『今回予告』

「あら、ガァプ。何をやっているのです?……花占い?」
「あぁリーア。…そうよぅ? リーアは17歳〜、1017歳〜、17歳〜、……あら、1017歳が残っちゃったわ。くすくす、あんたやっぱり1017歳だったのねぇ。言いふらさないと」
「誰がババアですねぇ?! きぃーーーーー!!」
「(無視)…まあとにかく今回の話は、譲治と紗音をメインに進む物語よ。ちょっぴり甘酸っぱ〜い遊園地でのひと時が一転、煉獄の七姉妹の次女レヴィアタンの襲撃に巻き込まれ、絶体絶命の大ピンチに。そんな中での二人の葛藤が見所ね」
「葛藤…ですか。我々もいずれ何か大きな決断を迫られるときが、来るのかもしれませんね……」

『六軒島戦隊 うみねこセブン』 第14話 「信じる、信じない、ひらりはらり」

―――最後に残った、一片の想い。




【オープニング】


腕時計で時間を確認して、譲治は再び駅前の雑踏に目を戻した。
「早く着きすぎちゃったなぁ…」
待ち合わせの時間まで、まだ30分以上ある。
待つのは苦にならないタイプなので特に問題はないけど、遠足が楽しみすぎて早起きした子どものようで、ちょっと恥ずかしい。
……いや、あながち間違ってもいないけれど。
最近戦闘続きだったから、たまにはパーっと遊びに行こうぜ!と戦人が言い出したのが1週間ほど前。
それなら親睦も兼ねて嘉音君と紗音も誘おうぜ!と言い出したのが朱志香。
譲治兄さんは紗音と面識あるからいいよな、みんなずるいえんじぇもいくー、うー!真里亞遊園地がいい、じゃあ来週の日曜日に『Ushiromiya Fantasyland』な、と10分足らずで決まった話だった。
「お〜い! 譲治兄さ〜ん! おっはよ〜〜〜!!」
元気な声に振り向くと、朱志香が息を切らて走ってくるところだった。
「だーーーっ! 走った走った! …って、あれ? みんなは?」
「おはよう、朱志香ちゃん。みんなまだだよ。ほら、まだ30分近く時間あるし」
「…へ? あー、そうだ。昨夜遅刻しちゃマズイと思って30分時計進めといたんだっけ。ちっくしょ〜疲れた〜!」
「ははは、そういうことかい。いつも戦人君とどっちが遅刻してくるかって感じだから、珍しいと思ったんだよ」
ちぇー、そりゃ悪うございました、と唇を尖らせて、朱志香は近くの自販機でスポーツドリンクを買うと、ふと思いついたようににやりと笑った。
「そういや兄さんさぁ、今日はやけにキリッとしてるよな〜。服も決まってるし」
「……え? そ、そうかな。いつもと同じだと思うけど」
「そんなことないぜー? ほら、そんなジャケット持ってたっけ?」
……目ざとい。
「こ、これはその…この間買い物に出たときに買ったんだよ。な、何かおかしいかい?」
「……ふ〜ん? へぇ〜〜?? ほぉぉ〜〜〜???」
仕返しとばかりに含みのある表情で詰め寄る朱志香に押されて、譲治はじり、と後ずさる。
「な、何だい…!」
「ふむふむ、そっかそっかぁ。いつもより7割増しで男前だぜ、譲治兄さん♪」
「は、ははは…。そ、それはありが」
「こりゃ紗音あたり惚れちゃうかもな〜?」
「な! ななな何言ってるんだい! 別にそんな」
「あ、紗音」
「え?!」
い、今のもしかして聞かれ…いやいや聞かれてまずいことは言ってないけど何かこう、
「うっそ〜」
「…………」
思い切り振り返ってしまった恥ずかしさに、そのまま頭を抱えたくなる。
どうしてくれようかと前に直ると、噂の紗音が立っていた。
……紗音が立っていた?
「うわ!!」
「えっ??」
ぐわーもうダメだおっかしい譲治兄さんお約束すぎるぜーあっはっはっは!……と、笑い転げる朱志香をにっこり牽制すると、改めて紗音に向き直る。
「びっくりさせてごめんね。おはよう、紗音ちゃん」
「あ、はい。おはようございます、譲治先輩。朱志香ちゃんも、おはよ。…お約束って何?」
「くくく、何でもねーぜ! おはよ、紗音。……あー、えっと、嘉音君は?」
「そこでコーヒー買ってるよ。…あ、嘉音君! こっちこっち」
紗音が手を振ると、人ごみの中から硬質な雰囲気を纏った少年が顔を出した。
「…お、おはよう、嘉音君! 来てくれて嬉しいぜ! へへ…」
「……おはよう。こちらこそ……誘ってくれてありがとう」
俯きがちに挨拶を交わす二人をにこにこと見守りながら、今度は紗音が本日初対面の譲治と嘉音をお互いに紹介する。
「話は朱志香ちゃんたちからよく聞いてるけど、会うのは初めてだね。今日はよろしく」
「……はい。僕も先輩のことは紗音から聞いています。よろしくお願いします」
一通り挨拶を終えると、よく通る声が響いた。
「おおお〜〜〜い!! ワリィワリィ〜!!」
両手を縁寿と真里亞と繋いで走ってくる戦人だった。
「遅っせーぞ、戦人ぁ〜!!」
「いやー焦ったぜ〜! ギリギリセーフかぁ?」
「もっと焦れ! ギリギリアウトだっての。遅刻だぜ、チ・コ・ク!!」
「戦人のせいだからね! うー!」
「おにいちゃんのせいだからね! ふんっ!」
「だぁから悪かったって! 反省してる! この通り! な?」
腰に手を当ててツンとそっぽを向く真里亞と縁寿を拝み倒す戦人。苦笑する紗音とちょっぴり呆れた風な嘉音。
そんな中、朱志香がツツっと譲治の隣へ寄ってくる。
「…まぁ、なんつーか? 今日は私が一肌脱ぐからさ」
「……どういう意味だい?」
「またまたー! ま、次の機会があったらそのときは兄さんが一肌脱いでくれよな!」
ヨロシク頼むぜ!と譲治の背中をバシバシ叩くと、朱志香は何事もなかったかのように戦人をからかい始めた。
何をどうするのかイマイチわからなかったが、何だか妙なフラグが立った気がしたのは……全力で気のせいだと思いたい。
譲治はぶんぶんと頭を振ると、戦人が寝坊したせいで遅れた、そうだよえんじぇはちゃんとはやおきしたのに、と怒り心頭な幼い二人を宥めるいつものポジションにつくのだった。


……気のせいでは済まなかった。
立て続けに4つアトラクションを回って、次はどこへ行く? とマップを広げたりしていたときだ。
朱志香が視線を明後日の方へ向け、口笛でも吹き出しそうな勢いで嘉音の肩を叩いた。
「いやーそういえばノド渇いたなぁ! 嘉音君もノド渇いたろ?」
「…いや、僕は別にノドは渇」
「そっかそっか、嘉音くんはコーラ? オッケーオッケー! じゃあ行こうぜ、はははは!」
「え? だから僕は、うわッ?!」
むんずと腕をひっ捕まえて走り出す朱志香。
「あ、おい! 俺もコーラ! …って、行っちまいやがった」
「…朱志香ちゃんと嘉音君、仲いいですね〜」
「…そうだねぇ」
嵐のように去って行った二人をぽかんと見送っていると、少しして、真里亞の携帯が鳴った。
「…うー? ……うん。うん。えっと……いいかんじー! うー、わかった。空気読む!」
……空気読む?
真里亞は元気良く通話を切ると、縁寿に何やら耳打ちし、二人してくすりと笑うと戦人の方を振り返った。
「戦人、競争だよ。うー♪」
「おにいちゃん、きょうそう! きょうそう!」
「は?」
「「よーい、どん!!」」
「え、おい! 迷子になるぞお前ら!! …ったく、悪ぃ兄貴。ちょっと行ってくる!」
だっと走り出た真里亞と縁寿を追う戦人。
ワンテンポ遅れて譲治も立ち上がるが、すぐに3人の姿は人ごみに消えてしまった。
「だ、大丈夫かな…」
「まぁ、戦人君が追いかけていきましたし、迷子になったらアナウンスがかかるはずですから……」
「そうだね。僕らまで動いてすれ違ってもいけないし、しばらく待ってみようか。みんな携帯持ってるし……」

…とは言ったものの、それから数十分。

「……帰ってこないね」
「……帰ってきませんね」
さすがにそろそろ電話をかけてみるか、と携帯を取り出したと同時に着信音が鳴った。
「…っと。ちょうど朱志香ちゃんからだ。……もしもし?」
『あ、譲治兄さん? いやー、参った参った! 迷っちゃってさぁ!』
…全然参ってなさそうな声だった。
「迷った…って、えっと。今どこにいるの?」
『あ、あー、んー、どこだろうなー? 私にもさっぱりだぜ! いやぁ広すぎるってのも問題だなぁ。はははは!』
『うー! 真里亞迷ってない! 空気読んだだけ!』
『えんじぇもよんだだけー!』
『……はぁ。なぁ、嘉音君。そういう空気って気付いてたか?』
『……いや、僕は全然』
『だよなぁ! 仲間仲間!』
『シッ! ばか、聞こえちゃうだろー?!』
「…ずいぶんと賑やかに迷ってるみたいだね、朱志香ちゃん」
『え? そ、そーなんだよ、あはははは……』
「はははははは」
『……………………』
「……………………」
『ということで! こっから別行動にしようぜ! こっちは兄さんと紗音以外はみんないるからさ。帰りも流れ解散ってことで!』
「…え? な、何で突然そういうことになるんだい?!」
『えー? 何ー? 聞こえなーい! あっれー、電池ねえのかなぁ! …ま、そういうことでヨロシクな〜!』
「ちょ、朱志香ちゃん?!」
少し間をおいて、電話の向こうで朱志香が含み笑いをしたのがわかった。
『……がんばってね、譲治兄さん♪』
「な、」
容赦なくぶった切られた携帯を握って、ぎこちなく紗音の方を振り向く。
一肌脱ぐとはこういうことか。…いやしかし、何と言うか。
……ど、どうしよう。


「朱志香ちゃん、どうしたんですか?」
「あ、あぁ、うん、何か迷っちゃったみたい」
「え? だ、大丈夫でしょうか…探しに行った方がいいんじゃ」
「それが…朱志香ちゃんのところに僕ら以外はみんないるらしいんだ。だから別行動取ろうって」
「あ…そうなんですか」
「う、うん。そうなんだ」
「……………」
「……………」
……き、気まずい。
こんな唐突に二人きりになってしまうと、変に緊張してしまう。
さっきまで無意識に交わしていた会話でさえ、どうやって弾ませていたんだか一体全体さっぱり。
ああもう、もうちょっと…こう、何かないのか。紗音ちゃんが笑ってくれるような…ええと、うーん…。
思わず考え込んでしまって、溜息をつく。
きっと戦人や朱志香なら、もっと遠慮なく強引に…それでいてそれを不快に思わせない快活さで、ぐいぐいと引っ張っていくんだろうけど……僕は。
そこまで考えて、もう一つ溜息。我ながら卑屈だ。
気持ちを切り替えるために、殊更勢いをつけて立ち上がる。
「さってと! とりあえず二人で回ってみようか。ばったり朱志香ちゃんたちとも会えるかもしれないしね」
僕は僕。せっかく遊びに来たんだ。紗音ちゃんにも楽しんでもらわなくちゃ。
…うん。よし!



