなかったかという自責の念があっての事じゃからな。そう思うと可愛いじゃろ」
「南條っ!」

 金蔵の怒号と共に、笑い声が沸き起こる。
 紗音は、そんな彼らを笑顔で見つめていた。



 朱志香の前から逃げ出した嘉音は、あてもなく走り続けていた。
 自分のエゴで、朱志香を傷つけた。
 友達だと言ってくれた。好きだと言ってくれた。
 こんな卑怯で薄汚れた自分を。
 それなのに―――

 紗音が嫌になって出て行くのは当然だ。
 こんな人間以下の存在なんて、消えてしまえばいい。

『自分を嫌いにならないで』
「―――!―――」

 頭がぐちゃぐちゃで、訳がわからなかった。
 何をしたいのか、どうしたいのか。

 懐で携帯の着信音が鳴り響いた。
 着信名は―――ロノウェ。

「はい。嘉音です」
《ロノウェです。……紗音の事はどうなりましたか?》
「…………」
《その様子ではまだのようですね。あなたがなんとか出来ないようなら、私が出ます。紗音がセブンに協力するような事態になると、少し困りますからね》

 言ってしまおうか。
 紗音は、うみねこホワイトだと。
 彼女は裏切り者だ。自分より、セブンの者達……人間達を取ったのだから。

『紗音は、理由もなくそんな事をする子じゃない。それは嘉音くんが一番良くわかっているんじゃないか』
『だから、嘉音くんも一緒に、一杯人の温もりを感じてほしい。それはとっても素晴らしいことだから』

 僕にはわからない。わかる筈なんかない!

 ―――本当に?

『僕だって……』

 わからない。わからない。わからないっ!

《嘉音?》
「……僕に任せて下さい。僕がなんとしても紗音の目を覚まさせてみせます」
《……大丈夫ですか?》

 案ずるような声に、静かな声で答える。

「はい。紗音はセブンに接触を取ろうとするかもしれません。次の襲撃予定があれば、教えて欲しいのですが」
《次ですか。次は中心街を襲う予定です。今回は怪人と山羊さんだけの予定です。怪人だけだと暴走しやすいので、私的には不本意なのですが、間が空きすぎるのはまずいですし、最近彼らの不満がたまって来ていますので》

 ロノウェの声音は苦々しげだ。
 スマートでないやり方を好まないロノウェ的には、手段を選ばない怪人は合わないのだろう。

「わかりました」
《ですから、何が起こるかわかりません。私的には関わらない事を薦めたいのですが。貴方は普通の人間に過ぎないのですから……》
「僕は人間じゃありません」

 人間になんかなれない。彼女の望む思うような人間じゃない。
 彼女は知らないだけだ。今まで自分のやって来た事を。
 だから、あんな風に言える。知れば、解れば、きっと離れていく。

《…………幸運を祈ります》

 ロノウェは、逡巡する様子を見せたが、何も言わず通話を切った。

「セブンが、あいつらが悪いんだ。あいつらが……姉さんを誑かすから……いけないんだ」

 脳裏に浮かぶのは、迷わず凛と戦い続けるうみねこセブンの姿。
 自らを正しいと信じ、揺らぐ事のない存在。
 奴らさえいなければ―――

「僕は人間じゃない……人間になんかなれない」

 あんな風に輝く事なんか―――出来ない。







【アイキャッチ】



 市の中心街の表通り―――そこに幻想怪人の姿があった。

「さぁ、お前ら! 人間共に我らファントムの恐怖を教えてやれ」
「メェエエエエエ!」

 コウモリの怪人ブラックバットの号令に従い、市街へと散って行く山羊さん達。

「ファントムだ。ファントムが来たぞ!」
「きゃあああああっ!」

 山羊さん達に追われた人々が逃げ惑う。彼らが発する恐怖と畏怖の気持ちが、山羊さん達に力を与え、辺りを幻想世界へと染めていく。
 それを見て大笑いするブラックバット。
 その隣に、黒の上下を身にまとい、仮面をつけた嘉音の姿があった。

「ったく。まどろっこしいよな。我らの力を思い知らせて、存在を意識させるっていうなら、さっさと殺ってしまえばいいんだよな。全部殺しちまったら俺らの存在する余地もなくなるんだろうが、人間なんてたくさんいるんだしよ。まどろっこしいったらないよな」

 下卑た物言いに、舌打ちする。
 人間の欲望を糧に作られた怪人達は、知性の足りない者達が多い。
 ロノウェが単体で投入を躊躇うのも頷ける。
 このような奴らと一緒に動くのは不本意だが、仕方がない。

「ロノウェさま達が決められた事に不満があるのか。あるなら直接言えばいい。怖くないならな」
「何? 力のない人間風情が偉そうにしやがって。お前なんか便利に使われているだけの駒だろうが」
「……知っている」
「けっ! すかしやがって。ロノウェさまの為ならなんでもやりますってか。ロノウェさまの教育は流石だよなぁ。騙されているとも知らずにおめでたい奴だぜ」
「何が言いたい?」

「そこまでだ!」

 嘉音が問いかけた瞬間、光と共に幻想に侵された空間が切り開かれ、現実世界に塗り替えられていく。

「おっと。来たみたいだな」

「燃える闘志は不死鳥の如く! うみねこレッド!」
「猛る拳は怒りに燃える猛虎の如く! うみねこイエロー!」
「静かな決意は大海を昇る竜の如く! うみねこグリーン!」
「桃色旋風は猫の如く! うみねこピンク!」
「白き癒しは一角獣が如く! うみねこホワイト!」

「皆の心守るため! 『六軒島戦隊 うみねこセブン』参上ッ!!」

 びしっとポーズを決めるうみねこセブン。
 その中にいるうみねこホワイトは、ずっと前から存在していたようにそこにしっくり溶け込んでいた。
 心の奥がずきんと痛む。

「……では、打ち合わせの通りに」

 ブラックバットの言葉は気になるが、それを聞いている余裕はない。

「へーい」

 セブン達の前へと出て行くブラックバットに隠れるように背後へ隠れる嘉音。
 始まるうみねこセブン対ファントムとの戦い。
 嘉音は、仮面を外すと、逃げ惑う一般人達の間をすり抜け、セブン達の背後へと回りこんだ。
 山羊達や怪人は一般人に紛れる事など出来ないが、人間である嘉音には簡単な事だ。
 仮面を付け直し、背後から様子を伺う。

「レッド! 右斜め前方が薄い。そこから敵に近づいてくれ。イエローはレッドの援護だ」
「了解!」「まかしとけ!」
「ピンクは逃げる人達の誘導をお願い」
「うー、ピンクに任せて♪」
「あいつだな」

 後方で山羊達を排除しつつ、指示を出しているグリーンに目を留める。
 前線で暴れているレッド達に近づくのは難しいが、彼ならばなんとかなる。
 彼らの鍵はコンビネーションだ。1人崩れれば。

『……嘉音くんはどうしたいの?』
「!」

 踏み出しかけた足が止まる。

「関係ない……人間の事なんて」

 彼女達と自分は、違う世界の人間だ。
 そう思うのに、足が動かない。

「ホワイト! 無理しないようにね」
「大丈夫です!」

 元気良く生き生き答える声に、苦いものが湧き上がって来る。
 そう。決めたのだ。彼らを倒して紗音を取り戻すと。

「僕は……姉さんのようにはなれない」

「うみねこセブン……おまえ達さえ、いなければっ!」

 ロノウェに与えられていた電子ブレードを振りかぶる。

「!」

 思いも見ない場所からの攻撃に、グリーンの反応が遅れた。
 やれる!