とりあえずどこへ行くでもなく歩き出して、少し。
二人で並んで歩いていると、どうしても思考はその相手のことに流れてしまう。
明るく話しかけてくれる譲治に相槌を打ちながら、紗音はそっとその横顔に目を向けた。
右代宮譲治。
……うみねこグリーン。
本来なら考えるまでもなく、何の関連もない人物同士。
それなのに頭の中でイコールがちかちかと点滅するのは……やはり、あの襲撃に巻き込まれた日のことがあるからだ。
裏門で別れた後、入れ替わるようにガァプの前に現れていたグリーン。
ロノウェの作戦で、学園内の人間ではない可能性が濃厚にはなったけど…それでもゼロじゃない。
…いや、ゼロであってほしいのに、何の根拠もない感覚がそれを否定する。
そしてそのことを認めたくない、ジレンマ。
たとえどちらにしたって、白黒はっきりさせるのが自分に与えられた任務だというのに、ずっとできないでいるのは……
「……?」
それまで左側を歩いていた譲治が、くるりと右側へ回った。
「どうしたんですか?」
「え? 何が?」
人通りの少ない側を譲ってくれたのだと気付くまでに、瞬き3回。
……優しい。
もちろん、出会ったときからそれは思っていたけれど、こんななさり気ない優しさに1つ気付けば、ぽろぽろと他の事まで気付いてしまう。
間が空くと気まずいだろうと、ずっと他愛なく答えやすい話題を振ってくれてたり。歩くスピードを合わせてもらってたり。…気を遣ってることを悟られないように気を遣ってくれてたり。他にも、いろいろ、たくさん。
あ、そういえば持ってきたバッグまで持ってもらってしまっている。
降水確率10%なのに折り畳み傘とか、買えばいいのに水筒にお茶とか、もしものときのためとか何かの予備とか予備の予備とか、とにかくたくさん入ってて重たいのに。じゃなくて、えっと、いつ持ってもらったんだっけ……。
思い出せないほどに、やはりよほど譲治がさり気なかったのか、自分が思考に沈みすぎていたのか。
どっちもだろうけど、何だか凄く恥ずかしくて、申し訳なくて。
……やめよう。
うみねこグリーンが誰であるかなんて、今、それも考えてわかることではないのだし。
いい天気の日曜日に、友人たちと遊園地。…うん。楽しまなくちゃ。
「……ぁ」
「どうしたの?」
その友人たち……は、はぐれてしまったんだっけ。う、うわぁ…!
今更だけど、今更なことに気付いてしまった。
…ふ、二人きり。
「大丈夫かい? 何だか顔が赤いけど」
「あ、いえ、大丈夫ですとても元気です! てて、天気がいいので、その……ぁぅ」
「はは、確かに今日は気温が高いね〜」
よくわからない返答をからりと笑い飛ばすと、譲治は「そうだ」と何かを思いついたように立ち止まった。
「それじゃあ、ちょっと涼みに行こうか」
いたずらっ子が笑うように、少しだけ笑顔が幼くなる。
そんな発見が嬉しくて、思わず頷いて……ちょっぴり後悔した。
譲治が指さした先には、「魔女たちの館」という看板。
おどろおどろしい文字で書かれていて、雰囲気もそこだけ禍々しくて、いかにも何か出そうな洋館型のアトラクション。つまりそれは日本風に言うと……
……お化け屋敷、というやつだった。


「こ、怖かったですね…!」
「怖かったっていうか、な、何だったんだろうね、あれは…」
魔女の館の出口で、二人はぜいぜいと肩で息をついていた。
最初はなかなかに不気味な雰囲気があるものの、カボチャのお化けやら何やらと愛嬌のあるお化けが多くて全然余裕だったのだ。入口で「さそりのお守り」も勧められたが、せっかくのお化け屋敷なのだからと断って入って正解だったと思った……のだが。
男の譲治はともかく、女の紗音まで全く怖がらず、あまつさえ「可愛いですね〜」なんて言うものだから、お化け役スタッフのプライドに火がついたのかもしれない。
途中から屋敷内のお化け総出で追いかけられ、全力疾走するはめになったのだった。
「…くす。でも、何だかおもしろかったですね。久しぶりに本気で走りました、私」
思い出したようにくすくすと笑う紗音に、譲治はほっと息をついた。
失敗したと思ったけど、結果オーライだったのかもしれない。……よかった。
「ははは、そうだね。涼みに入ったのに、逆に汗かいちゃったね」
ぱたぱたと顔を手で扇ぎながら、ひとまず休憩と手近なベンチに二人で座る。
「さてと。次はどうする? どこか行きたいところはあるかい?」
「えっと、そうですね……。あ、すみません、バッグいいですか」
言われて、持っていたずっしりと重みのある紗音のバッグを手渡した。
中に何が入っているのかは知らないが、この大きさでこの質量。明らかに質量保存の法則を無視しているのは間違いない。
……まあ、女性のバッグやポケットの中は異次元に繋がってるみたいだからなぁ。
母である絵羽も、しょっちゅう扇子やら化粧品やら飴玉やらその他いろんなものを大量に出し入れしているが、どこから取り出してどこへ仕舞っているのか、皆目見当もつかない。
そんなことをつらつらと考えていると、バッグの中を探っていた紗音がようやく顔を上げた。
「あの。これ、持ってきたんです。見ながら決めませんか?」
「うん? 【『Ushiromiya Fantasyland』完全攻略ガイドブック】…?」
ぺらぺらとページを繰って、合点がいった。
…ああ、以前やったモニター企画の。
簡易パンフレットが園内や旅行代理店なんかに置いてあるのは知っていたが、まさか製品化して一般書店で売ってあるとはウチの経営陣もちゃっかりしてる。
「あ! これなんかおもしろそうじゃないですか?」
紗音がにこにこと差し出したのは、「ウエスタンヒーローズ」のページだった。




【ウエスタンヒーローズ】
馬車に模した乗り物に乗り、迫り来る敵を狙い撃つ!
銃はライフル、ショットガン、二丁拳銃の好きなものを選べますw
得点に応じて素敵な景品が貰えるよ!


《生の声》
●一言で言えば「爽快」ですね。思わず「うおぉおおぉおおおお!! 来いよぉぉおおおぉおおおお!!」と叫びながらのプレイでした(笑) [30代・女性]
●ライフルやショットガンもいいが、西部劇の華といえばやっぱり二丁拳銃だよなぁ。くるくるっと回してすちゃっと収める。…これさ。希望すればホルダーまで貸してもらえるのがまたわかってるよな。西部劇世代にはたまらねえぜ! [40代・男性]
●ふははははは! 我がスコアを越えてみよ! 99999点であるぞッ! わっはっはっは!! [70代・男性]
●…流石でございます、お館様。 [60代・男性]
●我が夫に攻撃を仕掛けるなど、無礼極まりませんッ! 全て私が倒して差し上げました! [40代・女性]
●……妻が全て倒してくれたが、これは私が下手くそなのでは断じてなく! 女性でも楽しめるアトラクションということを示したかったのだよ! わははははは!! [50代・男性]




……何をやってるんだウチの経営陣は。
譲治はそう思ったが、紗音はこの記事のどこに惹かれたのか、目をキラキラさせて読んでいる。
「あ、得点に応じて景品がもらえるみたいですよ! 何がもらえるんでしょうね〜」
「うーん、この遊園地のグッズとか、サービス券の類じゃないかな。景品付きってことは結構難しそうだけど……それもおもしろいかもしれないね。行ってみる?」
「はい!」
「よし、じゃあ…景品も狙いつつ、勝負といこうか。負けた方が罰ゲームってことでどうだい?」
……あ。紗音ちゃんみたいなタイプは、こういう勝ち負けとか罰ゲームとか、苦手だろうか。
言ってしまってから一瞬後悔したが、紗音は思いのほか乗り気な様子で頷いた。
「わぁ、いいですね!…くす。先輩には絶対負けません」
楽しそうに笑う紗音に、譲治も自然と笑顔が浮かぶ。
「あはは。さあ、どうかな。僕だって負けないよ?」


……負けた。
「勝ちました!」
勝負とは言ったものの、楽しめればそれでいいとあまり差がつかないようにザコキャラをメインに狙って、終盤までいい勝負をしていたのだが。
最後の最後で「あ、外れちゃいました」と呟いた紗音の弾が、そのまま隠しボーナスキャラに命中。結局、譲治のスコアを大きく上回っての逆転勝利だった。
紗音のスコアが景品をもらえるボーダーに達していたので、一緒にカウンターへ向かう。
もらえるのは、この遊園地で売っているキャラクターの帽子とのことで、このアトラクションの景品のランク的には一番下らしいが、それでも景品としてもらえるものはやっぱり嬉しい。
「えっ…と、どれが似合うと思います? 先輩
何種類かある中から選べと言われて、紗音が振り返る。
ライオンのたてがみ風のもの、ネコ耳、ウサ耳、トラ耳?、ふさふさした毛がついているのは山羊さん風、このハサミみたいなのは…カニ? 他にも角のついたものや、カチューシャじゃなくてキャップに不死鳥や鮫のデザインが施されているものもある。
「…そうだなぁ……これ、かな?」
紗音と景品を交互に見比べて、ネコ耳を指差してみる。
彼女のふわふわとした髪の毛には、きっとよく似合うと思うんだけど。
「じゃあこれにします」
係のスタッフから景品を受け取るやいなや、紗音は譲治の頭にそれを載せた。
それ→ネコ耳。
「…………えーと、紗音ちゃん?」
「わぁ、やっぱり似合いますね〜! すっごく可愛いです、先輩」
「あ、ありがとう……」
……じゃなくて。
ネコ耳…ネコ耳が僕の頭に。
二十歳を越えた男が……身長180近い男が、ネコ耳。
あまりの事態に頭が一瞬真っ白になる。
「……ええと、その……これは一体どういう」
「罰ゲームですw」
紗音は、それはもう見蕩れるくらいの綺麗な笑顔で、間髪入れずにそう言い切ったのだった。



「うわぁ……」
「綺麗だね〜」
全てが茜色に染まる夕暮れどき。
譲治と紗音は観覧車―――ホイール・オブ・フォーチュンに乗っていた。
…ちなみにネコ耳は丁重にお願いして、今は紗音のバッグの中に入っている。
とても一日では回りきれないけど、人気のアトラクションはほぼ網羅し、最後に観覧車に乗ったら朱志香たちを探して一緒に夕飯と、ナイトパレードを見に行こうと話していた。
夕日に照らされて一際明るくなった園内を、負けないくらい明るい笑顔で行き来する人々。
はしゃぐ子ども、それを見守る夫婦、友人同士、恋人同士。修学旅行らしき学生の集団もいる。みんなすごく楽しそうだ。
いいな、と思う。こんな光景がずっと続くといい。ずっとずっと守っていきたいものが、ここにある。いや、ここだけじゃなく、この街や世界中にたくさん。
そのために僕が、僕たちがいる。
「あ! あれ、見てください」
突然、窓に張り付いていた紗音が声を上げる。
「うん? どれだい?」
「ほら、あのステージにいるのって、朱志香ちゃんじゃないですか?」
紗音が指したのは、『ライブバトルステーション』だった。
確かに朱志香っぽい少女といかにもバンドをやってそうな少年が、速弾き対決でもやっているのか、凄い勢いでギターを操っている。
それを見守りながらも大盛り上がりのギャラリー。観客席からはみ出す人がいるくらいの盛況っぷりだった。
「ほんとだね。朱志香ちゃんたち、こんな近くにいたんだね〜。探す手間が省けたな」
「そうですね。これに乗ってなかったら気付かなかったかもしれませんね」
「それにしても凄い観客数だね。こっちに全然人が並んでないと思ったら、ステージの方に流れてたんだな」
「ふふ、私たち以外誰も乗ってないですね。そういえば」
「ははは。こんな大きな観覧車で貸切状態なんて、そうそうないんじゃないかな」
違いないですねと紗音が笑い、ラッキーだよねと譲治がのんびりと返した瞬間だった。

ぐしゃん。

あまりにも突然で、あまりにもあっけなかったものだから、一瞬何が起こったのかよくわからなかった。
「「……え?」」
『ライブバトルステーション』の隣。『Falling dawn マッハボート』のウリである、20メートルの落差が……一瞬にしてゼロになった。…つまり、一瞬で崩壊して、潰れた。
アトラクションに使われていた水がその辺り一帯を侵食するように流れ出す。
ステージに集まって拳を振り上げていた人々も、一瞬写真になったかのように硬直し、誰かの叫び声が合図だったかのように一気に騒然とした。
あれだけの人数が一斉に逃げ出そうとするのだから、会場はたちまちパニック状態に陥る。朱志香がマイクをぶん取って「冷静に!」と呼びかけるが、全く効果はない。
「せ、先輩、あれ…!」
「なっ…!」
見ると、様々なアトラクションがまるで見えない攻撃でも食らっているかのように、次々と崩壊していくところだった。
それに連動して、必死に逃げる、人、人、人。
いつも大量に出てくる山羊の姿は見えないが、おそらくファントムの襲撃とみて間違いない。
一刻も早く助けに行きたい……が。
ぎり、と譲治は歯噛みする。ゆっくりと回る観覧車の中。まだちょうど天辺を過ぎたあたりだ。下まで着くにはかなり時間がかかる。
何よりここには紗音がいる。まず彼女を逃がさなければならない。
じりじりと観覧車が動くのを待つ。急いているときにはなぜこんなに遅く感じるのか……。
ピリリ、と携帯の着信音が鳴った。表示は戦人。
『あ、兄貴! 今どこだ!?』
「観覧車の中。上から見てたよ。そっちは大丈夫かい?」
『ああ、こっちは全員無事だ。…そっか。合流するのは時間かかりそうだな。とりあえず俺たち3人で先に出動するぜ』
「うん、気をつけて。僕らも降りたらすぐ逃げるよ。君たちは先に行ってて」
『逃げ……? あ、そうか。紗音ちゃんと一緒だったな。今のは了解って意味で取るぜ』
「あぁ。嘉音君は大丈夫だったかい?」
何しろ一般人だ。怪我などの有無と嘉音の前で変身するわけにはいかないだろうという意味。
『…っと、おう。嘉音君はドサクサに紛れて縁寿と一緒にバスに押し込んだから、もうここからは離れてるぜ。怪我もしてない』
嘉音の名前に反応した紗音が、まさか巻き込まれてしまったのではと、不安そうに眼下の光景と譲治を交互に見る。
譲治は大丈夫だと頷くと、笑顔でぽんと紗音の肩を叩いた。
「そう、よかった。とにかく君らも気をつけて―――」



派手に破壊活動を行なって、レヴィアタンは見晴らしのいいアトラクションの屋根で一息ついていた。
眼下を埋め尽くすのは、我先にと逃げる浅ましい人間の群れ。
なぜうみねこセブンが、そんな彼らを守ろうと立ち上がったのか、レヴィアタンにはよくわからない。
ただ一つ確実なのは―――ルシファー、アスモデウス、ベルゼブブ。
……飛び出して行った3人は、彼らにやられて誰一人として帰っては来なかったということだ。
「許さない……許さないわよ……うみねこセブン……!」
騒ぎを聞きつけたセブンの面々が、早く出てこないものか。やられた姉妹の分までたっぷり可愛がってやるものを…!
ふと巨大な観覧車が目に入った。…あれをブッ倒したりするとか、いいかも。
ニヤリと口元を歪める。そのくらいすれば、きっとうみねこセブンも大慌てで出てくるに違いない。
「……ん?」
早速と立ち上がったところで、観覧車のゴンドラの一つに目がいった。人が乗っているのがその一つだけだった、ということもあるだろう。
遠くてよくは見えないが、乗っているのは若い男女。不安そうに眼下の惨状を見る女と、彼女を安心させるように肩を抱く男。
レヴィアタンの中で、何かがぞわりと蠢き始める。
「ふふふふふ……」
綺麗な綺麗な、見るからに素晴らしい恋人同士。…いや、実際に恋人かどうかなどどうでもいい。
そういう一般的に見て綺麗で素晴らしい関係というのは、レヴィアタンにとっては嫉妬の対象でしかない。
そしてその嫉妬こそが、彼女の力の源泉。
「いいわぁ……嫉妬しちゃうかもぉ」
ぼこぼこと粘度の高い液体が温度を上げていくような感覚に、レヴィアタンは唇を舐める。
精神がいい意味で高まっている証だ。
……悪くない。
うみねこセブンが彼らの正義を掲げて現れるまで、あの二人で遊んでやるのも、悪くない。
一瞬後には、彼女の姿は掻き消えていた。



がたん。
「きゃ…」
「…っと」
譲治たちの乗っているゴンドラが唐突に一度大きく揺れて、……それから全く動かなくなってしまった。
「……と、止まった……?!」
ちょうど時計盤でいうところの3時の位置。こんなところで止まったら降りられないじゃないか…!
『どうしたんだ?!』
「いや、観覧車が止まったんだ。困ったな。…いや、お祖父様に連絡してみるよ。あっちの管制からなら動かせるかもしれない…!」
『だな。ますます合流には時間かかりそうだが……ま、兄貴が来るまでは任しとけ! …あ、そうだ、そこから敵の位置がわかるか? 兄貴のいる高さなら見えるんじゃねえか?』
言われて慌てて目を凝らす。崩壊したアトラクションは全部で5つ。
そのどれかにでも不審な姿が見えやしないか―――
「…?」
遠くに合わせていた焦点が、突然真っ赤に染まった。
いや、それは、よく見ると……真っ赤な瞳。
「は…、はは。……参ったな」
参った。
さすがに参った。
一瞬で用件を達してしまった。
「…目の前だ」



『…目の前だ』
そう譲治が呆然と呟いたと同時に凄まじい音が響き、戦人は思わず携帯を耳から離した。
再び耳に当てたときには、すでにツーツーという無機質な音がするばかり。
「く、くそっ! 朱志香、真里亞、観覧車だ!! すぐ変身して行くぞ!」
最寄り駅までのシャトルバスが出ているクラシックセレナーデエリアまで来ていた3人は、力強く頷き合うとすぐさま変身し、そびえ立つ巨大な観覧車へと駆けて行った。



「はァい♪ 私は嫉妬のレヴィアタン。仲がいいわね、二人とも。……嫉妬しちゃうくらい」
「…ッてて……。…大丈夫かい? 怪我はない?」
「わ、私は大丈夫です、けど……先輩、血が」
「…平気だよ」
突然すぎて、第一撃は紗音を庇うしか出来なかった。……もっとも、余裕があったところで狭いゴンドラ内だ。攻撃を避けることなど出来なかっただろうが。
ガランガラン、と枠ごと外れたプラスチック製の窓に、レヴィアタンの拳の形がくっきりと浮いている。あれごと殴られたらしい。
「ちょっとぉ! シカトしないでよ、うわあああああん!! いいもんいいもん、こうしてやるんだからぁああああ!!」
レヴィアタンの姿が消えたと思った瞬間、反対側のドアからキン、キン、と軽い音。
窓から風が吹き込み、内側からは絶対に開けることのできないドアを、がたりと揺らし―――落とした。
蝶番とロックにバーナーで焼き切られたような跡。
「しゃ、紗音ちゃん、早くこっちに来るんだ…!」
窓からより遥かに強い風が破壊されたドアから吹き込み、ゴンドラを振り子のように揺らす。
椅子に掴まるのが精一杯。ドアに近い側にいた紗音も頷く余裕さえなかった。
レヴィアタンがゴンドラをがつんと蹴り、その振れ幅を更に大きくする。
「っ…く…!!」
大きく大きく傾いで、その拍子に紗音がバランスを崩した、と思った瞬間。
ぽん、と。
あまりにあっけなく、彼女の体が舞うように外へ投げ出された。
「……ぁ……、―――――!!」
呆然とした瞳が、一瞬で恐怖の色に染まる。
伸ばされる手。
喘ぐような口元。
声は出ない。

…でも、聞こえた。











「―――――ッッ!!」

譲治が腕を掴むのと、紗音が重力に捕まるのがほぼ同時。そして、
「う、わッ…!!」
紗音と入れ違いに中へ入ってきたレヴィアタンに足払いをかけられたのも同時だった。

ガクン!!