「駄目!」

 不意に目の前に、赤い輝きが広がった。
 赤く光り輝く盾が、ブレードとぶつかり、眩い光を放つ。
 反動で弾き飛ばされ、体勢を立て直す。

「……来るかもしれないって思ってた」
「姉……うみねこホワイト」

 宙を浮遊する光の盾を掲げたうみねこホワイト―――紗音がそこにいた。

「ホワイト!」
「大丈夫ですか」
「あ、ああ……彼は、まさか……」
「私が止めます。皆を傷つけさせたりなんかさせません!」
「どけ!」

 ホワイトをかわして回り込もうとするが、盾に阻まれ近づけない。
 体術や身のこなしなら、自分の方が上の筈だ。
 だが、宙を浮遊する盾から逃れる事が出来ない。

「嫌よ!」
「邪魔するなら斬るよ!」
「やってごらんなさい!」
「何?」
「皆を……仲間達を斬るというなら、その前に私を斬りなさい!」

 赤き盾を構え、白き輝きをまとったホワイト。仮面の奥の揺るがない瞳が見えた気がした。
 苛立ち紛れに、盾にブレードをぶつける。
 触れ合った所から火花が散り、互いの顔を照らす。

「そこまで……そこまでこいつらが大切なのか! 僕よりも!」
「違う! あなたと皆に戦って欲しくないだけ! 誰にも傷ついて欲しくないから!」
「何?」
「私がいる限り、あなたも皆も傷つけさせはしない! その為に私はここにいるのだから!」

 凛とした気迫に圧倒される。
 同じようにグリーンも躊躇っているが、参戦してくるのは時間の問題だろう。
 早くしなければ、どうにもならなくなる。
 ホワイト……紗音を倒す? そんな事出来る筈がない。

「ホワイト! どうしたんだ?」

 声と共に駆け寄って来るイエロー。
 後方のフォローにやって来たのだろう。

「来ないで! 大丈夫だから!」
「大丈夫って……そいつは……」
「ちっ……」

 ホワイト1人でも持て余している状況だ。
 この上、イエローまで出て来たら、どうにもならない。
 どうすればいい。

「随分苦戦しているみたいだな」

 上空から声がかかる。

「ブラックバット! 丁度いい。手伝え! 俺がホワイトを抑えておくから、今の内に他の奴を!」
「へいへい」

 ブラックバットの手に、無数の黒い刃が生まれる。

「ほらよっと!」

 手が振り下ろされた瞬間、全身がかっと熱くなった。

「な……に……」

 切り刻まれた体から、血が吹き出し、手からブレードが転がる。仮面が千切れ、宙を舞う。
 体がゆっくりと崩れ落ちる。

「嘉音くん!!」
「え? 嘉音…くん? どうして?」

 ホワイトの悲鳴に、イエローの放心したような声が重なる。
 何処かで聞いたような声だと思ったが、考える余裕はない。
 上空から降りてくるブラックバットへと目を向ける。

「何…故……」
「人間の分際で、俺様に指図するんじゃねぇよ」

 がっと頭を踏みつけられる。

「くっ!」
「おまえは前から気に入らなかったんだよ。丁度いい機会だ。こいつらと一緒に死んじまいな。ロノウェさまには、相討ちしたって伝えておいてやるぜ。人間の分際で偉そうにしやがって。屑が!」
「は、ははははは……」
「何笑ってやがる! この屑が!」

 がっと頭を蹴られる。
 それでも引きつった笑いは止まらなかった。
 馬鹿みたいだ。どうしてこんな奴を頼ったりしたのだろう。
 人間に裏切られ、ファントムを頼り、そのファントムにも裏切られる。
 薄汚れた自分に似合いの結末だ。

 やっぱり、僕には夢だったんだ。
 変わる事も、白く美しい人間になる事も。

「嘉音くん!」「どけ!」
「うるせぇな! 邪魔するんじゃねぇ!! 山羊ども、死んでも近づけさせるんじゃねぇぞ!」

 ホワイトとグリーンが走って来ようとしているが、山羊さん達に阻まれ、近づけない。

 僕が死んだら姉さんは泣くだろう。
 でも、きっと彼らが慰めてくれる。
 姉さんが仲間だと信じた人達なんだから、きっと、姉さんを支えてくれる。

 ……ああ。なんだ。そう思えば良かったんだ。
 こんなに簡単な事だったのに。
 今更気付いても遅いけれど。

 ふいに脳裏を、案ずるような瞳が過ぎった。

『私は好きだよ。嘉音くんの事』
『大事な友達だと思ってる』

 ―――彼女が知ったら、悲しんでくれるだろうか。

「ごめん」

 こんな事なら、もっと素直になれば良かった。
 本当は嬉しかったんだ。好きだと言ってくれて。友達だと言ってくれて。
 僕がもっと強かったら―――

「てめぇええええ! 汚い足で触るんじゃねぇっ!!」

 怒りに満ちた声と同時に、黄金色の光を纏った人影が、疾風のように突っ込んで来た。
 そのまま輝く拳を振り下ろす。

「うぎゃっ!」

 勢い良く吹っ飛ばされるブラックバット。

「イエロー……?……」
「嘉音くん!」

 駆け寄って来たイエローが、勢い良く体を揺さぶる。

「傷だらけじゃねぇか。あの野郎……しっかりして!」

 泣きそうな声。必死の叫びが思い描いていた人とだぶる。

『嘉音くんは人間だよ。そうじゃないなんて言う奴がいたら、ぶん殴りに行ってやる』

 まさか―――

「朱志香……さ…ん?」
「嘉音くん!」

 そんな馬鹿な。朱志香さんがうみねこイエロー?