「……っは、」
昇降用に設置されたバーを咄嗟に掴み、入り口を自身の体で塞ぐようにして、何とか二人もろとも落ちるのだけは免れたが―――。
「すっご〜い! 愛のチカラってヤツぅ? キャハハハハ!!」
どん、と横腹を蹴り上げられて、譲治は低く呻いた。
…この腹這いの体勢では何もできない。紗音を引き上げるどころか、自分の身を庇うことさえままならない。
「ほら何とか言ってみなさいよッ!!――――あぁ、嫉ましい。嫉ましいわ…!!」
「ぐ……ッ……!」
バーを握った左の肩をギリギリと踏みつける足に、骨が悲鳴を上げる。
「せ…先輩!」
「だ、ぅ……大丈夫、君は手を離さないことだけ考えて」
「でも」
「いいから」
そのやり取りを遮るように、今度は頭を蹴られた。2回。3回。眼鏡が弾け飛び、目蓋が切れる。
「そうそう、女の方から手を離しちゃったらおもしろくないもんねぇ? ふふ、あんた見た目によらず我慢強いから、見てみたくなっちゃった☆」
レヴィアタンがふっと空中へ飛び出し、譲治の視線と合う高さで止まると、瞳同様真っ赤な唇をニィとつり上げる。
「自分可愛さに、その手を振りほどいて女を突き落とすトコ」
「……素敵に悪趣味だね」
「最ッ高の褒め言葉ねッ!」
何とも表現できない音を立てて、レヴィアタンの手から青い軌跡が伸び、間髪入れずに閃いた。
紗音を支える右腕にすっと線が走ったかと思うと、じわりとジャケットに紅が広がっていく。
「ほらほらぁ。その女落としちゃえば?」
「………」
「誰だって自分が可愛い。自分のためには他人を平気で踏みつけにする。人間なんて所詮そんなもんよ」
紗音の肩がびくりと揺れたのが、繋がった腕を通して伝わる。
「……違う」
「違わないわよぉ。自分の命を危険に晒してまで、他人を助ける酔狂な人間なんていないもの。……だからこういうのを見せられると、思わず嫉妬しちゃうんだけどぉおおおぉおおお!?」
レヴィアタンがブレードを振るうたびに、譲治の体に赤い線が無数に入っていく。
決して致命傷にはならないような浅い傷ばかり。痛覚だけが譲治を苛む。
「あ。いいこと思いついちゃった☆ …ね、その女突き落としたら、攻撃するのやめてあげる。そうね…あんただけは助けて、地上に下ろしてあげてもいいわぁ…」
甘く甘く誘う声音。
ねっとりと絡みつくような視線と、打って変わって優しく頬を撫でる指先。
「……やめろ」
「くすくす…どうしてぇ? こんなところで死にたくないでしょ? ほら、うっかり手が滑った振りして落とせばいいわよぉ。誰も責めない。むしろよくここまで頑張ったって自分で自分を褒めていいくらいよ、キャハハハハ!!」
「……本当に悪趣味だな。僕は絶対に、」
「ハァ? せっかく助けてあげるって言ってんだから、そこは感謝に咽び泣くとかしなさいよぉ。ほら女ぁ、あんたも何か言ってやれば〜?」
紗音の方など見向きもせずにレヴィアタンはくすくすと笑う。
「耳を貸す必要はないよ。君はしっかり掴まってて」
…………う、……です。
「え〜? なになにィ?? 聞こえないわよぉ〜? 大きな声で言わないとぉ、」
すい、とブレードが腕に当てられる。
「……もう、いいです。先輩」
ぽつりと。
しかしはっきりと、紗音が言った。
言葉に呼応するように、徐々に譲治の手首を握る力が弱まっていく。
「……何、言ってるんだい。しっかり握って…!」
「いいえ。もう、いいんです」
紗音がふわりと微笑むと同時に、完全に握力が消えた。
「く…っ…!」
そんな場合ではないのに、紗音の表情から目が離せない。
何もかも諦めきった後に訪れる虚無感に安堵するような、昏く、危うい、それでいて綺麗な微笑み。
「不可抗力ですから。私が勝手に力尽きて落ちるだけです。先輩のせいじゃないし、このまま先輩がこれ以上傷つけられることもありません。…考えてみれば、外に放り出された時点で死んで当然だったんです。それを繋ぎとめて頂いただけで、十分すぎるほどです。先輩には何度も助けられました。感謝してもしたりません。本当にありがとうございま」
「馬鹿言うな」
驚くほど低い声に、紗音は弾かれたように顔を上げる。
どんなくだらない話でも最後まで聞く譲治が、話の途中で人の台詞をちぎって投げるような真似をしたのは、きっとこれが初めてだった。
「不可抗力? 違うね。それはもうやめたと投げているだけさ。どうせ覚悟を決めるなら、生きる覚悟にしてくれないかい。簡単に楽になんて、してやらないから」
「……先輩」
紗音の瞳が揺れる。夢の中を漂うような、酷くふわふわとしていた表情に、少しだけ現実味が戻った。
それを見て、今度はレヴィアタンに目を向ける。
「レヴィアタンと言ったね。人間は助け合えるから人間なのさ。…確かに、一人ひとりがそれをできる範囲は狭い。手が届くところまで。目が見えるところまで。ときには限りなくゼロに近くなってしまうこともある。…でも、それで繋がる輪は限りなく広く、強い」
譲治はついと下を見て、ぐっと顔を上げる。レヴィアタンを真正面から挑戦的に見つめた。
「わからないなら教えてやるよ。今、ここで」
「…ふ、ふぅん。そんな状態で何ができるっていうのよ」
「僕は僕のできることをするだけさ。僕の手の届く範囲のことを諦めない、ただそれだけだよ。あとは――――」
僅かに紗音が握る手に力が戻る。
それを見てレヴィアタンは譲治を遮って低く笑い始めた。それはすぐに哄笑へと変わる。
「あああああああもうムカつくイラつく何よそれ見せつけちゃってんのああそうふーん妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい嫉妬しちゃう嫉妬しちゃう嫉妬しちゃうッッ!! もういいわよそんなに離れたくないなら二人もろとも落ちちゃえばッ?! そうよ仲良く一緒に落としてあげるわ感謝と覚悟しなさいよ覚悟決める時間あげるなんて優しいでしょおおおおまあ一瞬だけどもういいわよねいいわよねいいよねッそーれいくわよせえええええのおおおおッッ、」

そこまでだッ!!

レヴィアタンがブレードを大きく振り上げた瞬間だった。
力強く鋭い声が、圧倒的な存在感を持って響いた。それは、レヴィアタンが思わず動きを止めるほど。
わかってくれたかい? と譲治が呟いたのも、聞こえたかどうか。

「こんな好き放題やりやがって…覚悟しやがれ! うみねこレッド!!」
「あぁ、よくもみんなが笑顔になれる場所を滅茶苦茶にしてくれたな! うみねこイエロー!!」
「うー! 許さない! 泣いてる人、いっぱいいた! うみねこピンク!!」

輝く未来を守るため! 『六軒島戦隊 うみねこセブン』参上ッ!!

「ふ…ふふふふ! 私は煉獄の七姉妹が次女、レヴィアタン! やぁっと来たわね、うみねこセブン!! 待ちかねたわよぉ?!」
「いっひっひ! そりゃ悪いことしたなぁ? さっそくおっ始めようじゃねえかッ!!」
「キャハハ! 威勢が良くて結構だけど、まずは武器を捨ててもらっちゃおうかしらぁ?」
「何…?!」
嫌な笑みを浮かべると、レヴィアタンはついとブレードを譲治の首元へ当てる。
「ほら、人質よ人質ィ。さっさと武器捨てなさいよぉ。私の姉妹たちの恨み……じっくり虐めて嬲り殺してあげるわ」
「んだと、てめえ……!!」
「レッド、冷静に。ここじゃ戦えないんだよ?」
卑怯な手段に激昂しそうになるレッドを、ピンクがたしなめる。
譲治たちがあの状態では、無闇に銃を乱射するわけにもいかない。彼女の言う通り、場所を変えなければ手も足も出ないのは明らかだった。
ぐっと詰まるレッドの前に、大げさに肩を竦めるジェスチャーをしたピンクが出る。
「ねえ君さぁ、人質でも取らないと戦えないくらい弱いの? あ、だから弱い者イジメしかできないのかなぁ? きっひひひひひひひ!」
癇に障るような笑い声に、上手い、と呟いてイエローがすぐさま意図を酌む。
「かもな〜。はー、ガッカリだぜ。お前の姉妹たちはそんなチンケなことせずに向かってきたけどな〜。…だろ、レッド?」
振られて、レッドも理解した。
挑発だ。挑発して、奴をここから引き離す。そして倒すか、隙を見て二人を助けに来なければ。
「…いっひっひ! だよなぁ。てことは何だ? 煉獄の何とか〜とか大層なこと言って、お前全然たいしたことないんじゃねえの? 姉妹で最弱とかな。あーあ、俺たちの出る幕でもなかったかなぁ」
おおよそヒーローの言う台詞ではないが、しかし、効果は覿面だった。
「な、なん、なんですってぇえぇええええええ?!!!」
常に他の姉妹と比較して劣っているとコンプレックス抱き、それをバネに這い上がってきたレヴィアタン。それを知りもしない、しかも敵であるうみねこセブンなどに口にされて、黙っていられるわけがなかった。
もう傍らの譲治と紗音など目にも入っていないように、屈辱のあまりぶるぶると震え、視線で人が殺せるならとっくに3回くらい死んでいそうな、凄い形相で眼下のセブンたちを睨み付けている。
「乗ってきたな。ひとまず隣のエリア…レインボーステーションに行こう」
「そうだな。一人残って兄貴たちを助け……」
「させないわよ?」
気付いたときには、すでにレヴィアタンが目の前にいた。
あまりの速さに全員がぎょっとする。
「げ! さ、散開ッ!!」
一足早く我に返ったレッドの声に、それぞれが全く別方向へ駆け出した。
とりあえず逃げ切った奴が兄貴たちを助けに行こう、とインカムを通して伝えると、レッドはぐいとレインボーステーションエリアへ方向を変える。
逃げ切る奴は一人でいい。飛び道具を持っている自分が、まず囮になるのが適役だろう。
エリアに入るなり、すぅと息を吸い込んで、その全てを声に変換した。
「や〜い!! お前の姉ちゃん、で〜べ〜そ〜〜〜〜〜〜!!!」
瞬時に涙目で睨みつけるレヴィアタンが現れた。
「うわああああああん!! 違うもぉぉおおぉおおん!!」

……戦闘開始。




【アイキャッチ】




譲治たちからレヴィアタンを引き離したものの、セブンたちは予想以上に大苦戦していた。
挑発してレインボーステーションエリアにレヴィアタンをおびき寄せたつもりが、逆に全員そこに追い詰められる形になった。とんでもないスピードで回り込まれ、逃げ場がそこしかなかったのだ。
譲治たちを助けにいこうにも、あのスピードからは逃げ切れない。
倒そうにも、こちらの攻撃はあっさりかわされる。向こうの攻撃は速すぎて見えやしない。
「どうしろっつうんだよ…――――?!」
レッドが気配を感じて振り返った瞬間、がつんと殴り飛ばされた。
痛みを堪えて立ち上がり、見たものは……大量の山羊。
「……いっひっひ。……マジかよ」
一気にこの場に呼び寄せるために温存でもしておいたのだろうか。確かに一匹一匹では倒すのにそう時間もかからないが、数でこられると流石にキツイ。
そしてアトラクションの鉄骨やコンクリートの壁を足場に、乱反射するような音を立てて縦横無尽に飛び回るレヴィアタン。頑張っても目で追うのが精一杯の速度なのに、巨体の山羊たちが邪魔でそれもままならない。どうやってもこちらが後手後手に回ってしまう。
でも、早く行かないと譲治たちのあのギリギリの状態ではいつまでもつかわからない。
「くそ…!」
全員が汗と焦りの表情を浮かべる中、レヴィアタンのかん高い笑い声だけが響くのだった。



隣のエリアでは、激しい戦闘の音が絶え間なく続いている。
その音を聞く限り、うみねこセブンがこちらまで助けに来てくれる余裕はなさそうだった。
園内にいた人たちも皆、逃げて行ってしまった。
仮に残っている者がいるとして、この戦闘の真っ只中で、わざわざ他人のために危険を冒す人間などいるはずもない。
3時の位置で止まったままの観覧車。
レヴィアタンの攻撃を受けることはなくなったものの、この宙吊り状態の現状を打開する術は何もない。
むしろこうやって譲治の腕を掴み続けているだけで、とんでもない負担を強いているというのに。
譲治の上半身はほぼゴンドラ外に乗り出していて、左手で掴んだバーでかろうじて落ちずに済んでいるだけ。紗音を引き上げるどころか、体勢を維持するので精一杯という感じだった。
…ぴくり、とふいに小さな振動が伝わる。少しして、また。
筋肉が痙攣を起こし始めているのだ。彼の体がもう限界だと叫んでいる。
そんな絶望的な状況なのに、彼は笑っていた。いつもの穏やかさとは違う、不敵な笑顔。
「…諦めるかい?」
諦める者の表情ではなかった。
全身に汗を浮かべながらも、瞳はずっと先を見据えていた。
その彼の瞳から、紗音はたまらず目を逸らす。
それを見て、譲治はふわりと表情を和らげた。
そして、まるで天気の話でもするかのように話し始める
「あ、そうそう。この間貸してもらったハンカチなんだけど」
「…え?」
「洗って返そうと思ったんだけど……ごめん、なかなか血が落ちなくてさ」
「……あ、いえ。ハンカチくらい、お気になさらないでください」
「そういうわけにいかないよ。同じものを探したんだけど、なかなか見つからなくてね。だからさ」
一旦言葉を切って、にっと笑った。
「明日、ケーキでも食べに行かないかい?」
ざっと気まぐれに吹いた風に体が煽られて、思わず目を瞑る。
…明日。
今日、次の瞬間のことさえわからないというのに、明日。
「戦人君に聞いただけなんだけど、彼が大絶賛のケーキ屋があるらしくてね。特別甘いものが大好きってわけでもない戦人君が褒めるくらいだから、凄くおいしいんだろうなと思って。紗音ちゃん、ケーキ好きだろ?」
「ケーキは……好きですけど……」
「そう。じゃあ決まり。約束だ」
「……約束」
「そうだよ。約束は守らなきゃね。破ったら罰ゲームだ。…そういうルールにしよう」
つまり、どちらにしても明日会おう、と。そういうことだった。
…どうしてこんな状況になってまで他人のことを考えることができるのか。
レヴィアタンの言った選択だってできたはず。自分が言った提案に乗ることもできたはず。
それなのに。
譲治の表情がふっと真剣になった。
「紗音ちゃん、僕を信じて。僕はみんなを、人間ってものを信じてる。だからその僕を信じてみて。大丈夫、君をがっかりさせやしない」
力強い言葉。
信じる。信じる……そんなことができるのだろうか。自分の心の中さえよくわからないというのに。
そして短くない間、それを選ぶことを避けるような生き方をしてきた自分に。
…でも、この人なら。
…いや、そうやって痛い目を見たことは何度も。
…でも、………。
「……ん……」
シーソーの如く交互に傾いては戻る心を表すように、「うん」とも「ううん」ともつかない声が出た。
「うん、十分だよ」
それから数分間はお互いに無言になった。
譲治は紗音を支えることに専念し、紗音は譲治に言われた言葉を何度も反芻していた。
時折吹く風と、二人の息遣い。空気を振動させるものはそれだけだった。
だから、突然二人以外の声が聞こえたとき、驚いて紗音は思わず手を離しそうになった。
「そこのお二人さーん」
下方から、緊張感のかけらもない声。続いて、小さなペンライトのような光がチカチカと2回。
「え、………え?」
思わず紗音は下を向き、そして目にした光景に、信じられないという表情で譲治を見た。
そんな紗音に、譲治は「ほらね」と言ってくすりと笑う。
二人のゴンドラの遥か下。
紗音が見たのは、白くて大きなマットとそれを囲む10名ほどの人々だった。
老若男女、まるで関連性のない人たちが揃って上を見上げ、手を振ったり、「もう大丈夫だぞ」と声をかけてくれる。
たった一つ、二人を救うという目的のためだけに集まり、駆けつけてくれた人たちだった。
「まぁ、アクション映画のスタントだと思って〜! クールに決めてくだせぇ〜!」
間延びした青年の声。ここへ飛び降りろとマットをばんばん叩いて示している。
「はは…簡単に言ってくれるなぁ。でも助かった。……そういうわけで、紗音ちゃん。スタントの経験はあるかい?」
「あ、ありません、そんなの……」
「あはは、奇遇だね。僕もだ。……いてて」
助かるとほっとして、押しのけていた痛みが戻ってきているのかもしれない。一瞬顔をしかめて、すぐに苦笑した。
「…じゃあ記念すべきスタント初体験といこう。この高さなら、ジャッキーにだって自慢できる」
「じゃ、ジャッキー……ですか」
「怖いかい?」
「……それは、その…この高さですからそれなりに…」
「何のケーキが好き?」
「え? ち、チーズケーキでしょうか…」
「美味しいよね、チーズケーキ。明日それ食べよう。…で、怖いかい?」
「……ちょっと…だけ」
「チーズケーキではどの種類が好き?」
「…え、っと、レアチーズが」
「そう。僕はベイクドが好きかな。明日半分こして食べよう。…で、怖いかい?」
「…くす。…大丈夫です」
「よし」
思わず小さく笑った紗音に、同じくにっこりと笑う譲治。
そのまま二人で下を見て、頷いた。
「…いくよ」
「…はい」
譲治がバーから手を離す。二人分の体重で傾いていたゴンドラが、解放されてキィと鳴いた。
ふわりと内臓が丸ごと持ち上がるような浮遊感。
それはほんの一瞬で、すぐに地球が意思を持っているかのように、ガンと地面へと引っ張っぱられた。
なすすべもなく、抗えもしない、大きな大きな力。
それに翻弄されるしかない人間の、なんと小さなことか。
そして、その小さな人間たちが集まって作り出す力の、何と強いことか。
落下の耳鳴りのような音を聞きながら、譲治がぐいと体勢を変えたのを感じた。着地の際に圧迫しないようにと気を遣ってくれたらしく、背中から抱きしめられて、くるりと仰向けに反転させられた。
視界一杯に広がる空には、沈みかけた太陽と、その中で控えめに顔を出し始めた月。そして同じく控えめに輝き始めた、無数の星たち。
…凄く、凄く、綺麗だった。