 うみねこ学園の人間なのではという話はあった。それを確かめる為の作戦も実行した事がある。
 だが、学園の中にいるとしたら、大学部以上だと思っていた。未成年の高校生が戦士だなんて思わなかった。
 命を落とすかもしれない危険の中、傷だらけになりながら戦う姿は、明るく元気な普段の彼女からは感じられなかったから。

「!」

 ばっと中心へと目を向ける。変わらず戦い続けているセブン達。
 彼女がイエローだというなら、他の戦士達は―――まさか―――

 レッド、グリーン、ピンク……彼らに相当する人物を、自分は知っている。
 そう思って見れば、背格好、印象、声……全てが重なる。
 どうして今まで気付かなかった。
 答えはこんな目の前にあったのに。

 ああ。だからなんだね。姉さん。

 わだかまって詰まって絡まっていたものが、すとんと落ちて来る。

 だから、姉さんは―――

「危ない!」
「!」

 ホワイトの声に、振り返ろうとするイエロー。
 その背中に、黒い刃が突き刺さった。

「くっ……」
「朱志香さん!」

 全身の痛みを堪え、倒れこんで来るイエローを支えるように、上半身を起こす。
 その先にいたのは、憤怒の表情を浮かべたブラッグバッド。

「よくもこの俺様の顔に傷をつけてくれたなっ! 許さねぇぞ。死ねぇえええええ!!」

 狂気に満ちた声と同時に、無数の黒い刃が襲い掛かって来る。

「危ない!」

 イエローの体が、庇うように覆い被さって来た。
 そこに黒い刃が降り注ぐ。

「ぐっ!」
「朱志香さん!」
「嘉音…くん……大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ! 何故……」
「友達を守るのは当然…だろ。私は、スーツ着てるけど、嘉音くんは生身なんだからさ……」
「そんな事……」

 だからといって、攻撃を受けて平気な筈がない。
 現にスーツのあちこちが裂け、血が滲んでいる。

「ほう。中々いい心がけじゃねぇか。麗しい人間愛ってか。……なぁ、冥土の土産にいい事教えてやろうか。お前達の住んでたチンケな孤児院、燃やしたのは俺達なんだぜ」
「何?」
「本格的な侵攻の前に、少人数で偵察隊があったとかで、ちょっとはしゃいだ奴がやっちまったらしいぜ。んで、それをロノウェさまが利用したと。掃除から後片付けまで完璧ってか。ひっひっひっ」
「笑ってんじゃねぇ!」

 強く重い声。朱志香が炎のような瞳で、ブラックバットを見据えていた。
 発する気迫に、後ずさる怪人。

「おまえみたいな奴に、人間を……嘉音くんを笑う資格なんてない。馬鹿にするのもいい加減にしやがれ!」
「な、ななななな、馬鹿にしやがって! 食らいやがれ! おらおらおら!」
「……くっ……」

 身動き出来ないイエローへと、嬲るような形で突き刺さる刃。

「イエロー!」
「このやろう! どきやがれっ!」

 他の戦士達の悲痛な叫びが聞こえる。

「離して下さい! このままだと、あなたまで!」
「大丈…夫……」
「大丈夫じゃないです! 僕の事なんて放っておいて下さい! 僕は貴方に守ってもらう価値なんてない! 僕なんか……」
「駄目だよ」

 哀しげな声。マスク越しなのに、強い眼差が視えたような気がした。

「言っただろ。私の友達を悪く言わないでくれって。……っ!……そんな簡単に……諦めちゃ駄目だ」
「朱志香さん……」
「へへっ。どうせ抱き合うなら、もっと別のシチュエーションが良かったな……っ!」

 がくりと、体勢が崩れる。

「朱志香ぁあああああ!!」

 駄目だ!

 こんなのは、駄目だ。嫌だ。許せない。
 彼女は、こんなところで倒れていい人じゃない。
 太陽の下で、元気に笑っているべきなんだ。

 ―――力が欲しい。

 戦う為でも、復讐する為でもない。守る為に。

「トドメだ!」

 一際大きな刃が生み出される。

 駄目だ。無理だ。今更どうしようもない。
 湧き上がる昏い想い。
 全てを諦め、硝子越しに見ていた自分が囁く。
 おまえには、何も出来ないと。
 そうして見ている事しか出来ないんだと。

「……嘉音く…ん。逃げ…て」
「嫌だ!」

 逃げるのは嫌だ。もう何も失くしたくない。
 諦めたらそこで終わり。駄目でも、最後の最後まで―――諦めない。

 イエローの身体を抱き、きっとブラックバットを睨みつける。
 心が、身体が熱い。

「僕はもう誰も失いたくない!」

 守る。戦う。最期の瞬間まで。

「死にやがれぇええええっ!」
「朱志香!」「嘉音くん!」
「―――!―――」

 その瞬間、黒い輝きが上空から飛び込んで来た。その光に触れ、黒い刃が弾け飛ぶ。

「え?」

 見上げた視線の先に、黒い宝玉が浮かんでいた。
 吸い込まれるような深い黒。緩やかに回りながら、光を発している。

 導かれるように、手を伸ばす。
 宝玉は、緩やかにその手の中へと滑り込んだ。
 握り締めた拳の間から、抑え切れない漆黒の輝きが溢れ、周囲を照らす。

 熱い。手の中が。心の奥が。痛い位に……熱い。

 手の甲に赤い輝きが表れた。それは、緩やかに伸びていき、ブレードへと変わっていく。

「嘉音くん……」

 イエローは、呆然とした表情でその光を見つめていた。
 腕輪に嵌め込まれたコアが熱い。呼応するかのように。

『間にあったようだな』

 インカムから、金蔵の声が聞こえる。

「お……司令官、あれは……」
『コアが新たな戦士に反応したのだ。いきなりコアがボックスから飛び出した時は、何があったのかと思ったが……主の危機に呼応したという事だな。前に反応した事があったから、近くにいるだろうと思っていたが……』

「な、ななな、なんだ? それはっ!」

 ブラックバットの焦ったような声。
 嘉音は、静かに立ち上がった。手の中のコアから、全身に力が溢れていくのがわかる。
 黒い怪人を、真っ直ぐ見据える。

「く、来るな!」

 苦し紛れに投げつけられた無数の刃。

「はっ!」

 一閃―――ブレードで正面の刃を切り裂く。
 捕らえ切れなかったものが、頬を抉るが、気にならない。痛みすら感じなかった。
 心に在るのは強く熱い想い。

「人間の癖に俺様に敵うと思ってるのか」
「うるさい」

 ブレードを振り下ろす。
 赤い刃が宙を走り、怪人に突き刺さる。

「ぐはっ!」

 飛んでいたブラックバットが、地上へ落下する。

「こ、この野郎……!」

 上げた顔が驚愕に歪む。嘉音は一瞬で、その眼前へと詰め寄っていた。

「地獄へ堕ちろ」

 そのままブレードを真っ向から振り下ろす。

「!」

 赤い刃が、軌跡を描く―――次の瞬間、断ち切られた怪人の身体が、崩れるように霧散していく。

 それを合図に戦いは終わりを告げた。



「嘉音くん、大丈夫?」

 よろよろと起き上がるイエロー。
 嘉音は、慌ててその身体を支えた。

「それは、僕の台詞です。傷だらけなんですから、無理をしないで下さい」
「嘉音くんの方だって、傷だらけじゃないか。私のなんて掠り傷だよ」
「そんな訳ないでしょう。今もフラフラじゃないですか。僕なんかよりずっと……」
「いや、嘉音くんの方が酷いって」
「どちらがじゃありません。両方です!」

 泣きそうな震える声。いつの間にかホワイトが、近くまで駆け寄って来ていた。
 そのまま、2人を抱き締める。

「遅くなってごめんなさい。2人とも、無茶し過ぎです。こんなに傷だらけになって……。癒しの風よ。我が祈りに応えよ。『ヒーリング・ウインド』!」

 言葉と同時に、純白の光が優しい風となって辺りを包み、2人の傷を癒していく。
 柔らかな優しい力が、心と身体に沁み込んで来る。

「姉さん……」
「ありがとう。紗音」

 お礼の言葉と同時に、イエローのスーツが光の粒となって消え、朱志香の姿が現れる。
 そのまま嘉音の方へと振り向く。

「……嘉音くんも、守ってくれてありがとう」
「朱志香さん……」

 柔らかで暖かい笑顔。変わらぬその笑顔に、安堵の想いが広がっていく。

「朱志香、嘉音くん、遅くなっちまって悪い!」
「うー、2人とも、無事で良かった!」

 戦人と真里亞が、そこに駆け込んで来る。
 2人とも、助けに来ようと必死だったのだろう。全身汗だくだ。
 だが、その疲れも見せず、笑顔を浮かべている。

「……危ない所だったね。嘉音くん、ありがとう」

 その後ろから、譲治が歩み寄って来た。

「い、いえ、元々は僕が……」

 そもそもの原因は自分だ。ほっとすると同時にいたたまれない思いが湧き上がって来る。

「嘉音くん……紗音ちゃんと共に僕達と一緒に戦ってくれる気はあるかな?」
「譲治先輩……」
「コアが君を選んだからといって無理強いする事は出来ないし、そのつもりもない。でも、君さえよければ、僕は一緒に戦えたら嬉しいと思ってる。戦人くん達も同じだと思う」
「おう! もちろんだぜ!」
「うー! 仲間増えるの嬉しい!」
「でも、僕は……」

 彼……うみねこセブンに、に刃を向けた人間だ。

「人には色々な事情や想いがある。それによっての擦れ違いもね。それを追求しようとは思わない。大切なのは、今だから。君は紗音ちゃんの大切な弟で、仲間の朱志香ちゃんを守ろうとしてくれ、その想いにコアが応えた……僕としてはそれで十分だよ」
「へっへっへっ。さっすが兄貴。簡潔にまとめたな。俺は兄貴みたいに上手く言えねぇけど、嘉音くんが手伝ってくれたら心強いぜ。悔しいけど、今日みたいに守りきれない事もあるし……。事情は良くわからないけど、気にするなよ。友達だろ?」
「うー! 友達ー!」

 勢い良く背中を叩かれ、一瞬むせる。

「戦人! 怪我治ったばかりの嘉音くんを、馬鹿力で叩くんじゃねぇよ。ったく……。あ、あのさ、気が進まないなら、遠慮なく言ってくれていいんだぜ。一緒に戦わなくても、嘉音くんが友達だっていうのは、変わらないんだからさ」
「朱志香さん……」

 真っ直ぐ向けられた信頼と好意に戸惑う。
 作った表向きの顔ではなく、真実の自分へと向けられた想い。
 泳がせた視線が、紗音とぶつかった。
 今までずっと一緒に生きて来た姉は、何も言わずにっこり微笑んだ。

『嘉音くんが決める事だよ』―――そう聞こえた気がした。

 ずっと、居場所が欲しかった。
 認めて欲しかった。信じて欲しかった。
 自分という存在を。
 幸せになっても、望んでも許されるのだと。

 嘉音にとって、それはあの時から『すっぱいぶどう』だった。
 どうせ手に入らない。だから欲しくない、信じられないものだと決め付けていた。
 そうしているのが一番楽だったから。これ以上傷つかずに済むから。

 だから、必要ないと思って来た。それで幸せなのだと。
 その『ぶどう』が、今自分の前に在る。

 視界がぼやけた。
 慌てて俯く。

「か、嘉音くん! 大丈夫? もしかして、まだ痛い?」
「かなり手酷くやられてたもんな。医務室で検査して貰った方がいいんじゃないか?」
「うー、痛いの、痛いの、飛んでけー!」

 きっと彼らにはわからないだろう。
 ただ、案じて貰える、認めて貰えるという事がどれだけ嬉しいか。
 だけど、だからこそ嬉しい。そんな彼らに好意を向けて貰える事。信じて貰える事が。
 自分の事を信じられるとはまだ思えないけれど、彼らの事は信じたい、信じられると思えるから。

 好きだと、友達だと言ってくれる彼らを、彼らが大切にしているものを守りたい。

 だからこそ―――

「ありがとうございます。とても、嬉しいです。ですが、少しだけ時間を貰えませんか?」

 紗音の方へと、視線を向ける。合わさる瞳。伝わる想い。

「うん。そうだね」

 頷く紗音。自分の事がなければ、彼女もそうしたかったのだろう。
 それは避けては通れない事であると同時に、やりたい事でもある。

「……会いたい人が……いるんです」



「良くここへ来ましたね。此処で貴方達と会う事はもうないだろうと思っていました」

 空間の狭間に存在するファントムの人間界侵攻の為の拠点―――その広間にロノウェの姿があった。
 その前に佇む紗音と嘉音は、ロノウェの言葉に頭を下げた。
 ファントムの協力者として動いていた時と同じ位置だが、俯く事も跪く事もない。
 少し離れた位置に、2人を連れて来たガァプの姿。

「もう一度お会いしたかったんです」
「ロノウェさまにはお世話になりましたから」

 敵対し、裏切り者になった2人……だが、膝を折らないだけで、その口調や態度は変わらない。
 
「お世話になりました……ですか」

 ロノウェの静かな指摘に、2人の身体がぴくりと反応する。

「……はい」
「これ以上ファントムの為に働く事は出来ません。申し訳ありません」

 真っ直ぐな眼差―――十年前の幼い2人の姿が被る。
 あの時、2人の瞳には、昏い影があった。
 だが、今そこには、強い決意と意志が浮かんでいる。

「今日はそれをお伝えしに来たんです」
「私達は、人を信じたい。大切な人達を、この世界を守りたい。だから……共にはいられません」
「……そして、うみねこセブンに協力すると? ……私が、ファントム将軍ロノウェが、それを許すと思いますか。愚かにも、手の内に戻って来た貴方達を見逃すとでも?」

 2人の表情が固くなる。
 場の空気が、ピンと張り詰める。

「その時は、戦います」
「到底及ばないとしても、ただ、やられるつもりはありません」
「一か八かの特攻ですか。彼らがそれを望んだと?」
「いいえ。僕達の意志です」
「けじめをつけたかったんです。皆は……わかってくれました。だから……決して屈しません」