ぼすん、とやや間の抜けた音を立てて、セーフティマットの中央が大きくへこんだ。
柔らかく、高さのあるマットに受けとめられた二人の姿は、埋もれていて見えない。
固唾を呑んで見守る人々に囲まれる中……ふいにもそもそと布地が揺れた。
「……ぷは! ゲホゴホ!」
水中から上がるように譲治が顔を出す。着地の衝撃で息が詰まったのか、トントンと胸を叩いているうちに、紗音も同じく咳き込みながら顔を出した。
「……ひゅう♪ やるねぇお二人さん」
暢気な口笛を皮切りに、わっと歓声が上がる。
「いや〜よく頑張ったなぁ、にいちゃんたち!」
「ホントにねぇ。怪我はない? …あらヤダお兄さん傷だらけじゃないの。おうちに帰ったらマキロンで消毒しないとダメよ」
「いやおばさ…お姉さん、マキロンより病院でしょう。ほら君たち、立てるか?」
口々に無事を喜ぶ人々の中、ビジネスマン風の男性の手を借りて、二人は1時間ぶりくらいに地上の感触を噛み締めた。
全員にお礼を言って回って、譲治がふと疑問を口にする。
「それにしても、こんなもの一体どこから…」
「あぁ…アレです、ア・レ」
にやりと笑いながら、青年がすぐ近くのビル型アトラクションを顎で示す。
「追っ手から逃げてゴールの屋上からダイブする、【ビルからダイブ】ってアトラクションなんですがねぇ。まぁダイブと言っても、本来は乗り物に乗って降りるだけなんですが……ねぇ、お嬢?」
お嬢、と呼ばれたのは赤髪の少女。青年に振られて、綺麗な顔がたちまち不機嫌そうになる。
「…………何よ」
「ヒャハハ! 乗り物に乗らずにマジでダイブした、クールなお客さんがいやしてねぇ。防災ネットに引っかかって無事だったわけですが、おエライさんは真っ青ですわ。…で、どデカイ注意書きの看板とコイツが設置されるようになったらしいですぜ」
ぽんと青年がマットを蹴ると、「マジダイブっすか、うっわパネェ〜」と合いの手が入り、お嬢と呼ばれた少女はますます憮然とした表情になった。
「まぁとにかくよかったよかった! 二人とも、そのとんでもねえお客に感謝しときな! コレがなけりゃああんたら死んでたぞ。がっはっはっは!」
壮年の男の豪快な笑い声に、違いない、とあちこちで笑いが漏れる。

ギギギ……!!

「……げ」
笑っている場合ではなかった。不気味な音に隣のエリアを振り返ると、『建設中』と書かれた巨大な看板がゆっくりと傾ぐのが見えた。少しして、地鳴りのような凄まじい衝撃音。
「っとォ。んじゃ、こっちは一件落着ってことで、とっとと逃げましょうぜ?」
「ええ。皆さん、ありがとうございました。本当に助かりました」
「ありがとうございました。皆さんがいなかったらどうなっていたことか」
「なんのなんの! いいってことよ!」
「人間、お互い様だからねぇ」
「そうそう。次はワシらが危ない目に合うかもしれんからのぅ。そのときは頼んだぞ、カッカッカ!」
「まーとにかく無事でよかったっス!」
頭を下げる二人に口々に声を掛け、ひらひらと手を振ると、各々そこいらに投げ出していた自分の荷物をまとめ始める。
「入口にトラックを回してあるから、ひとまず全員それに乗り込んで離れるわよ! ここからエンジェルスノウエリアを抜けて、入口のあるクラシックセレナーデエリアまで行くわ。何か異論は?」
赤髪の少女がぐるりと一同を見回し、誰も口を開かないのを確認すると、「じゃ、行くわよ」と言ってパンと手を打った。
それを合図に、皆走り出す。
「私たちも行きましょう、先輩」
「…………」
走り出しかけて、譲治が動こうとしないのに気付き、立ち止まる。
「……先輩?」
何か、嫌な予感がした。
それを振り払うように、強く譲治の腕を引く。
「先輩!」
譲治はゆっくりと紗音の手を腕から外して、少し困ったように微笑んだ。
「……うん。君は、逃げて」
「君は…って、…………」
先輩はどうするんです、と続けようとして…詰まる。
同じだ。学校が襲撃されたあのときと、同じ。

 『……よし、追っ手はないね。紗音ちゃん、このまま走って家に帰るんだ』
 『え?じょ、譲治先輩はどうするんですか?!』
 『……僕はちょっとやることがあるんだ。大丈夫だから気にしないで』

言いつけを守らず校内に戻って見たものは、譲治ではなく、うみねこセブン。……うみねこグリーン。
そして後で嘉音に聞いた限りでは、ガァプが現れるまで…つまりちょうど裏門で別れたときくらいの時間まで、グリーンの姿はなかったらしい。
先ほど、うみねこセブンが駆けつけてきてくれたときのことを思い出す。
彼らの名乗り。レッド、イエロー……ピンク。グリーンだけがいなかった。
ふいに聞こえた隣のエリアからの叫び声に、鋭い視線を飛ばす譲治。
…やっぱり、これは、そういうことなんじゃないのか。
状況証拠だけなら、疑いようもないほどに揃っている。いや、前から揃っていた。
……でも、それでもまだ決まったわけじゃない。
だから目の前でその口から、決定的な何かが飛び出すのがたまらなく恐ろしくて、声が出ない。
だって、それを聞いてしまったら、私は。
……ううん。怖がる必要なんてない。むしろ正体を確かめるチャンスじゃないか…!
「…………でも」
「僕は大丈夫だから。…ね? お願いだ」
内なる声は、しかし結局こぼれることはなく、聞き分けのない子どもに噛んで含めるような譲治の声音に、俯くしかなかった。
それを了解と取ったのか、両肩に手が置かれ、くるりと後ろを向かされる。
「あと、もう一つお願い」
「…………」
「後ろを振り向かないで。前だけ見て、走って」
「………………もし、振り向いたら」
ぽん、と軽く背を押された。たたらを踏んで、立ち止まる前に「信じてるよ」という声。
その声にもう一度背中を押されたかのように、足が動いた。
深い声。表情が見えなくても、そこに全部込めたような声。
…ずるい。そんな声を聞いたら、走らざるを得ない。
走る。走る。走る。
ふいに福音の家の小さな弟や妹たちの顔が頭をよぎった。
彼らが元気に笑顔で毎日を過ごせるのは、ロノウェのおかげだ。
彼に任された大切な任務。受けたご恩を返したい。成果を上げれば、きっと喜んでくださる―――。
そう、すべきことはこれ以上ないくらいにわかっている。
譲治の口から直接聞かなくても、今振り返れば、きっと、十中八九、確実に、決定的なのだ。足を止めずともほんの少し首を回せば事足りる。そして見たことを、ありのままに報告するだけ。
……報告する、だけ。
「………っ……」
視界が滲む。
…いっそ振り向くなと命令してくれればよかったのに。
そうすれば、言い訳ができたのに。
誰へでもない。
前方から1ミリたりとも視線が剥がせない、自分への。



「…コアパワー・チャージオン。チェンジグリーン」
走る紗音の後姿が消えぬ内に、譲治は変身を終える。
信じると言った言葉に嘘はなかった。
だからこれは譲治なりの誠意。紗音がきっと応えてくれると信じたから、堂々と姿を晒す。
インカムを引き下ろして、本部への通信を開いた。
「本部、本部、こちらグリーン。遅れました。これから合流します」
『グリーン! 状況はレッドから聞いていたけど……無事でよかったわ』
「ええ、一般の方に助けて頂いたんです」
『一般人…? そうなの。それは……嬉しいわね』
「ええ。僕らも負けていられません」
『そうね! じゃあ早速だけど向かって頂戴。…状況はかなり悪いわ』
「了解。…っと、その前に視力の調整をお願いできますか。眼鏡が割れちゃって」
『わかったわ。…ええと、データ、データ。……これね』
カメラがフォーカスを合わせるように、ゴーグルを通して視界が一度ぼやけ、ぐっとクリアになる。
「…よし」
もうすでに紗音たち一般人の姿は消えている。
グリーンは、レインボーステーションエリアへと走り出した。


「うわああああああッ!! ……く…くそ、なんつうスピードだよ……」
「みんな!」
「「「グリーン!!」」」
予想はしていたが、それ以上に酷い状況だった。
全員が傷にまみれ、肩で息をしている。
「気をつけろ、グリーン。あいつ、滅茶苦茶速いぜ」
「あぁそういえば一人足りなかったわよねぇ。やっとお出ましなのぉ? 遅すぎるわよッ!!」
レヴィアタンが動いたと思った瞬間、もう後ろを取られていた。
咄嗟に体を庇った腕がざっくりと裂かれる。
「は、はは…なるほどね。これはやっかいだ…!」
聞けば先ほどまでは山羊たちが大量にいたらしい。ここまでやられたのはそのせいもあるのだろう。
あの速さでは視界に障害物があるだけで、反応するのは格段に難しくなる。
再びレヴィアタンが動き始めた。カンカンカンと金属を蹴るけたたましい音。
「く……」
姿を追って首を振るが、それを嘲笑うかのように上下左右と容赦なく飛び回る。
視界から逃したらアウトだ。だからこそ動けない。動いて視界から外れた瞬間に狙ってくる…!
第二撃は低い体勢から足元へ。ギリギリ避けたつもりだったが、僅かに腿を掠めた。
「チッ。いい動きするじゃない。…おもしろいわぁ」
レヴィアタンがニヤリと笑う。
……このままではいけない。
こちらのメンバーはすでに疲弊しきっているし、もうずいぶん薄暗くなっている。早く決着をつけないと、ますます彼女の姿を追うのは難しくなる。
長引けば長引くほど、不利になるのは明白だった。
どうする。どうする。考えろ…!
レヴィアタンの動きは直線的だ。だからタイミングさえ合えば、攻撃を避けることも、攻撃を加えることも、不可能ではないはず。
問題はそのタイミングだ。
彼女の方も、それがあるから複数の足場を飛び回ってかく乱するような動きをするのだろう。
クリアするには何があればいいか。
一つは彼女が攻撃に移る際に、それを察知できるような合図。それでタイミングが計れる。…うん、これは思いつくものがある。
もう一つは彼女がどう動くかのパターンみたいなものがわかれば……………あ、いや、わかるな。
動きは直線的、むしろ直線だから速いといっていい。とすれば、例えば光の進み方と同じように、モノに対して対角に進むのではないだろうか。…いや、球の動きの方が近いのかもしれない。そうそう、あれによく似ている。
「グリーンより本部。この遊園地の図面データがほしい。なるべく細かく数字が書き込まれてあるものを転送してもらえますか」
『了解。全体? エリアの指定はある?』
「プリズム・オブ・フューチャーで」
『OK。…検索中よ。少し待ってね』
「はい。あと、エリア間のセンサーをオンにしてもらえますか。僕ら以外が通過したら、このインカムで聞こえるようにしてほしい」
この遊園地には、エリア間の移動数やどのエリアに人気が集まっているかなどを調べるために、対人センサーが設置してある。グリーンが言っているのはそのことだった。
『そっちも了解よ。…出た。図面を転送するわ』
ゴーグル部分に図面が現れる。
アトラクションの高さや幅、角度、アトラクション間の距離。びっしりと書き込まれた数字に目を通し、少しの間何事か考える素振りをして、頷いた。通信を切り替えてメンバーへと回線を開く。
「よし。グリーンよりオール。全員プリズム・オブ・フューチャーに移動。場所を指示するから、そこへ向かってくれ」
『『『了解!』』』
「ピンク、アイテムアウトで閃光弾か煙幕のようなものは出せるかい?」
『うん。目くらましだよね? ピカっとする方を出すよ』
「よし、頼んだよ。全員目を保護して」
『いくよ! サン、ニィ、イチ…』
カッ! と世界が真っ白に塗りつぶされると同時に全員が走り出す。
薄暗くなり始めた時間帯。突然大量の光を浴びたレヴィアタンは、目をやられて追っては来れない。
その間にグリーンがメンバーへ指示を与える。
『グリーン、それ…どういう作戦なんだ?』
「ははは。彼女の速度と、人間の脳の情報処理速度、どっちが速いかって話さ」
皆、インカムの向こうで首を傾げつつも、それぞれ配置につくのだった。



「く、目…、目が…ッ…!」
昼間でさえ間近でカメラのフラッシュを直視すると、しばらく視力が戻らない。
暗さに慣れていた目に、一瞬とはいえ強い閃光。殺傷能力はないが、少しの間無力化するにはもってこいだ。
最初の数秒は、その隙に攻撃をしかけられるのではと闇雲にブレードを振り回していたが、遠ざかる気配と足音を聞いてすぐに冷静さを取り戻す。
ただの時間稼ぎ。一旦態勢を立て直すとか、そんなところだろう。
それに気付いて、レヴィアタンは殊更ゆっくり、完全に視力を回復させる。
数度瞬きをして視力にダメージが残っていないことを確認すると、ふっと浮かび上がった。
足音が消えた方向と、そんなに時間が経っていないこと。そこからすると、セブンたちは隣のエリアにいると考えるのが妥当だろう。
「さぁて。誰から殺っちゃおうかしらぁぁぁ?!」
びゅん、と彼女の残した小さなつむじ風だけが残った。



ピピピピ、とインカムから機械音が響く。
――――センサー通過。来る!
その瞬間、植え込みに身を隠したレッドの銃口が連続で火を噴いた。
狙いはレヴィアタンではなく……先ほどグリーンが命を助けられたセーフティマット。
一瞬で穴だらけになり、ぶわっと中身が飛び散る。
柔らかくて軽い羽根や綿が広がり、辺り一面に舞い上がった。
「よし。みんな、後は手筈どおりに頼むよ」
『『『了解』』』
返答を聞いて、グリーンはただ一人身を晒すポジションから、羽根の向こう側へ声をかけた。
「やぁ、レヴィアタン。待ってたよ」
大丈夫。相手だって少しは警戒してる。一発では来ない。
「何コレ? キャハハハハハ! 目くらましのつもりぃ?! 無駄よ無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!」
笑い声と乱反射するような金属音。
ブンと真っ白に舞う羽たちが左下から右上へと裂かれるように分断する。
…1。
「他の奴らは逃げちゃったのぉ? んなワケないわよねッ! あんたが囮ってことなんでしょ?! でも、だからこそまんまと真っ先に殺してあげるわ! キャハハハハハッッ!!」
カンカンカンと鋭い音を立てて、今度は手前下方から奥上方へ羽が割れる。
…2。
相変わらずとんでもないスピードのレヴィアタンの姿は、目で追うのが精一杯だけど。
……でもそれで全く構わない。彼女の動きは予定通り。あとは、計算さえ合っていれば。
かき乱されてふわりふわりと漂う大量の羽が、一点を避けるように再び動く。
舞った羽が乱れて3回目。その瞬間が、合図だった。
メンバー全員がそれぞれ事前にグリーンに指示されていた場所に向かって、一斉に攻撃を放つ。
身を晒していたグリーンは、倒れこみながら後方へナイフを投げた。
一瞬前まで首があった箇所を、ブレードと共にレヴィアタンがすっ飛んでいく。
それを追うナイフ。
人間如きに攻撃を避けられるなんて、とレヴィアタンは唇を噛み、彼女の時間の中ではスローモーションのごとく遅いナイフをキンと弾いた。そして行き着いた先の鉄骨の足場を蹴っ……
…た瞬間目に映ったのは、すでに放たれていたピンクのフレア・アロー。
「なッ、…!」
火の粉を払うように慌ててブレードを振るい、何とか間をすり抜ける。よかった。完全にスピードがついていたら、まともに突っ込んでいたかもしれない―――。
……全然よくなかった。
ほっとした矢先、フレア・アローを追うように放たれたレッドの銃弾が、もうすでにそこに、あった。
「ひ…ッ!」
鼻先に灼熱を感じて、恐怖に凍りついた体を無理矢理に動かす。
大丈夫。私は速いんだから。そう。他の姉妹よりも。誰よりも。一番ッ…!
弾を仰向けに仰け反ってかわし、推進力はそのままに水泳のターンの要領で手近な足場を蹴る。
……はずだったのに何なの何なのあいつらさっきから先回りみたいなウザイ真似ばっかり! わああああん!!
足場にするはずだった「ビルからダイブ」の外壁の一部が、突如として崩壊したのだ。脇には壁に拳をくっつけたイエローの姿。あいつ、こんなところに!
そう思ってももう遅い。空を蹴らされる形になったレヴィアタンは、大きく体勢を崩しながら中へ転がり込み、片付け忘れか何なのか『只今、30 分待ち』の案内看板に激突した。
そこへ追い討ちをかけるように大きな影が飛び掛る。
「うりゅ?」
「きゃあッ!」
横っ面から戦闘形態のさくたろうに体当たりを食らい、更に馬乗りにされ、じたばたと足掻いてみるが……すぐに無駄と悟った。お、重い。
「うりゅ。…じゃない、がおー! 重いだろうけど、もう少し我慢しててね」
さくたろうが言い終わらぬうちに、近くにいたイエロー、そして他のメンバーも次々と駆けてくる。
「動くな!」
「……動かないわよ。っていうか動けないわよぉ…」
「うー。さくたろ、どいてあげて」
さくたろうが体をどかせると、レヴィアタンはその場にぺたりと座りなおした。セブンのメンバーに取り囲まれて逃げる隙などない、と完全に観念したように目を瞑った。
それを見てレッドが本部へ連絡を入れる。通信を終えると、ほっと空気が緩んだ。
「……や、やっと終わったぜ。長かった……!!」
どんと壁に背をついてイエローが深く息を吐き出す。
「にしても、やっぱグリーンはすげえよなぁ。指示受けたときは、さっぱりだったけど」
「はは、僕も結構ビックリしてるよ。上手くいってよかった。二度は通用しなかっただろうからね」
グリーンからの指示。
図面を元に、アトラクションやその他レヴィアタンの足場になりそうなものの位置間や攻撃対象までの距離、それを彼女が移動する大体の時間。そこから大体の速度を割り出した。
そして彼女の行動パターン。エリア全体を巨大なピンボール台に見立てて、道筋を読んだ。
あとは合図で、グリーンが計算し、指示をした彼女の通り道にメンバーが一斉攻撃。
レッドは何もない空間に銃を放ち、ピンクも何もない空間に魔法を放った。イエローは何の変哲もない壁をぶっ壊しただけだったし、さくたろも何もない空間に向かって飛び掛っただけだった。
しかし彼女にはそうは見えない。速いがために、「間に合って」しまう。
「でもそんな計算いつやったんだよ…」
「図面もらってからだよ。ははは、暗算は得意なんだ。ソロバンやってたからね」
速度計算や角度の計算がソロバンでできるか、とイエローは思ったが、レヴィアタンはソロバンに負けたことにショックを受けいているようだった。
「……もぉぉやだぁあああ!! トドメ刺しちゃいなさいよぉ!! …ぐす…。うぅううぅううう……」
「…はー。お前ら姉妹、ホント似てるよな〜…人聞きが悪いっての。アスモデウスもそんなこと言ってたぜー?」
イエローが肩を竦めると、レヴィアタンは目に涙をいっぱいに溜めてがばりと顔を上げた。
「え…? アスモ…もしかして生きてるの…?」
「ルシファーにアスモデウス、ベルゼブブ。お前の姉妹だろ? みんな生きてるぜ。っていうか、あいつら元気すぎてうるさいくらい…」
「わあああああああん!! よかったああああああ!!」
安堵からか、大声で泣き叫ぶレヴィアタンに耳を塞ぎつつ、メンバーは顔を見合わせて苦笑した。
「ねえねえ、ルシ姉は相変わらず偉そうでヘタレ? アスモは妄想でニヤニヤしてる? ベルゼは何でも食べてる? ねえねえねえ! …あ、怪しい洗脳とかしてんじゃないでしょうねえ?!」
「してねえっつうの。…つーかそれはプチ洗脳くらいしといたほうが世のためじゃねえのか? いっひっひ!」
「バカ言わないでよおおおお!! うわあああああん!! それがあの子たちのいいトコなのよおおお!!」
「げ、わ、わかったから泣くなって…」
あたふたと泣き止ませようとするレッド。そんなレッドになぜかあたふたするさくたろう。二人の間でレヴィアタンをつつくピンク。そのそばでやれやれと首を振るイエロー。