 いざという時は、自ら命を断つ。情報を漏らさぬ為に。
 それだけの覚悟が伝わって来た。

「確かに、今の貴方達は、窮鼠になりそうですね。……それだけの思いがあるなら、直接でなくても良かったのでは? わかっていると思いますが、口を割らせる方法も、操る方法もあるのですよ」
「……どうしても、直接お会いしたかったんです」
「ロノウェさま……もっと別の方法を取る事は出来ませんか?」
「別の方法?」
「はい」

 2人は、真っ直ぐロノウェを見上げた。真摯な眼差。

「今のように、人間達を脅かし、苦しめる事で、幻想の存在を否応なく焼き付けるのではなく、隣人として別の世界に生きるものとして、少しずつ歩み寄って行く事は……出来ないでしょうか」
「……!……」
「ファントムの活動によって、人間達は幻想の存在を意識し、恐れ、その心により、ファントムの力は強まっていると思います。ですが……それは、畏怖、恐怖によるものです。大切な人が苦しめられ、害されれば、そこに憎しみと反発の心が生まれます。人間達は自らを守る為に戦わなくてはいけなくなる。幻想の存在を救う為に、人間を虐げるのでは、両者を入れ替えるだけ……それでは侵略と変わりません。本当の意味で、幻想世界を救うという事にはならないと思います」
「人間達は、意図的に幻想を排除しようとしている訳じゃない。目に見えるものだけが全てと思っているだけ。知れば認めてくれる者達もいると思います。人間達は、この世界で精一杯生きています。悪人はいるし、過ちもある。でも、それを正すのは、人であるべきだと思うし、それが出来ると……人間の1人として、そうしていきたいと思っています」

 悲しみに囚われ、全てを諦めていた少女が見つけた光と希望。
 人間に絶望していた少年が手にした信頼と決意。

「ロノウェさまや、ベアトリーチェ様達にそのつもりがあるなら、私達は力になります」
「うみねこセブンの皆は、きっと信じて、協力してくれます」
「…………」

 この子達は、これを告げる為に、此処に来たのだ。命を懸けて。

「……話は、それだけですか?」
「!」
「言いたい事が済んだなら、出て行きなさい。どんな罠が仕掛けられているかわかりませんから、今日の所は見逃しましょう。だが、次はありませんよ」
「ロノウェさま!」
「僕達は……」
「ファントムが、人間達と馴れ合う事はありえません。我らの目的の為に、誰かがやり遂げねばならない……引く事は出来ません」
「そういう意味ではありません」
「この強引な手段を、ロノウェさま達は本当に望まれているんですか!」

 はっきりした拒絶に、尚も食い下がる2人。
 それは、誰の為なのか―――

「…………望む望まないではありません。必要だからです。侵略であろうと、私は私がやるべき事を行うだけです。人間がそれに抗うのは、自然の流れ……貴方達は、人間です。私がファントムに従うように、貴方達が人間に与するのは仕方のない事……向かってくるなら、排除するのみです」

 静かに淡々と語る。その面には何の感情も浮かんでいない。

「……ロノウェさま……」
「ベアトリーチェ様……ファントムの為なら、どんな事でも行います。それが幼い子供を利用する事でも……最後に教えましょうか。十年前、貴方達の住んでいた『福音の家』を襲ったのは、ファントムなのですよ」
「……!」
「……驚きませんね。もしかして、知っていましたか?」
「あいつに……聞きました。暴走した怪人の仕業だと」
「そうですか。あの火事の時、屋敷に飛び込もうとした貴方達は、僅かながら力を発動していたのですよ」
「え?」
「私は、それで貴方達に気付いたんです。そして、いずれ何かの役に立つかもしれないと思い、援助する事にした。悪魔は損得なしで動いたりはしないものですよ」

 にやりと笑う。
 だが、期待した動揺は、返って来なかった。

「それも、今日で終わりです。今後の助けは人間達に頼みなさい。ここを出た後は、敵同士です。次会った時は……命がないものと思いなさい」

 2人は、一瞬視線を交わし、同時に頷いた。

「わかり…ました」
「今まで助けて頂き、ありがとうございました」
「助けたつもりはありませんよ」
「例えそうだとしても、僕達が助けられた事に代わりはありません。あの時、手を差し伸べて貰わなければ、僕達はここにこうしている事は出来なかった……感謝しています」
「これまでの私達を否定するつもりはありません。だから……これまで知った事は、誰にも言いません。ファントムの協力者としての私達は、記憶と共に此処へ置いて行きます」

 迷いのない瞳。
 なす術もなく、絶望で震えていた子供は、もう何処にもいない。
 だが、その真っ直ぐな心は変わらない。それを抱いたまま、彼らは人へ……人間の世界へ還っていく。

「それを信じろ……と?」
「信じて貰わなくても構いません。これはあくまで僕達の気持ちですから。ロノウェさま……いえ、ファントム将軍ロノウェ、貴方がそのつもりなら、僕達は貴方の敵になります。貴方を……止めてみせる」
「私達の大切なものを守る為に、戦います」
「……では、行きなさい。今日を境に、私も貴方達の事を忘れます。壊れた道具に、用はありませんから」
「……ありがとうございました」
「失礼します」

 2人は、丁寧に一礼し、身を翻す。
 戸口で、一度逡巡するように立ち止まり―――けれど、そのまま振り返る事なく、歩み去った。



「意外に芝居下手なのね。あの子達気付いてたわよ」

 傍観者の立場に徹したまま、一言も話さなかったガァプが苦笑交じりに口を開いた。

「何をですか? わかりませんね」
「……あの子達の家、燃やしたのはファントムでも、貴方が命じたり望んだりした事ではないでしょう。暴走した怪人を粛清したって話聞いてるわよ。あの子達を援助したのも、放っておけなかったからなんじゃないの」
「命令違反をしたのだから、当然です。あの2人の力に気付いたから、援助したというのも本当ですよ」

 あの火事の中、広がった波動。
 気付いた時は、2人の子供が炎の中へと突入する処だった。
 怪人を倒したのも、炎を食い止める事が出来たのも結果に過ぎない。
 それがなければ、気付けなかっただろうし、援助する事も出来なかっただろう。
 ただの人間を助ける事など、立場上許されはしない。

「ふーん……ま、いいけどね。それなら見逃すのは甘過ぎるんじゃないの」
「罠という可能性ありますし、万が一を考えただけですよ。次は排除しますから、同じ事です。それに……あそこで手を出したら、貴女が黙っていなかったでしょう。違いますか?」
「……さぁ、どうかしらね。まぁ、真っ直ぐな子は好きだけどね」

 にやりと笑うガァプ。
 その顔が次の瞬間翳りを帯びる。

「けど、あの提案には驚いたわね。……私は正直ありだと思うわ。リーチェもそうでしょうね。人間の事を気にいり始めているから」
「そんな事が出来る筈がありません。許されない」
「……そうね。解っているわ」
「気が進まないというなら、無理にとは言いませんよ」
「気は進まないわよ。でも……やれるし、やるわ。必要な事だから。リーアも同じ気持ちの筈よ」

 きっぱり言い切る。そこに迷いはない。
 何故なら彼女はもう選んでいるから。守るべき人を。譲れないものを。
 今日あの2人が選んだように。

「リーアは? 一緒じゃないの?」
「……本国からの呼び出しが入ったんです」
「本国? 嫌な予感がするわね」

 ガァプは、苦虫を噛み潰したような表情で唸った。



『全く……人間界の攻略程度に、いつまでかかっているんですか?』
「申し訳ありません」

 ワルギリアは、水鏡の奥の人影―――本国からの使者に向けて頭を下げた。
 姿形はシルエット位しかわからないが、音声はクリアだ。
 その声から、嘲りと苛立ちが伝わって来る。

『あの方は非常にお怒りです。当然ですよね。全くいつまで待たせるつもりなんですか。愚図にも程があります』
「申し訳ありません。うみねこセブンという不確定の要素があり……」
『言い訳は結構。大事なのは成果です。大体貴方方のやり方は生温いんじゃないですか。ちまちまと襲撃などせずに、大兵力でさっさと制圧してしまえば良かったんです。逆らうようなら、何人か殺してしまえば、大人しくなります』
「詳細については、こちらにまかされている筈です。我らの存在の為に必要な人間達を必要以上に傷つけるのは、後々差し支えるのではないかと……」
『大を取る為の小さな犠牲じゃないですか。ワルギリア卿ともあろうお方が、そんな簡単な計算も出来ないんですか。電卓入りますぅ?』

 言う端から、軽快に容赦なく切っていく。
 声は可愛いが、言っている事は辛辣だ。

『甘いです。反吐が出る位甘ちゃんです。どういう手段を取ろうと、人間達にとってみれば、我らは侵略者に過ぎません。仲良く出来るなんて思っているんですか? 私達は人助けをしている訳じゃないんですよ』
「…………」
『えーと、七姉妹でしたっけ。どうせ大した力もないんですから、まとめて投入してしまえば良かったんですよ。彼女達の矜持を考えて……とか思ったんでしょう。まぁ、力のないものを片付けるチャンスだったと思えばいいんでしょうけど』

 彼女の言葉はある意味正しい。感情を排して効率だけで動けば、おそらくもっと早く片はついていただろう。
 彼らが力をつける前に倒せていたに違いない。
 油断、過信、逡巡、迷い……様々な要素が絡み、ここまで来てしまった。

『このままの状態が続くなら、貴方方には任せておけないとの事です。役立たずのベアトリーチェ様には、速やかにお戻り頂かないといけませんねぇ』
「! それは……」
『それが嫌なら成果を出す事です。そうでなければ、ただの無能です。ベアトリーチェ様や、ワルギリア卿、ロノウェ将軍ともあろう方々が無能なんて事ありえませんよねぇ。くすくすくす』
「もう暫く時間を下さい。我らファントムの未来の為に、必ずや望まれる結果を出して見せますので」

 ワルギリアとしては、そう言うしかない。

『わかりました。伝えます。わかっていると思いますが、猶予は余りありませんよ。ところでベアトリーチェ様は何処ですか?』
「お嬢様は、お出かけになっておられます。ご用があれば私が承ります」
『ふーん……ま、いいです。宜しければご挨拶をと思ったのですが……今日の所は引いておきます。飾りに言っても仕方ないですしね』
「……!……」

 ぴくっと、一瞬眉が震えるのは止められなかった。

『では、失礼致します。いい報告をお待ちしていますね』

 その言葉と同時に、声は途切れた。見えない笑みが見えた気がした。
 ワルギリアは、唇を噛み締めた。様々な想いをこらえるように。


「あー! ったく、いけ好かない奴ね。立場的には、リーアよりも下の癖に偉そうに。ああいうのを『虎の威を狩る狐』っていうのよ」
「ガァプ……」

 部屋の中に現れたガァプ。重苦しい空気が消えていく。

「大丈夫ですか。マダム。……助けて差し上げられなくて申し訳ございません」
「気にしないで下さい。私が望んだ事ですから……」

 彼らがいた所で、まとめて切られるだけだ。話が長くなるだけで何が変わる訳でもない。
 それがわかっていたから、口を挟まなかったのだろう。

「そろそろだろうと思っていたけれど、本当に猶予がなくなって来たわね。あれは、出たくてうずうずしているわよ」
「困ったものですね」
「マダム……先程紗音と嘉音が私の元に決別を告げに参りました」
「! そう……ですか」
「罠の可能性もありますし、私の一存で見逃しました。申し訳ございません」
「それが貴方の判断なら、構いません。私でも同じ事をしたでしょう。別れを言いに来たのですか……あの子達らしいですね」

 快く出来る筈もない仕事を、生真面目にこなしてくれていた姉弟。
 いつかこの日が来るかもしれないとは思っていた。
 絶望の深さにありえないだろうと思いつつ、あればいいとも思っていた。

「いくら否定しようと、あの子達は人間です。人間の側に戻りたいと思えたなら、あの子達にとっては、良い事なのでしょう」
「相変わらずリーアは優しいわね。そこがいいところだけど。……別の方法がないかと言っていたわよ。戦うのではなく、話し合い少しずつ歩み寄れないかって」
「! そう…ですか。彼等は……うみねこセブンは、それが可能だと思える者達なのですね。七姉妹に対する対応から、信頼出来る者達なのだろうとは思っていましたが……」
「そうね。あの子達がセブンに保護されている事は間違いない。だから……難しいけれど、絵空事ではないと思うわ」

 任務に失敗し続け、成果を出せなかった煉獄の七姉妹。
 ファントムは、失敗したものが許される程甘い処ではない。
 彼女達がいずれ処分される事は目に見えていた。
 それならば、戦場で倒れた方がまだいい。そう思い、送り出した彼女達を彼等は受け入れた。
 だから、欲望の赴くまま、戦略もなしに飛び出していく彼女達を止めなかった。
 そして、彼女達は、ファントムとの戦いで戦死したものとして処理された。

「……私達の情報は、今だ漏れていないようです。本当に保護しているだけのようですね」
「本当の正義の味方という訳ね。甘ちゃんだけど、貫き通そうとする姿勢は嫌いじゃないわ。あの女よりよっぽどね」
「そうですね。だから、あの子達も、変わったのでしょう」

 ガァプの言葉に、苦い思いが込み上げてくる。
 同じ組織の人間より、敵の人間の方に共感を感じるとは、なんたる皮肉だろう。

「ですが、マダム……」
「わかっています。その申し出を受け入れる事は出来ません。本国が承知しない……口にしただけで終わりでしょう」

 ファントムが、それで良しとする筈がない。
 弱気、怠惰、敵と通じていると取られるだろう。
 そうしたら待っているのは―――

「我らは消滅。お嬢様は、強制送還でしょうね」
「逃げるには私達は立場が大き過ぎるものね。リーチェがいなければ、意味がないし、リーチェは決して逃げられない。いえ、ファントムが逃がさない」
「あの子は特別ですから……」