そんなやり取りの中、グリーン―――譲治は、ホイール・オブ・フォーチュンを見上げていた。
彼女……紗音ちゃんは、無事だったろうか。
大勢で逃げたはずだから、きっと大丈夫…とは思うものの、最後まで一緒に送ってあげられなかったのだけが心配だった。
こんなことがあってすごく怖かっただろうし、きっと傷ついたに違いない。
体も…怪我はなかっただろうか。……あ。
仕方ないことだったけど、力の限りに握り締めた手首の感触が蘇る。女性特有の柔らかくて、華奢な手首。アザになってるかもしれない。一度病院に行ってもらったほうがいいかもしれないな…。

『……もう、いいです。先輩』

あの空虚で全てを透き通す、だからこそ美しい硝子のような表情が、目蓋に焼き付いて離れない。
自分が今だってこれ以上ないくらいに重い使命を背負っているのは自覚している。
決して軽くはないし、実際たまに重荷に感じることだってある。でも、ちゃんと、僕が望んだことだ。
そんな僕が更に、彼女を支えることができたら、なんて思うのは……欲張りがすぎるんだろうか。
……それとも、ただの、傲慢だろうか。



時は遡って少し。
譲治と別れて、紗音は全力で走り続けていた。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
エンジェルスノウエリアからクラシックセレナーデエリアへ。この角を曲がれば、もう後ろは見えない。
ぐいと一瞬だけ目を瞑って方向を変える。
「……あなたで最後ね」
「……え?」
角を曲がり終えたところに、赤毛の少女が壁に凭れて立っていた。
紗音の後ろを確認もせずに言い切ると、さっさと行けと無言で促し、彼女はしんがりを務める。
エリア中央の城を横目に走り、入り口ゲートへ向かうと、よく建築現場で見かけるような大きなトラックがアイドリング状態で待っていた。荷台には先ほどの人たちが窮屈そうに縮こまって座っている。
紗音が荷台に引っ張り上げられるのを見届けて、赤毛の少女も助手席に乗り込んだ。
「出して。これで全員よ」
「おい、さっきこのねえちゃんと一緒に落ちてきたにいちゃんがまだだぞ!」
壮年の男が身を乗り出す。
紗音が口を開く前に、助手席から少女が答えた。
「…あぁ、彼ね。負傷してたから、うみねこセブン―――あの戦ってくれてる人たちだけど、彼らの関係者に保護されてたわよ。……そうよね?」
バックミラー越しに目が合った。
なぜ彼女がそんな言い回しをするのか、どういう意図があるのか……気になることは山ほど浮かんだが、とにかくここは頷くしかなかった。
「じゃあいいわね。…出して」
「あいあいさ〜」
どるん、と一度大きくエンジンを吹かせて、トラックが発進する。
おいもっと丁寧に発車しろぃ!ケツが剥けるわ!、剥けたら舐めてあげますぜ旦那〜、なんていう会話を聞きながら、紗音は深く思考に沈んでいた。

『誰だって自分が可愛い。自分のためには他人を平気で踏みつけにする。人間なんて所詮そんなもんよ』

あのときレヴィアタンの言ったことは、紗音の心中とぴたりと重なっていた。
そう、誰だって自分が可愛い。自分の命を危険に晒してまで、他人を助ける酔狂な人間なんていない。
だってそれは本能なのだから、当然のこと。だから、身勝手な期待なんてしてはいけない。
……昔から、そうだった。
近所のおじさんやおばさんや学校の先生や友達だと思っていた子たち。
本当に助けてほしいときには、いつも目を逸らされた。
目を逸らさないでいてくれたのは、人間じゃなかった。
悪魔。魔女。ロノウェや、彼が仕えるベアトリーチェたちだった。
確かに彼らの強引過ぎるやり方は、正直あまり好きではないし、そこまでやらなくてもと思うこともしばしばあった。
それでも、時折彼らの瞳をよぎる必死で何かを守ろうとするような、そんな想いを宿した光を見ると、受けた命令に頷かないわけにはいかなかった。
……何より、ファントムは居場所をくれた。
でも。

『人間は助け合えるから人間なのさ。…確かに、一人ひとりがそれをできる範囲は狭い。手が届くところまで。目が見えるところまで。ときには限りなくゼロに近くなってしまうこともある。…でも、それで繋がる輪は限りなく広く、強い』

あのとき譲治はレヴィアタンに「教えてやる」と言ったけど。
本当は、同時に自分にも言っていたのではないだろうか。
そしてそれは決して間違っていないのだと、彼は彼自身と彼の信じるもので、証明してみせた。
私はそれを、受け入れるか、受け入れないのか。
信じるのか、信じないのか――――。

「お、おいおい。大丈夫かね、お嬢ちゃん」
膝を抱えて俯いていた紗音に、声がかかる。
顔を上げると、皆心配そうな目をしてこちらを見ていた。
「あわわわ…そうだ、俺アメちゃん持ってるぜ! はい、おねーさん。甘いの舐めてっと落ち着くっスよ」
「おお、ワシも酢昆布持っとるぞ」
「…今どきのジョシコーセーは酢昆布なんか食わねえっスよ、おっさん」
「何だと! 酢昆布を馬鹿にするなよ若造! 噛めば噛むほど味が出るんじゃ!!」
「そりゃスルメの間違いじゃないっスかぁ〜?」
「おお! ナイスツッコミだ少年。ウチのプロダクションに来る気はないかっ?!」
「え、ええ?! アイドルデビュー?!」
「ちょっとあんたたち、馬鹿なこと言ってないで気ぃ利かせて一発芸でもやりな!」
紗音を置いて大盛り上がりの荷台。
無意識なのか、意図的なのか、わっと明るい雰囲気になる。
そしてボウズ頭の少年が差し出してくれたアメ玉を紗音が恐る恐る受け取ったのを見るやいなや、他の人たちまでチョコの方がいい、いやガムの方がすっきりする、やっぱり酢昆布を食え、と差し出し始め、紗音の両手はあっという間にお菓子で一杯になった。
そのあまりの会話とお菓子攻撃に、思わずくすりと笑いが漏れた。
「……出たっスか、おねーさん」
「……ボーズ。女性に向かって破廉恥なことを言うな」
「どこが!! …元気、出たっスか、おねーさん?」
……出たかもしれない。
「……ありがとうございます」
「なぁに言ってんだ! あんたが一番頑張ったじゃねえか! がはははは!!」
「ま、あんな状態の君らを見過ごしたりしたら、明日の朝目覚め悪いからね」
「って言ってるこのスカしたおにーさんが、いっちばん必死だったんスよね〜♪」
「うるさいぞ、ボーズ。……まぁとにかく何だ、無事でよかった」
「うむうむ。今日はしっかり休むんじゃぞ?」
「そうよぅ? 痛いところあったら、ちゃんと病院行くのよ?」
ある人は笑顔で、ある人は心配そうに、ある人はぽんと肩を叩きながら、皆紗音の顔を覗きこんで、声をかける。
そんな人々に、じわりと涙が浮かんだ。
「あらあらまあまあ! どうしたの? 怖いの思い出しちゃったかしら」
おばさんが周りの男性陣をシッシッと追い払い、そっと紗音の頭に手を載せた。

「もう大丈夫よ。怖かったわねえ…うん、よしよし」

…よしよし。
子どもの頭を撫でるときの、あのことば。
あたたかい、あたたかい、手のひら。
気付いたら、もう駄目だった。
「…………っ……ふ……」
口元に手を当てたが、込み上げる嗚咽はどうやっても止まらない。
堪えていた涙が堰を切ったように溢れて、溢れて、溢れて。
もうどうしていいか、わからない。
何でみんなこんなに優しいの。
思わず信じたくなってしまうくらい。
あたたかくて、綺麗で、思わず手を伸ばしてしまいたくなるくらい。
ずっとずっと諦めて目を逸らしてきたものを、何で今更目の前に突きつけてくるの。
傷つくのは嫌だ。期待して裏切られるのは怖い。そしてそれを嫌というほど知っていたから。
何も求めないように、笑顔を貼り付けて、自分はこれで幸せなのだと唱え続けて、全てを受け流してきたのに。
そうやって心を鎧ってきた臆病者。卑怯者。そのことを悲しんだことなんて、なかったのに。

もう、何もかも全部、わからなくなってしまった。

迷子になった子どものように。
名前も知らないおばさんのあたたかい胸の中で、紗音は途方に暮れたようにいつまでもいつまでも泣きじゃくっていた。


【エンディング】


《This story continues--Chapter 15.》



《追加設定》

「『Ushiromiya Fantasyland』完全攻略ガイドブック」
以前行ったモニター企画をもとに作成された、Ushiromiya Fantasylandのアトラクション、グッズ、イベントを網羅したガイドブック。
読むだけでUshiromiya Fantasylandの全てが分かる!! 全てのアトラクションにはモニターの「生の声」がついているよ! 定価1500円(税込み)也。
また、園内や広告代理店に置いてある無料版は、人気アトラクションに的を絞ったパンフレット)になっている。

「キャラクターの帽子」
以前からあったものに加え、うみねこセブンヒーローショーに来ていた子どもたちにイメージアニマル投票を実施、得票数の高いものがグッズ化された。(※現状と一致しないのは気にしない方向で)

「戦人大絶賛のケーキ屋」
正式名称不明。(今のところ)
実際はケーキ屋ではなく、軽食やケーキ以外のデザートなども楽しめる喫茶店。
店員さんの制服(メイド服)や、接客方法(「お帰りなさいませ♪」)などはその店ならではの特色であり、戦人が絶賛したのは実はそこだったり。
とはいえ味は確かで、純粋なリピーターも多い。純粋でないリピーターはもっと多い。
近々『Ushiromiya Fantasyland』内にも新店舗ができるらしく、現在オープニングスタッフ募集中。募集人数は7名。

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