 ファントムのトップ、黄金の魔女ベアトリーチェ。
 象徴としての存在、お飾りではあるが、重要な立場であり、その秘めた力はファントムに必要なものだ。
 草の根を分けても行方を追うだろう。
 そして、捕らえる。ファントムにはそれだけの力がある。

「再びあの子をあの檻へ戻す事は出来ません。絶対に」
「ええ。今のリーチェは檻の存在を意識していなかったあの時とは違う。外を知った。自由のカケラを手に入れた。もう戻れない。いえ、私達が許さない」

 九羽鳥庵という閉ざされた場所で生きて来たベアトリーチェ。
 望むものは何でも与えられ、多くの者を従えた黄金の魔女。
 だが、そこは目に見えない檻だった。一見開かれているようでいて、外に出る事はかなわない。
 望まないようにされていた。
 唯一無二の存在として、1人孤独だったベアトリーチェ。
 外に出してあげたかった。解放してあげたかった。
 外の世界を知って欲しかった。
 人間界への侵攻はそのチャンスだった。
 大事な局面である事を大義名分に、ベアトリーチェを連れ出す事が出来た。

 このまま幻想の侵食が進めば、彼女は外に出る事が……自由になる事が出来る。
 遊園地の外に出て、何処にでも行ける。女王として。
 だが―――

「……ねぇ、このままでいいのかしら。リーチェに話した方がいいんじゃない? あの子は何も知らない。純粋に幻想の者達の為、ファントムの為に動いている。……知ったら、全てが終わったら、傷つくんじゃないかって思うの」
「それは……」
「……」

 ワルギリアとロノウェは共に言葉を失った。
 2人とも、それを考えなかった訳ではない。
 ベアトリーチェが、人間と交流し、心を寄せていくのを見ていれば、その先を案じずにはいられない。
 このままファントムが勝てば、幻想の者達、ファントムの人間には感謝されるだろう。
 だが、人間は?
 憎むか、畏怖するかだろう。侵略者ファントムのトップなのだから。

「……守るしかないでしょう。私達で」

 彼女の周りを、ファントムとファントムに従う者達だけで固める。
 人間達の事を、真実を、気付かれぬように。
 
「それって、これまでと何処が違うの。上手く行けば、リーチェは、幸せな夢の中にいられるかもしれない。けれど、それって、檻が大きくなっただけなんじゃないの」
「ガァプ!」
「! ……ごめんなさい。」

 ロノウェの制止に、我に返るガァプ。

「自分の存在に疑問を感じるリーチェを見ていたら、つい……」
「あの時の事ですか」

 つい先日遊園地の外へ出ようとして、倒れたベアトリーチェの事が脳裏に浮かぶ。

「確かに何も知らせたくないというのは、私達のエゴですね。あの子はもう幼い子供ではない」
「ですが、マダム、そうしたらお嬢様はどうすると思いますか? 本国がそれを知ったら、黙ってはいないでしょう。同じ事です」
「そうですね……その通りです」
「……ごめんなさい」

 うなだれるガァプ。
 そのことがわからない彼女ではない。
 それでも、言わずにはいられなかったのだろう。
 ベアトリーチェの親友として。

「やるしかない……そういう事です。彼らと共に倒れる訳には行きません」

 彼らの力はファントムに遠く及ばない。今の段階ではまず勝ち目はない。
 その上信頼に足るかどうかもわからず、確かめる時間もない。
 結局今出来る最善と思える道を進むしかないのだ。

「そうね。リーチェの為に」
「お嬢様を守る為に」

 強い決意を瞳に宿し、頷く2人。
 2人が、うみねこセブンを……人間達を選んだように、ワルギリア達は、ベアトリーチェを……ファントムを選んでいる。遠い昔に。
 スタート地点も、目指す場所も違う。一時触れ合ったからといって、混じわれはしない。
 それは、奇跡であり、夢物語でしかない。

 どちらかが消えるしか……ないのだ。



「……駄目だったね……」
「ええ……」

 紗音と嘉音は、日が落ち始めた街中を連れ立って歩いていた。
 その表情は冴えない。
 毅然とした態度を取ってはいたが、落胆がない訳ではない。
 2人は、今日、2人目の保護者と、決別したのだ。

 院長先生のように、常に側にいてくれた訳でも、優しくしてくれた訳でもない。
 だが、あの焼け跡で、手を差し出してくれた彼は、2人にとって特別の存在だった。

「わかってはいたけれど……辛いね」
「うん」

 駄目だろうとはわかっていた。
 2人は詳しい事は何も知らない。
 だが、見ていればわかる。強行な手段を望んでいない事……一部の過激な者達の所業を苦々しく思っている事位は。
 それでも、揺らがない。
 それは、それだけの理由があるという事だ。 その事情を知らない自分達の言葉が届く筈がない。

 それでも……言わずには、会わずにはいられなかった。
 十年前、出会った日の事が脳裏に浮かぶ。

「嘉音くん……ちょっと寄り道しようか」
「うん」

 今の気持ちのままでは帰れない。
 セブンの皆も、弟妹達も心配するだろうから。



 空が赤い。その赤は、あの時の炎を思い出させた。
 焼け跡を真っ赤に染めた夕日……哀しく辛かったあの時。

 その夕日の下、2人は無言で歩いていた。
 行く先は決まっていた。話さずとも、お互いわかっていた。
 院長先生を失い、ロノウェと出会った場所―――最初の『福音の家』。
 この気持ちは、そこに埋めて行こう。今まで決して行かなかった……行けなかった場所に。

「確か、こっち……」
「この角の先だったよね……!」

 火事で施設が焼けたのは、十年前の事だ。
 新たな建物が建っているだろうとは思っていた。
 だが―――

「児童養護施設……『やすらぎ』……」

 綺麗で清潔そうな建物の中から、子供の元気な声が響いて来る。
 懐かしい光景……あの火事の前に戻って来たかのように。

「どうして……」

 再建の目処は建っていなかった。取り壊して売却されるのだと思っていた。

「あれ? 君達ここに何か用事?」

 背後からかけられた声に振り向く。
 がっしりした体格の30半ば程の青年がそこにいた。

「え?」
「あ、あの……ちょっと……」
「あれ? 君達……もしかして、前ここに住んでいた子?」
「!」

 2人してびくりと震える。あの時の記憶と思いは今でも残っている。
 青年は、2人をまじまじと見つめると、ぱぁっと顔を綻ばせた。

「火事の時、飛び込もうとした子達だろ? 元気そうで良かった」
「ど、どうして……」
「ん? 君達2人は印象強かったからさ。火事の中飛び込もうとする子はそうはいないよ。消防士になって間もない頃だったしね」
「あ! もしかして、私と嘉音くんを助けてくれた人ですか」

 紗音がはっと気付いたように声を上げる。

「助けた?」
「あー、助けたって行っても、2人を止めただけだけどね。まだ新米で後方だったし」
「崩れ落ちる建物から、庇ってくれたじゃないですか。あなたがいなければ、私達きっと大火傷をしていたと思います」
「いや、どうかな? 結局大きな塊は落ちてこなかったしね。大した事なかったと思うよ」
「それは結果論です。それに、あなたが止めてくれなかったら、私達そのまま入っていたと思います」
「院長先生は……残念だったね。力及ばず申し訳ない」
「いえ……」

 目の前で交わされる会話。何がなんだか全くわからない。

「姉さん……助けたってどういう事?」
「ほら、火事で私達が中に飛び込もうとした時、上から炎が落ちて来たじゃない。庇ってくれた人の事覚えてない?」
「庇ってくれた?」

 青年の顔を見つめる。力強い瞳。
 心の奥底に沈めた過去がフラッシュバックする。

「あ……」

『大丈夫か!』

 炎が落ちて来ると思った瞬間、間にたくましい人影が割って入った。
 その上に落下する燃えた木材……大きな塊が弾けとび、細かい粒となって降り注ぐ。

『離して下さい!』
『院長先生がっ!』
『馬鹿を言うな! 君達が行って何が出来る!』

 炎から2人を庇いつつ、怒鳴る青年。
 彼は暴れ、もがく子供達を、決して離そうとはしなかった。

『気持ちはわかる! だが、俺達に任せてくれ! 君達まで……失いたくない』

 泣きそうな顔の青年の顔がだぶる。

「あのときの……」
「大変な状況だったもんな。覚えていなくても無理ないよ」

 どうして忘れていたのだろう。
 院長先生をなくした衝撃が大きかったから?
 その後の出来事が辛すぎたから?
 それとも……憎む為に邪魔だったからだろうか。

 助けてくれた人もいたのだ。
 命懸けで自分達を守ろうとしてくれていた。

「ありがとう……ございます」
「いや、それが僕達の仕事だからね。当然の事だよ。いや、しかし、無事で良かったよ。新しく出来た施設に戻ってこなかったから、気になっていたんだ」
「あの、ここは……」
「ああ、火事の後暫くしてから、再建されたんだよ。君達のいた施設は移転されたんだよな。だから、名前は違うけど、同じ施設が建って、復興したみたいで嬉しかったよ」
「そう…ですか……」

 笑顔でしみじみ語る青年。心の奥に何かが沁みていくのがわかる。
 酷い噂が流れた。悪意に満ちた囁きを耳にした。
 ここに施設が出来る事はもうないだろうと思っていた。

 だけど―――

「……良かったね」
「うん」

 散り散りに引き取られる事は決まっていた。
 そうなったら普通に考えて戻って来る事は出来ないだろう。今のように同じまま皆でというのはありえない。
 それでも……戻れたかもしれない。
 望んでくれたのだと、そう思うのは、許されるだろうか。
 実際どのような事があったかわからない。都合の良い想像だ。
 でも、それを信じてみたい。そう素直に思えた。

 白い建物がぼやけた。被るかつての『福音の家』。
 その前で微笑む老人の姿が……視えた気がした。

「! 思い出しちまったか。えーと、余り綺麗じゃないけど……」
「大丈夫です」

 慌ててハンカチを取り出そうとする青年の姿に笑って首を振る。 
 腕で溢れた涙を拭う。

「哀しい訳じゃないですから」
「そうか。……まぁ、生きてりゃ、色々あるとは思うけど、頑張れよ」

 がしがしと頭を撫でられる。はっきり言って強過ぎる。
 だが、その強さが嬉しかった。

「はい!」

 名も知れぬ、消防士の青年は笑顔で歩いて行った。
 彼は、これからも戦って行くのだろう。自分達のような人を救う為に。
 場所は違えど、彼も1人の戦士なのだ。


 プルルルルルルルルルル。

 ふいに、辺りに昭和テイストの着信音が流れた。

「あ……」

 紗音が鞄から、携帯電話を取り出す。

「はい。紗音です。……朱志香さん! あ、はい。終わりました。嘉音くんも一緒です」

 受話器から戦人や真里亞達の声も、聞こえて来る。
 自分達が出て行ってからかなりの時間がたってしまっている。心配して連絡してくれたのだろう。
 何も聞かずにいてくれたけれど、多少は察している筈だ。

「大丈夫です。……え? それは嘉音くんに直接聞いて下さい。嘉音くん、はい」

 にっこり笑顔で電話を押し付けられる。

《え、か、嘉音くん? い、いきなりは困るよ!》
「あ、あの朱志香さん……」
《え? も、もう変わってるの。あ、え、えーと、ゆ、夕日が綺麗だね》
おい朱志香! いきなり夕日はないだろー!
うー、譲治お兄ちゃん、真里亞もしかして、空気読んだ方がいい?
そうだねぇ。そうした方がいいかい?
《外野! うるせぇぞ。こっちは大事な話をしてるんだ》

 電話から賑やかなやりとりが聞こえて来る。
 空を仰いだ。炎のようだと、不吉だと思っていた夕日。
 それがとても、美しく見えた。

「朱志香さん……僕をうみねこセブンの一員にして下さい」
《え?》
「一緒に戦いたいんです。皆が守ろうとしているものを僕も守りたい」
《あ……あ、ああ! もちろんだよ! ありがとう!》

 元気で明るい声。眩しい笑顔が視える気がした。
 戦人達にも伝わったのだろう。電話の向こうから歓声が聞こえる。

「嘉音くん……ありがとう」
「姉さん……ロノウェさまだと思う」
「え?」
「あの時、落ちて来た炎の塊が、宙で弾けとんだんだ。あの時はわからなかったけど、あれは多分何らかの力が働いたんだと思う」
「そう……そうかもね」
「うん。でも、だからこそ、僕は戦おうと思う。同じように……守りたいんだ。最後に戦う事になったとしても。このまま逃げるより、立ち向かいたい。その方が後悔しないと思うから」
「うん」

 少年は戦う事を決めた。
 彼が信じるものを守る為に。


 ボックスに入っていたコアは、6個―――これで全てのコアが揃った事になる。


 だが、そんな戦士達を見下ろす一つの影があった。

「これで6人……やっぱり、そうなるのね。でも、同じにはさせない。絶対に……」

 言い聞かせるように呟く少女の腕には、青く染まったコアが輝いていた。



【エンディング】


《This story continues--Chapter 19.》




《追加設定》

『ヒーリング・ウインド』
ホワイトの技の一つ。
白く輝く癒しの風の力で対象の傷を治す事が出来る。
「癒しの風よ。我が祈りに応えよ。『ヒーリング・ウインド』」

●うみねこブラックが仲間になりました。

正体は嘉音。赤きブレードを振るって戦います。



アイキャッチとして、白桔梗さんのイラストを使わせて頂きました。
白桔梗さんありがとうございます。

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